殿下の襲来
にっと得意げに笑んでみせると、シルクは「ミーシャ、お前なあ」と深い息をついて、
「俺以外にそんなこと言うなよ? ミーシャを脅して金を奪ってやろうとか、馬鹿なことを考えそうなヤツだっているんだからさ」
「もちろんよ。シルク相手だから言えるの。シルクは私のお金を奪おうだなんて考えないでしょ?」
「当然だろ。例え俺の腹が減りすぎて死にそうになったって、ミーシャのモノを奪うくらいなら、その場で舌を噛み切るさ」
「それは困るわ。私はシルクに生きていてほしいもの」
「例えばの話だって」
館の建つ丘を上っていた私は、ふと足を止めて、振り返る。
開けた野原。小さくて貧しいけれど、助け合って暮らしている人々。
私を笑顔で受け入れてくれて、時には感謝に涙まで流してくれて。
そして、何より……。
「ミーシャ?」
ぬけるような青い空と、太陽を反射して輝く湖畔を背に、不思議そうなオレンジの瞳が小首を傾げる。
聖女でも、悪女でもなく。
私を"私"として、受け止めてくれる人。
「……私、こっちに住もうかしら」
「え!?」
明らかな驚愕の声を上げたシルクに、私はくすりと笑んで、
「じょうだ……」
「いいなそれ!」
「……え?」
シルクはガシリと私の手を握って、
「流行りの飯も煌びやかなドレスもないけど、草花や季節の移り変わりが綺麗だし、ほら! 風だって気持ちいいだろ! 野菜は間違いなくこっちのが新鮮だし、村の皆だってミーシャが大好きだ! あ、冬になったらネルル湖を歩くことだって出来んだぜ! 夏のうちに帰っちまうのはもったいないって。それに――」
シルクはためらったように視線を泳がせたけれど、ぐっと顔を上げ、
「俺だって、ミーシャが大好きだ。いなくなっちまったら、寂しい」
「シルク……」
心底悲しそうに眉を歪めるシルク。感情が高ぶったのか、彼は俯いてしまった。
私は手を伸ばして、その頭を優しく撫でる。
「泣かないで、シルク。私も――」
「なるほど。随分と仲のいい"友人"が出来たようだ」
「!?」
シルクを撫でていた手が、はしりと掴まれた。
覚えのある声に、私は信じられない気持ちで振り返る。
(そんな、まさか……!)
私を見下ろすルビーレッドの瞳。
コバルトブルーの髪が、青空にぽっかりと夜を塗ったかのよう。
「ルベルト殿下……!?」
殿下はゆったりと双眸を細め、
「会いにきた。美しい、俺の"星"」
***
(エルバードの言っていた"重要な仕事"って、殿下のお出迎えだったのね)
ルベルト殿下の訪問は、ルーンも知らされていなかったらしい。
私は急いで着替えさせられ、ルベルト殿下と共にネルル湖に浮かぶ小舟の上にいる。
館では今頃、殿下のおもてなしの準備に大わらわだろう。
状況が察せるからこそ、少しでも時間を稼ぐためにと大人しく小舟に揺られている。
調査団のメンバーは、エルバードによって誘導済み。
つまり、今ネルル湖にいるのは、ルベルト殿下と私だけ。
(でもない、か)
ちらりと見遣った湖畔に立つのは、エルバードとシルク。
ここでの会話は聞こえないだろうほどに離れていて、表情はよくわからない。
「俺がいるというのに、別の男を見るのか?」
茶化すように肩をすくめる殿下に、私は視線を戻して背を正す。
「私が誰を見ようが、殿下には関係のないことだと思いますが」
「ふむ? ミーシャ嬢は俺が嫉妬しない男だと?」
「私が何をしようと殿下の嫉妬心は煽れないと、わきまえているだけですわ」
「なるほど。ミーシャ嬢が俺をおおいに誤解していることがよく分かった」
何がそんなに楽しいのか、オールを漕ぐ手を止めてくっくっと笑う殿下。
ひとしきり笑い終えて満足すると、顔を上げ、私を見つめてゆるりと微笑む。
「その帽子、よく似合っているな」
私の頭に乗せられた、夏用の帽子。
陽ざしを遮るよう大きく開いたブリム。クラウンの下部にはコバルトブルーの布が巻かれ、同色の布と銀の布で作られたリボンがあしらわれている。
ルベルト殿下からの、贈り物。
(嫌な予感がしすぎて、あまり触れたくはないデザインね)
とはいえ殿下のお言葉を無視するワケにはいかない。
私はにこりと当たり障りのない笑みを浮かべ、
「素敵な贈り物をありがとうございます、殿下。ところで、本日はどうしてこちらに?」
「言ったろう、ミーシャ嬢に会いに来た」
「私に、ですか……?」
何のために、と隠さない私の表情に、殿下はやはり楽し気にしながら、
「その帽子を見れば分かる通り、俺はなかなかに嫉妬深い。目の届かないところで、大切な"星"を奪われてはたまらないからな」
「殿下は随分とご冗談がお好きですのね。これまで私の好意を袖にされておきながら、今度は奪われたくはないなどと。心配せずとも、私が"聖女"と認定されましたら、国のために役目を果たしますわ」
「国のため、だけか」
殿下はじっと私を見つめ、
「俺のための花嫁には、なってはくれないのか」
「な……っ!?」
(おかしいわ。殿下ってこんなに人をからかうのがお好きだったかしら)
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!
気に入りましたら、ブックマークや下部の☆→★にて応援頂けますと励みになります!