恋ではなくても戻るべきところ
落ち着くのよ、ミーシャ。殿下の真意はわからずとも、所詮はアメリアを選ぶ男なのだから。
私はこほんと咳ばらいをして、
「アメリアはきっと、花嫁姿も愛らしいかと」
「……俺は、ミーシャ嬢に訊ねたのだが」
刹那、ぐらりと小舟が揺れた。
けれどもそれはほんの一瞬で、私が「キャッ」と上体を揺らした直後には、その身体はしっかりと細くも強い腕に支えられていた。
殿下が移動したのだ。
私の対面から、私の隣へ。
「でんっ」
「なぜ、手柄を他の者に譲った」
「!」
(エルバードから報告があったのね)
「……私はただ、思いついただけにすぎません。それが"運良く"、原因となり得る可能性が高かっただけですわ。もっとも、本当に鉛弾が原因だったのかどうか、調査団の結果を待たなければ何一つわかりませんが」
「だとしても、あなたから公爵に、俺に、直接報告をしたのなら、あなたの功績として称えられていたはずだ。社交界での噂も風向きが変わり、この地での"謹慎"も解かれていただろう」
ミーシャ嬢、と。
殿下は私の背に回した腕に力を込める。
「他者を使ったのは、この地に少しでも長く留まるためか。本気で、この地を。あの少年の側を、望んでいるのか」
殿下は私の髪を優しくすくい取り、恭しい口づけを落とす。
「俺はあなたを、もっと知りたい」
「っ!」
私を捕らえるルビーレッドの瞳。
熱く、強い想いを込めて見下ろす目に、私はただ戸惑う。
(殿下は本気で、アメリアではなく私を?)
――いいえ。
たとえ殿下の興味が私に向いていようと、これは一時的なこと。
それこそ私が殿下に好意を抱いて接すれば、彼は途端に心を変えて、アメリアへ愛を囁くのだろう。
殿下を信頼していないわけではない。
ただ、その心が純粋に私を求めているのだと。
今後、変わることはないのだと信じれるほど、私は愚かではなくなってしまった。
(私が知るのは、私を嫌って疎み、この胸を貫いた殿下だけ)
一時の"気の迷い"に動じて、今回も"悪女"とされるわけにはいかない。
そのためにも。
「"星"は遠くから眺めるからこそ、美しいのではないでしょうか。その実を暴いてしまっては、二度と"美しい"などと思えなくなってしまうのでは?」
私は殿下の腕を軽く押して、拒絶を示す。
けして心を暴かせない、一度目で身に着けた"淑女"の笑みを浮かべ、
「私は、殿下には私の綺麗な姿だけを見ていてほしいですわ」
「ミーシャ嬢……」
「そろそろ戻ってはいかがでしょう、殿下。暖かくなってきたとはいえ、湖の上はまだ涼しいですから」
***
館で用意されたお茶とお菓子を共に食した後、ルベルト殿下は調査団のキャンプに向かった。
そこで一晩を過ごし、朝にはこの地を発っていった。
まさしく弾丸視察。
まだ十二歳だとはいえ、その聡明さから既に数多の国政に関わっていると聞いていたけれど、想像以上の忙しさだ。
その多忙な中で、わざわざ私と過ごす時間を設けてくれた。
彼の色を組み込んだ、贈り物まで持って。
(これまでの殿下からは、想像もつかないわね)
一度目の彼もアメリアと私に贈り物をしてくれていたけれど、どれも優劣なく、無難なモノばかりだったように記憶している。
アメリアの性格上、自分だけが特別な贈り物を受け取っていたとしたら、"うっかり"と見せかけて私に自慢してきたでしょうから、きっとこの記憶に相違はない。
(あれらはきっと、使用人に選ばせていたのね)
無難すぎて、殿下の意図など何一つ汲み取れなかったし、あんな風に彼から贈り物に関して言及したことなどなかったもの。
この帽子はおそらく、初めて彼が己の意志を込めた贈り物。
(殿下は私に、何を望んでいるのかしら)
恋、ではない。
あの目には恋をしていた頃の私のような、夢見る甘さはなかった。
なら、あの熱はなんと呼べばいいのだろう。
映した全てを見透かすような、閉じ込め捕らえ、離さんとするような。
(私を貫いた時の目にも、似た熱が見え隠れしていたような……)
「本当に、首都にはお戻りにならないおつもりなのですか。ミーシャ様」
湖畔を散歩していた私の数歩後ろから、エルバードが訊ねてくる。
シルクは村での仕事があるからと、今日は不在だ。
エルバードとこうして二人で外出するのは、随分と久しい。
「エルバード卿、殿下のお側が恋しいのでしたら、先に戻られていいのですよ」
「意地悪なことをおっしゃらないでください。これでもそれなりに、ミーシャ様とは信頼関係を築いてきたつもりなんですから」
真面目に述べるエルバード卿に、思わず笑みが漏れる。
ちらりと伺った彼の表情には、隠し切れない罪悪感が漂っていて、私はこっそりと嘆息する。
(殿下が側に置くわけだわ)
十七という若さゆえだけではないだろう。
エルバードは誠実だし、感情に素直だ。
私は「そうね」と歩を止め、くるりとエルバードを振り返る。
「私がこうして美しいネルル湖を散歩できるのも、エルバード卿が大量の水鳥の死骸を捌いてくれたおかげですもの。それに……お忙しいルベルト殿下が、わざわざ会いに来てくださったのだって。エルバード卿の"おかげ"でしょう?」
エルバードが歩を止める。
苦々しく顔を歪め、ぐっと拳を握ると、
「……私の護衛を、拒絶されますか」
予感はあったのだろう。
ただ、私の拒絶を受け入れる覚悟が、出来ていなかっただけ。
「いいえ」
私はエルバードに向かって歩を進める。
俯く彼の頬に、下からそっと両手を伸ばし、
「私も、エルバード卿とはそれなりに信頼関係を育めているものだと考えていますわ。少なくとも、私を"星"などと呼ぶ人よりは」
「ミーシャ嬢……っ」
戸惑ったように顔を跳ね上げるエルバードの頬と耳は赤い。
私はふふ、と意地悪に笑んで手を引く。
「予定通り、二ヵ月きっかりで首都に戻りますのでご安心を。必要ならば、殿下にもそうお伝えください」
視線を投げたネルル湖から、水鳥が一羽飛び立つ。
埋められたあの子たちと同じ、けれども土汚れのいっさいない、真っ白な羽。
私はその羽が青い空に広がり行く様を見届け、
「私は、聖女候補ですもの。自由が許される身ではないと、心得ていますから」
「なら」
エルバード卿は一瞬、しまったと言うような顔をした。思わずだったのだろう。
私が視線で先を促すと、彼は一度ためらってから、口を開く。
「なら、"聖女候補"でなくなったその後は……?」
「おもしろいことを訊ねるのですね、エルバード卿」
私は耐えきれずに、くすくすと笑う。
ひとしきり笑って呼吸を整えてから、
「"聖女候補"でなくなった後は、皇室と神殿の首輪付きか、この心臓はもう動いていないかのどちらかですわ」
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