あの人のためのドレスなんて着ない
「本当にお着替えなさらずによろしいのですか? お嬢様」
心配そうな表情のソフィーにこう問われるのは、もう何度目になるだろう。
私は「平気よ。完璧だわ」と微笑んで、夕焼けに染まる馬車に乗り込む。
向かうは皇城にて開催される、特別なパーティー。
十二の誕生日を迎えたルベルト殿下の洗礼を祝う場であり、私とアメリア、二人の聖女候補が婚約者候補として正式にお披露目される日。
(とうとうこの日が来たのね)
「緊張しているのか」
揺れる馬車の中。
対面の席で寛いでいたリューネが、顔を上げて訊ねて来る。
「少しだけ。今日は絶対にしくじるわけにはいかないもの」
多くの貴族や、皇室御用達の商家が集まる今日。私の印象は一気に広まる。
ここで対応を間違えれば、前回のように"金の聖女、銀の悪女"と呼ばれる結果になってしまうだろう。
すべてはアメリアの思惑通りに。
「そう気を張ることもないだろう」
リューネは顔をおろして、組んだ前脚の間に鼻先を埋める。
「回帰した日から今日まで、そなたは常に上手くやっている。それに、一度や二度失敗したとて、そなたはそれで終いとする女ではないだろう」
「それは、そうね……」
「そなたはそなたらしくやれば良い。私が協力できることなら、いくらでも手を貸そう」
揺れが気持ちいいのか、くあっと欠伸をしてリューネが瞼を閉じる。
(精霊とはいえ、犬のようね……)
愛らしい姿に緊張が解れる。
夕陽に染まる毛並みは艶々と美しく、同じ銀の色を持つ私の髪も、今は同じだけ美しいのかしら、なんて。
(そうよ。私は今日まで、うまくやってきた)
おかげですでに、前回とは随分と異なっている。
そう、たとえば――。
「やっときたか、ミーシャ!」
到着した馬車のドアが開かれるなり、エスコートするように差し出された手。
私は頬が引きつらないよう細心の注意をはらいながら、現時点で最大の優美な笑みを浮かべる。
「お迎えいただき、ありがとうございます。お兄様」
そう。前回との大きな違いの一つに、兄であるオルガとの関係がある。
私の記憶にあるオルガは、顔を合わせれば嫌みったらしい暴言ばかり。
手を上げることこそなかったけれど、いつだって私を疎んでいた。なのに。
眼前のオルガは私が乗せた手を振り払うこともなく、むしろ馬車からおりる私のバランスを支えようとぐっと力を込めてくれる。
「なに、俺はお前の兄だからな。初めて皇室主催の夜会に出席する妹をエスコートしてやるのは、当然だろう」
(いったい、どうしてこうなったのかしら……)
変化を感じたのは、あの日。
私の回帰直後に訪ねてきたアメリアと、お茶をした時から。
別々だった食事も、なぜか一緒にとる機会が増え。
更には今日の準備は問題なく進んでいるのかと、嫌味ではなく本気で心配しているように尋ねてきたり。
(アメリアに危害を加えるつもりがないと判断して、警戒をやめたのかしら)
それとも、私と友好的な関係を築いておくことで、アメリアに少しでもアピールしようと?
(なんであれ、私にとっても都合が良いわ)
お父様やオルガとの不仲も、私が"悪女"と呼ばれる理由の一つとなっていた。
パーティーでエスコートされる姿を見れば、お父様はともかくオルガとの不仲説はなりを潜めるだろう。
「頼りになるお兄様がいて、本当に心強いですわ」
エスコートの形に曲げられた腕に手を添えにっこりと見上げれば、オルガは頬を染め視線を背ける。
「そうだ! 優秀な兄を持ったことを感謝すべきだな!」
(これは照れ隠しね)
ふふ、と小さく笑む私をちろりと見下ろして、オルガはおずおずと視線を彷徨わせる。
「それはそうとミーシャ、その……いつもとドレスの雰囲気が違うようだが」
こうした格式高い夜会への主席は初めてとはいえ、私的に開かれたガーデンパーティーやお茶会には何度か参加したことがある。
当然、定期的に開かれていたルベルト殿下とのお茶会も。私は常にドレスを変え、めいっぱい飾り立てていた。
おそらくは、それらと比べての感想だろう。
(まあ、今回はわかりやすく"違う"ものね)
ルベルト殿下の生誕に伴い、社交界ではとあるルールが追加された。
それは、殿下の髪の色に似たコバルトブルーと、その瞳を思わせるルビーレッドの色を使ったドレスは、彼の婚約者候補にのみ許されるというもの。
少しでも彼の気をひきたかった一度目の私は、この二色ばかりを使い、豪華なドレスを仕立てていた。
回帰する前に仕立てた訪問着も、案の定、この二色を主体としたものばかり。
けれど今回私が纏うのは、美しく繊細な刺繍と散りばめた小粒の宝石をアクセントにした、私の髪と同じ銀色のドレス。
形も今流行りのレースをたっぷりと使ったボリュームあるシルエットではなく、柔らかな生地で、動いた際の揺れが引き立つようなシンプルな形にしてもらった。
髪も周囲のように装飾品を重ねごてごてと飾るのではなく、簡単なアレンジのみ。
仕上げに、小ぶりながらも光の反射が美しい宝石を連ねた、華奢なヘッドドレスを。
華美さではなく優美さを追求したこのスタイルが流行りだしたのは、確かあと三年くらい後だったけれど。
(元のドレスを着るくらいなら、少しくらい流行から外れていたって構わないわ)
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