レディーは知らずと罠にかかる
「ごきげんよう、ルベルト殿下。本日は貴重なお時間を頂戴いたします」
前回の"義務"とはうって変わり、ふわりと軽やかに淑女の礼をしてみせる。
ルベルト殿下は一瞬目を丸めてから、愉しげに口角を吊り上げた。
「こちらこそ、喜ばしい限りだ。口実なくあなたの顔を見れるばかりか、今日はなかなかに楽しめそうだからな」
(ちょっと、余計な事を言わないでちょうだい)
笑顔のままの抗議は、はたして伝わったのだろうか。
殿下のことだから、察していそうな気もするけれど。
すると、殿下は自席へ向かわずに笑みを携えたまま、こちらに歩を進めて来た。
(え、ちょっと、なに?)
「殿下?」
「"婚約者"のエスコートを受けるのも、"レディー"の嗜みだろう?」
「!?」
使用人のごとく私の座席を引いた殿下が、右手を差し出してくる。
(こ、れは、受けていいのよね?)
貴族女性に求められるマナーの知識はあれど、一度目が"ああ"だったから、"婚約者"としての振る舞いがよく分からない。
とはいえ相手が相手だもの。何よりも、恥をかかせないことが第一のはず。
「恐れ入ります」
にこりと笑んで殿下の手に指先を預けると、優しい仕草で椅子へと導かれた。
私が座るタイミングに合わせ、殿下が椅子の背を押してくれる。
いくら婚約者とはいえ、皇族にさせるべきことではないと思うのだけれど。
対面の、自身の席に腰かけた殿下は心底満足そうだから、これで良かったのだと思いたい。
(意外と世話焼きな性格なのかしら……。うろたえる私を見て遊んでいるだけ?)
後者の可能性が高いわね、と心中で嘆息をひとつ。
ちらりと横目でカトリーヌの反応を伺う、と。
(あら、驚いているのかしら?)
マナーチェックのためにと同席しているカトリーヌは、座席につくのではなく、扉前に控えるエルバードから数歩離れた隣に並んでいる。
殿下に椅子を引かせたことで、きっとその顔は怒りに満ちているのだろうと思いきや。
唖然としたように目を丸め、どこか面食らったような顔をしている。
(アメリアと殿下のお茶会は昨日だったわよね)
ルベルト殿下の、私とアメリアへの態度の違いに驚いているのかしら?
って、当然のように殿下が"私相手にだけ"エスコートをしてくれたものだと考えるなんて。
(ちょっと優しくされたからって、絆されていては駄目ね)
今は殿下よりも、カトリーヌに集中しなきゃ。
紅茶を注がれ、サーブされたデザートプレートには、見事なチョコレートケーキが。
私は感動に「まあ」と両手を口元に寄せ、
「なんて美しいケーキなのかしら。艶やかな表面が宝石のようですわ」
「先日、チョコレートが好きだと聞いたからな。賑やか過ぎず、それでいてとびきり美しいものをと用意させた。喜んでくれただろうか?」
「!」
(ただの話題の一つにすぎないと思っていたのに、覚えていてくれたのね)
「ええ、本当に嬉しいですわ。殿下のお心遣いと製作された方に、心よりお礼を申し上げます」
いただいても? と訊ねた私に、殿下が「もちろん。あなたのためのケーキだ」と紅茶に口をつける。
美しいケーキを崩してしまうのは勿体ないけれど、食べ物は食べてこそだもの。
私はフォークで一口分を切り取り、はむりと食んだ。
鼻腔に広がるオレンジの香りが、濃厚なチョコレートクリームによく合う。
「味はあなた好みになっているだろうか」
「とても美味しいですわ。オレンジの香りが上品で、お紅茶ともよく合いますもの。……殿下はいただきませんの?」
「ああ、あなたが美味しそうに食べてくれる姿があまりに愛らしくて、つい見惚れていた。俺もいただこう」
「っ、で、殿下にお褒めいただくのは嬉しい限りですわ。ですが……あまり、からかわないでくださいませ」
(だから! 今日は! あなたじゃなくてカトリーヌが重要なお茶会なのよ!!)
そもそもカトリーヌの件をたきつけてきたのは殿下じゃない!
(カトリーヌの手前、殿下の軽口も無下にできないし)
まさか、だからこそなの?
今日の私は"淑女"としてどんな言葉も受け入れるしかないから、それを狙って――。
「――ミーシャ様」
「! エルバード卿……」
扉前にいたはずのエルバードがいつの間にか隣に立ち、「ご来客です」と耳打ちしてくれる。
(そうよ。今は殿下の甘言など些細なこと)
思考がバチっと切り替わった私はエルバードに「ありがとう」と心からの感謝を告げて、「ルベルト殿下」と向き直る。
「私の友人が到着したようです。通してもよろしいでしょうか」
「ああ、早かったな。構わない」
「なっ……お待ちください、殿下!」
焦った声で制止したのは、カトリーヌ。
「どうした、ハリエット伯爵夫人」
「殿下のご招待なく他者を招くなど、なんたる身勝手な振る舞い。殿下がお優しいからと、そのご厚意に甘えるつもりだったのでしょうが……ロレンツ公爵令嬢、殿下とのお茶会を私的な権力の維持に利用するなど、マナー違反どころの話ではすみませんよ。説教は後程にいたしますから、その"友人"とやらにはお帰りを――」
「事前に、殿下の許可は得ておりますわ」
「……なんですって?」
眉を顰めるカトリーヌに、かかったわね、と心中でほくそ笑みながら、
「殿下には事前にお手紙で、本日の"ご招待"の許可を得ております。もっとも、私からの紹介を希望されたのも、殿下ですから」
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