疑惑のライラック夫人
してやったりといった風に微笑む殿下に、気付かされる。
確かに、どうして彼そのものを否定しなかったのかしら。
(そ、れは、そう! あくまで私の目指すところは"聖女"として復讐を遂げるためだからよ……!)
殿下に嫌われては、一度目と同じように簡単に切り捨てられてしまうもの。
(ん? それなら、殿下に好意を持たれるように振舞ってその心を掌握しておいたほうが、復讐に近づくんじゃあ……)
刹那、心臓がぎゅっと締まった。
甘さを伴うそれではない。拒絶に近い感覚。
理由は、おそらく。
「"視野を広げる楽しみ"といえば」
殿下の声に、知らずと落ちていた視線を上げる。
「新しく就かれた教師のひとりである"レディー・ライラック"とは、うまくやれているだろうか。今日は丁度、彼女の日だったろう。妬けるな。俺の色のは纏ってはくれないというのに」
「……カトリーヌ夫人ですわね」
カトリーヌ・ハリエット伯爵夫人。
夫を持ち、齢二十五歳でありながら社交界で"レディー・ライラック"と呼ばれる彼女は、貴族の間でも影響力が強い。
その呼称の元になったライラック色の髪は、常に慎ましやかに結い上げられ。
知的な瞳と唇はめったに笑顔を見せないものの、その凛とした雰囲気に嫌味はなく。
何気ない所作も上品で艶があり、女性好きで有名だった現ハリエット伯爵も、すっかり彼女一筋の愛妻家となってしまったのは有名な話。
(おまけに教会とも繋がりがあって、聖女ネシェリの熱心な信仰者なのだもの。"妃教育"にはうってつけの人物よね)
彼女が担当するのはマナーレッスンと、聖女ネシェリにまつわる教会の教えを伝える役。
つまり、一度目の私が知り得なかった"テネスの花"について、アメリアと共謀して秘匿していた可能性が高い人物。
(一度目とは状況が変わっているけれど、彼女のアメリアびいきは一度目と同じね)
アメリアのことは熱心に褒め、失敗しても努力を讃え丁寧な指導を繰り返すというのに、私がどんなに完璧なマナーを見せようと冷めた「よろしいです」の言葉だけ。
どころか酷い時は、嫌悪の瞳で睨んでくる。
どうやらカトリーヌは、私を嫌っているよう。
一度目の時は私が"悪女"と呼ばれているせいだろうと考えていたけれど、今回も同じなところを見るに、理由は別にあるようね。
(殿下はどこまでご存じなのかしら)
ちらりとエルバードを見遣る。
彼ではないけれど、講義には必ず護衛騎士が控えているから、その気になれば私達の様子も簡単に把握できるはず。
(いえ、こんな質問をされた時点で、ほとんど把握されていると考えるべきね)
「……私は二ヵ月もご挨拶が遅れてしまいましたから。カトリーヌ夫人の良き生徒のひとりとして、出来得る限りの敬意をはらったまでです」
「公爵令嬢たるあなたが伯爵夫人に"敬意"とは。本当に変わられたな、あなたは。だからこそ、申し訳なく思っている」
「え?」
「想定外だった」と苦笑を浮かべる殿下に、信じられない心地で目を瞬く。
「教師の選出は俺が主導している。無論、最終的には陛下の承認が必要ではあるのだが……彼女が適任だと据え置いたのは俺だ。あなたを困惑させる意図はなかった。望まれるのなら、他の者に変えよう」
(本当に、殿下ったらどうしてしまったのかしら)
私に謝辞を述べたばかりか、私が望めば、カトリーヌを変えるですって?
動揺を押し込めるようにして持ちあげたカップに口をつけ、乾いた唇を紅茶で湿らせる。
(これこそ"好機"というものなのかしら)
ここで殿下に頼み教師を変えてもらえば、この二ヵ月間で必死にカトリーヌに取り入っていたアメリアの努力は水の泡。
さらには"テネスの花"の秘匿についても、回避できるかもしれない。
(どうすれば一番賢いかなんて、一目瞭然)
――だけど。
「……ご心配いただき恐縮ですわ、殿下。ですが今しばらく、私に時間をくださいませんか」
(教師を変えるだけでは、復讐にならないもの)
カトリーヌを私の味方につけて、アメリアの手駒を奪ってみせる。
(そうしたら、ねえ、アメリア。あなたはその時、どんな顔で絶望してくれるのかしら)
腹の奥から湧き上がる愉悦に、私は悠然と微笑んでみせた。
「戦わずして逃げるだけは、性に合いませんもの。必ずや、カトリーヌ夫人の"一番の生徒"になってみせますわ」
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