縁などあるはずのなかった仕立て人
「ヘレン、いるかしら?」
首都の外れにある小さな仕立て屋、"ベルリール"。
扉をコツコツと叩くと、ほんの数秒足らずで「ミーシャお嬢様……っ!」と扉が開かれた。
二つに結って纏められた、ダークブラウンの髪。
丸眼鏡で覆われた赤褐色の瞳は私の顔を見るなり、ぶわりと涙を浮かべ、
「おかえりなさいませ、お嬢様……っ! ご帰宅を心よりお待ちしておりましたっ!」
事前に来訪を告げる手紙を出していたからだろう。
お入りくださいっ! と通された店内には、小さな丸テーブルと椅子が二脚。
机上には、すでにクッキーの乗ったお皿と空のティーセットが用意されている。
私がヘレンの促してくれた椅子の片方に腰かけると、ヘレンは「ちょっと失礼しますね」と、少し離れたところに簡易椅子を置いた。
お供として付いて来てくれていたソフィーに、座るよう声をかけてくれる。
そうしてソフィーが座ったのを確認してやっと、私の対面に腰かけた。
「本当に、ワタシったら、ろくにお礼も出来ないままで……」
「お礼だなんて。こちらこそ、素敵なドレスを間に合わせてくれて、本当に助かったわ」
殿下の誕生日パーティーで着用した、銀色のドレス。
そのドレスを仕立ててくれたのが、この鼻周りのそばかすが愛らしいヘレン・ケラティである。
平民出身である彼女がお針子として働き始めたのは、十歳の頃。
その誠実さと繊細な仕事ぶりがかわれ、顧客であったケラティ男爵夫人の養子となった。
その後も着実にお針子としての経験と実力を身に着けていき、十七歳の誕生日を機に、自身の店を構えたのだけれど。
一年経ってもなかなか繁盛せず、他よりも裕福な平民や商人の奥様を相手に、細々と続けている。
(貴族にとってドレスは、社交の道具の一つでもあるものね)
力のある家門であればあるほど、わざわざ名の知れない仕立て屋のドレスを買うはずがない。
いかに他の憧れる有名店の、新作を身に付けられるか。
女性には女性の戦いがあるから。
だから公爵令嬢である私は本来、彼女のドレスを身に着けるどころか、彼女の店に来ることすらあり得ない。
ならばどうして、彼女のドレスを選んだのか。
(今回のヘレンも、マメな性格でよかったわ)
店の存続に不安を抱えていたヘレンは、なんとか有力貴族の顧客を得ようと、手紙を出して回っていた。
手紙にはドレスのデザイン画と、店の住所。それと、刺繍の施されたハンカチが一枚。
一度目の私は、同封されたハンカチの刺繍の繊細さに、驚いたものだったけれど。
彼女の知名度の低さに「話にならないわね」と手紙を破り、ハンカチと共に処分させた。
けれどヘレンはそれから何度も、何度も手紙を送って来て。
私が殿下の洗礼を祝うパーティーを境に「悪女」の噂を強めた後でも、それは続いた。
(結局、五年ほどは手紙が届いていたのだっけ)
気が付けば届かなくなった手紙。諦めたのか、見限ったのか、はたまたお店が潰れたのか。
一度目の私は、特に調べもしなかった。
その頃には、"悪女"との取引を渋るようになった店が、数え切れないほどあったから。
(一度くらい、訪ねてみれば良かったわ)
目的が私の矜持を保っていた肩書にしろ、資金にしろ。
ヘレンは私を見捨てずにいてくれた一人だったのだと、気付けたのはこの二度目。
だから、彼女を思い出したのだろう。
急遽ドレスの変更を決めた、ルベルト殿下のパーティー。
懇意にしていた有名店は当然、何か月も前から新規の受付を停止中。
私の知り得る店はどこも注文が立て込んでいて、新たなドレスを短期間で仕立ててくれるほどの余裕はないだろうと、簡単に推察できた。
一度目と同じドレスか、間に合わせの既製品か。
頭を悩ませていた時に思い出したのが、ヘレンだった。
ソフィーに頼んで手紙を確認してもらうと、予想通り、ヘレンからの手紙が届いていて。
急ぎ連絡をとり、訪れた私にヘレンは心底驚いていた。
まるで私の"悪女"の噂など知らないかのような歓迎ぶり。
私は慎重に彼女の出方を伺いながら、殿下のパーティーに間に合わせたい旨と、"新しい"デザインのドレスをお願いしたいのだと告げた。
ヘレンは、悩んでいた。
無理もないことね。だって、内容が内容なのだもの。
けれど彼女は否定を口にする前に、「やってみます。いえ、やらせてくださいっ!」と引き受けてくれた。
(大変だったでしょうに、文句よりも"お礼"を気にしてくれているなんて)
「ごめんなさい。もっとこの店の宣伝をするつもりだったのだけれど、トラブルが起きてしまって」
「そんな! あんな素敵なドレスを仕立てる機会をいただけただけで、じゅうぶんに幸運なことです!」
勢いよくぶんぶんと手と顔を振るヘレンに、私は「あら、駄目よ」とクスリと零す。
「店を育てたいのなら、もっと貪欲にならなきゃ。でも、心配ないわ。これから注文が押し寄せてくるようにしてみせるから」
「! ということは、先日お届けしたドレスもお気に召していただけたのですね!」
殿下のパーティーで着るドレスを注文した際、普段使いのドレスも数点注文させてもらった。
ヘレンはパーティードレスを仕立てた後、すぐに次の仕立てを始めてくれたのだろう。
屋敷には、すでに一着が届けられていた。
「ええ、とっても素晴らしい仕上がりだったわ。淡いライラックが今の季節に似合いで、お兄様とのお茶会でさっそく使わせてもらったの。着心地も良くて、あればかり着たくなってしまうわ」
ヘレンが照れたようにして頬を掻く。
「良かったです。お嬢様が屋敷を離れていらっしゃることは聞いていたのですが、季節も変わりますし、一着だけでもお届け出来たらと急いだかいがありました!」
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