月明りの謝罪
「護衛もつけないでこんな夜に、なーにしてんだ」
庭園でぼんやり空を見上げていた背後から、知った声。
私は寝衣の肩にかけたショールを羽織りなおしながら振り向き、「シルク」と声の主の名を呼ぶ。
「今夜は月が綺麗だと思って」
「ふうん? 俺には形が違うだけで、毎日同じに見えるけどな」
並んだシルクが目を細めて、同じようにして月を見上げる。
それから少しだけ迷ったようにして、「色々とありがとな」と呟いた。
「俺はもちろんだけど、母ちゃんとラナの風呂と服まで面倒みてもらっちゃってさ」
ラナ、というのはシルクの妹のこと。
まだ五歳になったばかりで、初めは私に怯えた様子だったけれど、チョコレートをあげたらすぐに打ち解けてくれた。
純粋で、可愛らしい子。
お風呂に入れて、私のお古のドレスを一緒に選んで着せて。
お嬢様になったみたい! と満面の笑みではしゃいでいた彼女は、夕食のデザートを食べると同時に眠りについてしまった。
そのためシルクとラナ、そして二人のお母様の三人は、今夜一晩を館の客室で過ごすことになった。
シルクも寝る間際だったのだろう。すでにリラックスした寝衣に着替えていて、昼間のような快活さはなりを潜めている。
「母ちゃんなんて感動で泣いていたし、ラナはこれからずっとあのドレスしか着ないなんて言ってたぜ。どーせすぐ汚して泣くのは、目に見えてんのにさ」
「ふふ、汚れたらまた違う服をあげるわ。私もまだここに滞在する予定だし、私の小さい頃のドレスなんて、取っておいてもどうにもならないもの。あんなに可愛い子が喜んでくれるのなら、いくらあげても惜しくないわ」
「いや、あんまりあげすぎると調子に乗るから、ほどほどで頼む」
「あら、誰かさんにそっくりね」
「そりゃそうだ。俺の妹なんだから、似ていて当然だろ」
なぜか自慢げに胸をはるシルクに、思わず笑みが零れる。
「お母様も。とっても優しくて、いい人」
シルクのお母親には、ソフィーのお古の外出着を渡した。
いくら今、館の主人が私だとはいえ、亡きお母様の私物を好き勝手に触るわけにはいかないから。
シルクの父親は、数年前、狩猟中に不慮の事故に遭い亡くなったのだという。
それからはシルクが父親の代わりとなり、力仕事や村での労働を請け負い、お母様と共に一家を支えているのだとか。
(羨ましい、なんて言ったら嫌味に聞こえるかしら)
気兼ねなく言い合える可愛い妹に、子供の命を救うためなら身代わりになるのも厭わない母親。
三人を迎えた夕食の席は賑やかで、楽しくて。そして温かな愛に溢れていた。
私には、望んでも叶えられない光景。
「ミーシャお嬢様」
らしくない呼び方をしたシルクが、居住まいを正して頭を下げる。
「数々の非礼をお詫びさせてください。……領地に遊びにきたお嬢様の、丁度いい暇つぶしにされたんだと思ってたんだ。どうせなにもできない"お嬢様"だと馬鹿にして、村の大人たちにあしらわれていた八つ当たりみたいに、嫌がらせをしちまった。本当に、ごめん」
柔らかそうな赤い髪が、私より低い位置で揺らめく。
「……私に謝罪しながらも"申し訳ありません"ではなく"ごめん"と言えるのは、あなたくらいなものだわ、シルク」
「あ!? だってお上品な言葉とか、俺、よく知らなくって……!」
「責めているわけではないの。ただ、新鮮なだけよ。けれど、そうね……。ラナのことを思うのなら、もう少しデリカシーというものを覚えることをお勧めするわ。そうでないと、彼女が"レディ"になった時に嫌われてしまうわよ。同じ"妹"としての、忠告」
「な……っ!? ……お兄さんのこと、嫌いなのか」
「……少し前まではね。今は努力してくれるから、そうでもないわ」
「……それなら、さ」
シルクはためらいを振り切るようにして、
「俺のことも、努力したら、許してくれるか?」
「…………え?」
「ミーシャ・ロレンツ」
シルクは忠誠を誓う騎士さながらに、片膝を地につき、私の右手を掬い上げる。
「お嬢様は俺の恩人だ。いいや、俺だけじゃない。母ちゃんの、ラナの、そしてこの村に住む全ての人の。こんなにも賢くて優しいお嬢様が、"悪女"ななずがない。今度はお嬢様を悪く言う全てから、俺が守ってやる。だから……これからもこうして会って、話をして、側にいてもいいって許しがほしい。これからはちゃんと大事に接するって、約束するから」
「シルク……」
私を見つめるオレンジの瞳が、月明りを反射して黄金色に艶めく。
私は自由な左手で、そっと彼の右頬に触れ、
「あなたの瞳は本当に綺麗ね、シルク」
「あのなあ、お嬢様。俺は冗談とか遊びじゃなくて、本気でお願いをしてるんだけど」
「ふふ、駄目ねシルク。私の"騎士"になりたいのなら、"お嬢様の瞳のほうが美しいです"って返さなきゃ」
「ああ!? 待った、もう一回!」
「冗談よ」
慌てふためくシルクがおかしくて、私はくつくつと笑む。
(本当、こんなにも楽しい夜は初めてだわ)
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