レディー・ライラックは悪女に魅了される
「これは、なかなかに酷い。三日前よりもさらにガブリエラの気配が濃くなっている」
アメリアのお辞儀の指導をしていたカトリーヌを一瞥するなり、リューネはうんざりした様子で鼻を覆う。
「そなたと契約を結んでから、ここまで酷い者は初めてだ」
前回のカトリーヌの講義が、三日前。
なのにガブリエラの気配が濃くなっているということは。
(もしかして、アメリアが私的に彼女と会っている可能性があるということ?)
「そう考えてもおかしくはない程に、深まっているな。会わずとも、この者がガブリエラの巫女に心を許せば許しただけ、気配も濃くなるが」
(そう……。ありがとう、リューネ)
一度目の"テネスの花"の秘匿が明らかになってからずっと拭えなかった違和感に、答えが出たような気がする。
不思議だった。だって私が領地にいたのは二か月間だけで、以降はアメリアと揃って講義を受けていたのだもの。
当初は私が不在だった二ヵ月の間に、アメリアが仕組んだのかと考えたけれど。
"テネスの花"について知り、私を陥れるためのあの壮大な計画を立て、仲を深めたカトリーヌを唆したとすると……これらすべてを実行するのに、二ヵ月の講義だけでは時間が足りないように思える。
(アメリアが講義とは別に私的に会っていて、じっくりとカトリーヌを心酔させてから仕掛けてきたと考えたほうが――)
「ロレンツ公爵令嬢」
鋭い声と共に責める瞳が、"正しい起立の姿勢"のまま立ち続ける私を睨む。
「先ほどよりも肩の位置が右に傾いています。ここが公の場であったなら、皇室への無礼にあたりますよ」
アメリアのことは"アメリア嬢"と呼び、どんなにふらついても叱責するどころかその肩を支えて微笑み、「少しずつ、慣れていきましょう」と励ましの言葉を投げかけるくせに。
「申し訳ございません、カトリーヌ夫人」
従順に謝罪を述べ、僅かに肩の位置を左にずらす。
どうせ、そこまで大きなズレではないはず。
だって私は確かに十歳だけれども、すでに一度カトリーヌの講義を"終えている"のだもの。
(いったい、私の何がそんなに気に入らないのかしら)
オルガに「私の師となる方がどんなお方か、気になって」とそれとなく誘導し、集めてもらった"レディー・ライラック"の噂では、聡明な印象が強かった。
社交界と皇室は、互いに切り離せない存在。
私を冷遇していては、私が"聖女"と確定された暁には己の立場が悪くなると、彼女なら気づいていそうなものだけれど。
(それだけ疑いなく、アメリアが"聖女"だと信じているということかしら)
「次、ロレンツ公爵令嬢。お辞儀を」
どうやらアメリアの指導が終わったらしい。
仕方なしとばかりに向けられた億劫そうな瞳に、私はくっと顎を引いて淑女の礼を披露してみせる。
口元には優美な笑みを。右手でふわりとスカートを摘まみ上げ、左の手は胸に添えて、膝を折る。
と、カトリーヌが薄く息をのみ込んだ気配がした。
はっとするのも無理もないわ。
だって一度目の時に、ほんの少しでもルベルト殿下の視線を奪いたくて、鏡の前で何度も練習したのだもの。
「……よろしいです」
どこか悔しげに呟いて、「次はテーブルマナーです」と視線を移したカトリーヌ。
(出来ているものを"出来ていない"と言わないだけ、お父様よりはマシね)
熱心な聖女ネシェリの信仰者なだけあって、好まない相手にも信実さを捨てきれないのかもしれない。
(だからこそ、まさか重要事項を隠されるだなんて、ほんの欠片も考えなかったわけだけれど)
「素晴らしいです、お姉様」
感動したようにして、アメリアが無邪気に手を叩きながら隣に並ぶ。
「夫人の講義が始まる前から、お姉様の所作は完璧でしたものね。尊敬いたします」
(私に"夫人の講義など必要ない"と言わせたいのかしら)
「……ありがとう、アメリア。けれど私もまだまだ"淑女"として未熟だもの。"レディー"として名高いカトリーヌ夫人に教えていただく機会が得られて、本当に幸運だわ」
にっこりと愛想のいい微笑みを浮かべた私に、アメリアは戸惑いを隠すようにして「そ、そうですね」と頷いてそそくさと自身の席につく。
(さて、カトリーヌの反応はどうかしら)
ちらりとその横顔を盗み見るも、カトリーヌは眉ひとつ動かさない。
あえて聞こえるように言ったのだけれど、この程度では響かないようね。
(態度を改めても駄目、尊敬を示しても駄目)
手強い相手だとは思っていたけれど。
やっぱり、あの計画を進めるしかないわね。
「お二人とも、よくお聞きください」
テーブルマナーの指導を終えたカトリーヌが、伸びた背を更に正して畏まる。
「次のレッスンでは、お一人ずつルベルト殿下と短いお茶会をこなしていただきます。いくら形だけ覚えても、実際に仕えなくては意味がありませんから、特別に許可をいただきました。わたくしも同席致しますが、あくまで講師としての査定のためになりますので、いないものとしてくださいませ」
(きたわね)
一度目の時にもあった、マナーテストのお茶会。
今回もあってよかったわ。だって――。
(さあ、"レディー・ライラック"。ここで仕掛けた大勝負で、あなたを本当の私の師にしてみせるわ)
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