銀狼は真の聖女を回帰させる
死後の世界とは、意外にも明るい場所らしい。
瞼の裏に感じた穏やかな光と、身を包む柔らく温かな感覚に、目を開ける。
刹那、私は呆然と呟いた。
「どういうこと……?」
見えた天井、正確には天蓋の内側はよく知る自室のもの。
がばりと上体を起こせば、間違いなく自分の生まれ育った屋敷の、自室にあるベッドの上だ。
ズキリと頭が痛む。
「私……あの時、ルベルト殿下に胸を……」
そう、胸を貫かれた。
急いで視線を落とすも、そこには可憐な寝衣だけ。
痛みも、ない。おかしい。
確かに貫かれた痛みと熱を覚えているのに――。
「え?」
胸元に寄せた手が視界に入り、違和感に声が漏れる。
記憶よりも小さい、少女の手。
思い起こせばこの寝衣も、随分と前に処分させたはず。
「まさか」
ベッドから飛び降り、鏡の前に立つ。
写っているのは間違いなく私。
けれど記憶にあるそれよりもはるかにうら若い、少女の姿。
「これはいったい……何が起きたの?」
「やっと目が覚めたか」
「!?」
振り返ろうとした私の頭上に現れた、私と同じ銀色の、美しい毛並みを持つ獣。
狼だ。人の子供程の大きさで、今の少女姿の私ならばその背にしがみ付けるだろう。
突如として狼が現れたのなら、即座に逃げるべきなのだけれど。
眼前のそれが普通の狼ではないのだと、一目でわかる。
なぜならふわりと降り立ったその身体を、美しい青の薄光が包んでいるから。
「まさか……精霊?」
かつて聖女ネシェリが使役していたものの、今となっては神殿の教皇ですらその姿を見れなくなってしまった存在。
だが姿を見れる者がいなくなってしまっただけであって、精霊は今もこの帝国に息づいている。
ネシェリの巫女であればきっと、いつか彼らの姿が見えるだろうと。
そう、お妃教育で教えられた。
「ほう、知っていたか」
銀狼は感心したように金の眼を細め、
「我が名はリューネ。聖女、ネシェリの愛し子である少女よ。どうか我ら精霊族を救ってほしい」
「精霊族を、救う……?」
リューネと名乗った銀狼は「そうだ」と頷き、
「そなたは我々、精霊族が回帰させた」
「!」
どうして、と息を呑んだ私の心中を読んだかのように、リューネは口を開く。
「ネシェリの巫女であるそなたの死後、この国の有様は酷いものだった」
ガブリエラの巫女とされた私の遺体が、あの洞窟に葬られた後。
ほどなくして、アメリアは聖女として洗礼を受けたという。
多くの人々に愛されていたアメリアが聖女となったことで、国中は熱狂。
多大なる祝福を受けながら、ルベルト殿下とアメリアの結婚式が執り行われた。
誰もがこの国の安泰と、更なる繁栄を確信していた。
ただ一人、真実を知るアメリアを除いて。
「ガブリエラの封印は元より徐々に薄れていたが、あの巫女が皇后となったと同時に、一気に加速した。ガブリエラの魔力はあの巫女に吸収されていった。そのたびにあの女の魅了に惑わされ、傀儡となる者が増えていった。ガブリエラは強欲と快楽の権化だ。あの巫女の欲を満たすため、重税を課された人々が細り、土地は痩せた。度重なる争いによって数多の大地が穢れ、精霊族も、多くがその存在を失った」
「……精霊族が好むのは、豊かで清らかな自然。荒廃した地では、生きられないから?」
「その通りだ。だが我々精霊族は、聖女ネシェリの導きなくこの国を離れられない。だから全てが消え失せてしまう前に、手を打った」
「それが、私の回帰」
「そうだ。ついてこれたのは私だけだったが、皆、そなたの復活を心より願っていた」
「……それなら」
それなら、どうしてもっと早く。
前回の生の時に姿を見せ、助けてくれなかったのか。
(いいえ、気づけなかったのは私だわ)
聖女とは慈愛に祈り、献身の心を持って周囲を導く存在。
一度目の生の私は使用人に当たり散らし、他の令嬢に手をあげ、媚びる子息にも傲慢に振る舞いプライドを傷つけた。
金の聖女に、銀の悪女。
社交界でそう噂れていたのを、知らなかったわけではない。
(それもこれも全て、アメリアを守るために)
アメリアだけを拠り所にして、彼女しか見ようとしなかった"悪女"の私に、精霊が見えるはずもない。
「私になにを望むの?」
「ただ一つ。ガブリエラの巫女に打ち勝ち、今度こそネシェリの巫女として洗礼を受けてほしい」
「……そう」
身体の奥深くから湧き上がる憎悪と歓喜に、私は己の腕を抱く。
「心配せずとも、死ぬのはあの子だわ。次はもう、騙されない」
ああ、アメリア。愛おしい、私と対の運命を持つ子。
私を死に追いやって、さぞかし嬉しかったのでしょうね。
死の間際に見た、あなたの真の微笑み。
私を本当に葬り去りたかったのなら、あの顔は見せるべきではなかった。
そうすれば、愚かな私は死んでもなおあなたを信じ続けて、甦ったとしても、決してその愛を疑わなかったでしょうから。
「残念だわ、アメリア。あなたの良い"お姉様"でいたかったのに」
鏡に映る己の姿に彼女を重ね、指先でそっと撫でる。
その時だった。
トントン、と。まるで内側の人間を気遣うようなノックの音に、私はリューネを見遣る。
「問題ない。私の姿はネシェリの巫女であるそなたにしか見えない」
私は安堵に頷いてから、
「入っていいわ」
途端、「お嬢様!?」と勢いよく開かれた扉。
転がるように駆けこんで来たひとりの侍女が、私の足下で膝を折り抱き着いてくる。
「ああ、ミーシャお嬢様! お目覚めになられたのですね……!」
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