真実よりも守るべきもの
「――報告内容に虚偽はないか、シルク」
皇城の執務室で、手にした書類から目だけを動かし、眼前に立つ男を見遣る。
エルバードには昔から"睨まれているようだ"と不評だが、今回は意図的だ。
シルクは微塵の怯えも見せることなく背を正したまま、
「はい。既に報告させていただきました通り、かの"奇跡"はミーシャ様に起因した現象ではありません。共に治療小屋付近の見回りを行っていたルクシオール様が、証人となってくださるはずです」
「……そうか」
(そもそも、訊ねる相手を間違えているな)
報告書の詐称はもちろん、皇族への虚偽は重罪にあたる。
嘘だと知られてしまえば投獄はおろか、その首と胴が離れる可能性も大いにあるというのに。
(俺を相手に、こうもまっすぐ言い切るか)
嘘だという確証はない。
だが、これで実感した。シルクは例えその命が危ぶまれようと、ミーシャ嬢を裏切ることはない。
(それでこそ、彼女の護衛として育てたかいがあったな)
「わかった。先にミーシャ嬢のもとに戻り、庭園のテラスに案内してくれ。この書類を片付けたら、俺も向かおう」
「承知いたしました、ルベルト殿下」
恭しく頭を下げたシルクが退出したのを確認し、手の内の報告書を机上に放り投げる。
村に"奇跡の雪"が降り注いだあの晩の光景は、未だに目に焼き付いている。
皇城にて対応に追われていたものの、一度様子を見に行こうと、エルバードと共に村に戻った。
すぐにでもミーシャ嬢に会いに行きたかったが、既に陽が沈んだ後。
せめて彼女が屋敷にいれば挨拶だけでも出来ただろうが、ミーシャ嬢は未だ、あの家にいた。
翌日、改めて訪ねるしかないと、屋敷で仕事に没頭し。
一息つこうかと書類から視線を上げた刹那、窓の外が光った。
はっと窓を見やった直後、目に飛びこんできたのはふわふわと落下する淡い"雪"。
違和感に窓を開き、手を伸ばしてみると、冷たい氷ではない。
漆黒の空に散らばる星々を霞ませるそれは実体を持たないのに、触れるとそこから温かな気配がじんわり沁み込んでいくような、心地よい気分になった。
聖女ネシェリの"奇跡"のひとつ、"治癒"の能力が思い起こされたのは、"奇跡の雪"がすっかり止んでからだった。
(翌日、治療小屋をはじめとする病人たちが異常な回復力を見せたのが、なによりの証拠だ)
――まさか、ミーシャ嬢が。
急く気持ちと、期待に不安。そんないくつもの感情に振り回され、ろくに眠れない夜を明かし。
翌朝ミーシャ嬢を訪ねると、彼女はまだ夢の中にいた。
(やはり、ミーシャ嬢が関係しているのか?)
シルクに昨晩の行動を訪ねると、ミーシャ嬢はルクシオールと共に治療小屋の側で、奇跡の瞬間を目にしたという。
彼女が夜な夜な治療小屋の周辺へ向かっては、ルクシオールと接触していたのは知っていた。
以前、エルバードがルクシオールに直接確認したところ、奴は特に隠す様子もなく、肯定したという。
『時折、全てに悲観した患者が夜中に治療小屋を抜け出してくることがあるのです。ミーシャ様も、そうした方々を放ってはおけないと、周辺の散歩を始められたようですね。ミーシャ様が"目"を担ってくださるというので、夜間の"浄化"も可能となりました。おかげで当初の予定よりもかなり早く、"浄化"が進んでいます』
彼女には彼女の意志がある。エルバードの行動によって、"俺"が気付いていることはすぐに伝わるだろう。
その上でも続けると選択するのなら、見守るだけだ。
そう考え、あえて明確には口を出さずにいたが。
(あの雪はミーシャ嬢が"聖女の巫女"として起こした、"治癒"の奇跡ではないのか)
シルクはミーシャ嬢が"奇跡の雪"に興奮し、家に戻ってからもなかなか寝付けずにいたせいで、起床が遅れているのだと説明した。
エルバードを連れ帰っていたうえに、ヴォルフをはじめとする村に残した騎士にも余裕がない。
故にミーシャ嬢とルクシオールの"逢瀬"に監視は付けられず、唯一の"目"であるシルクの言葉を否定する材料はない。
ましてや、ルクシオールが証人となるなどと言い切るあたり、既に彼らの間で口裏を合わせてあるのだろう。
"嘘"を"嘘"と証明する者がいなければ、それは"真実"になる。
(本当にミーシャ嬢が"聖女の巫女"だったならば、こうも隠す理由はなんだ?)
"聖女の巫女"としての力を使用出来るのなら、なによりの証拠だ。
わざわざ"審判の日"を待たずとも、今すぐにでも"聖女の巫女"の座を得ることが出来るだろうに。
(今はまだ、"聖女の巫女"とされたくはない理由があるのか?)
各地の"浄化"に赴く生活を嫌悪している?
いや、元よりロレンツ家のいくつかの領地に通っては、改革をしてきたほどだ。
今回だって、公爵令嬢だというのに平気で村人の家に留まるばかりか、毎日動き回り、終いには村が心配だからと残るほどだ。
"聖女の巫女"としての活動が理由だとは思えない。
「…………」
(まさか、俺との婚姻を嫌がって?)
"聖女の巫女"となれば、俺の正式な婚約者となる。
そして間もなく、婚姻を結ぶことになるだろう。
民にも神殿にも大きな影響を与える"聖女の巫女"を、皇家の手中に収めるために。
公爵令嬢である彼女が、その可能性を導きだせないはずがない。
「……いや、やめよう」
やっとのことでミーシャ嬢が、俺と向き合う覚悟を決めてくれたのだと実感したばかりだ。
勝手な推察で落ち込むよりも、誠意ある愛をひとつでも多く伝えるべきだろう。
それに……自分がもしも"悪女の巫女"だったらと。
俺が"裏切った"と恨みたくはないと声を荒げたあの姿は、とても偽りには思えない。
(自身が"聖女の巫女"だと確信を持っているのなら、あんなにも心底怯えるはずもない、か)
――もし。
もしも彼女が何らかの理由で、己が"聖女の巫女"である事実を拒むのなら。
あらゆる手段を用いて彼女を保護し、俺だけが彼女の縋れる唯一になってしまえばいい。
「……俺も随分と忍耐強くなったものだな」
個人的な理由で求めている報告書類に、判など必要ない。
そろそろ向かうかと、立ち上がる。
シルクをこちらに呼ぶ代わりに、エルバードを彼女の護衛として置いている。
俺の伝言を持ち帰ったシルクと共に庭園に向かったなら、落ち着いた頃合いだろう。
業務報告を口実に彼女をお茶に誘いだすことが出来たのだから、"皇太子"の名も悪くない。
「……いっそ、彼女に不埒な手紙を送る家門全てから、爵位を剥奪してやろうか」
今の俺ならば、出来なくはない。
が、実行すれば、ミーシャ嬢が俺を軽蔑するだろうことは簡単に予想できる。
「仕方ない。たったの一つも、選択を誤ることは出来ないからな」
久しぶりに彼女の顔を見れると、上向く気分のまま部屋を出る。
煩わしい"虫"は目障りだが、どれもこれも俺と彼女が結ばれれば大人しくなるだろう。
そのためにも。
(彼女の隣は俺だけのものだと、知らしめないとな)
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