"悪女"に捕らわれた少年は磨かれる
「お嬢様! お願いですから、なにかお考えがあってのことでしたら先に教えてください! このままでは私の心臓がいくつあっても足りません!」
「驚かせてごめんなさい、ソフィー。けれど思いついてしまったからには、湖に入る必要があったのよ」
真っ青な顔のエルバードに抱きかかえられ館に戻った私は、これまた一気に血の気を失ったソフィーによって手早く湯浴みをさせられ、新たな服に袖を通した。
他の使用人たちも、随分と驚かせてしまったみたい。
自室には、身体が冷えてしまっているだろうからと用意された、温かな紅茶とチョコレート。
くすぐったい気持ちでありがたく口に含みながら、ソフィーに髪を整えてもらっている。
ソフィーの小言はまだ尽きない。
けれどもそうまで心配されていることが嬉しくて、つい頬を緩めながら謝罪を繰り返していると、コツコツと扉がノックされた。
「お待たせいたしました、ミーシャお嬢様。村長を連れて参りました」
「ありがとう、ルーン。今いくわ」
(さすが、別荘とはいえロレンツ家の執事。仕事が早いわね)
けれどもここが本邸だったなら、こうはいかなかっただろう。
私がびしょ濡れで帰ってきたところで、騒ぎ立てる使用人などおらず。ソフィーが指示するまでは、誰一人として湯浴みの準備に取り掛からない。
ましてや、こんな温かい紅茶とチョコレートなんて。
(本当に、ザハールの使用人は優秀ね)
階段を降り、応接室へ向かう。
扉前で待機していたルーンによって開かれた扉をくぐった途端、五十は越えているだろう男が「申し訳ございません!」と怯えたように叫んだ。
床についた堅い筋肉を感じさせる腕に額を擦りつけ、丸めた身体をがくがくと震わせる。
「けして! けして隠そうとしていたわけではないのです! これといった原因もわかりませんでしたし、少し経てば収まるだろう些細な事象で、ご領主様のお手を煩わせるわけにはいかないと考えた次第でして……!」
「…………」
コツリと踵を鳴らした私の足音に、床に額を擦りつける男――村長はさらに震えあがったかと思うと、その後ろで同じように頭を下げていた女性に「おい!」と声を荒げた。
乱雑にまとめられた髪。つぎはぎだらけの服。
皺と細やかな傷が目立つ手に擦り付けていた顔を少しだけ上げた女性が、「どうか、どうか息子の命だけは!」と涙を零す。
(息子?)
艶のない赤い髪に、涙に潤んだオレンジの瞳。
(もしかして……)
「シルクのお母様ですか」
「こっ、このたびは息子がとんでもないご無礼を……っ! 昔から、無鉄砲な子ではあるのです。それがまさか、お嬢様のお手を煩わせるほどだったとは思わず……。お嬢様のお怒りはもっともでございます! ですが、ですが私にはかけがえのない大切な息子なのでございます……! 罰はどんな罰でも、私が代わりに! ですのでどうか、どうか囚われている息子の命だけは、何卒ご慈悲を……っ!」
「……何やら誤解が生じているようですね」
まあ、無理もないことね。
村の大人たちは、随分と前から私が"悪女"だと噂しているもの。
私はふうと息をついて歩を進め、再び顔を伏せた女性の前に立つ。
それから両膝を床につき、眼前の小刻みに震える肩にそっと触れた。
「お顔を上げてください、シルクのお母様。謝る必要などありません。罰だなんて、とんでもない話ですわ」
「……え?」
私は怯えの表情を向けてくる女性に、出来るだけ優しく微笑みかけてから、
「村長。正義感が強く村思いのシルクに、感謝すべきですわね」
「は……い?」
シルク、と名を呼ぶと、ルーンによって開かれた扉からシルクが現れた。
途端に女性がはっと息をのむ。
「シルク、その姿は……?」
女性と村長が唖然とするのも無理はない。
乱雑に跳ね、ぼさぼさだった赤い髪は艶を持ち、浅黒かった肌は見るからに滑らかな弾力を取り戻している。
纏う服は汚れと損傷の目立つボロではなく、少々型は古いけれど仕立てのいいシャツとズボン。
ウエストが落ちてこないよう、サスペンダーで吊り下げている。
更には磨かれた靴まで揃って、黙っていればどこかの貴族の子息……とまではいかなくとも、お屋敷勤めのボーイくらいには見えるだろう。
(お兄様の服を残してくれていて、助かったわ)
知らぬ間に変貌した息子の姿が、未だに信じられないのか。
瞬きすら忘れて硬直する女性に、シルクは照れくさそうにうっすらと染まった頬を掻く。
「ミーシャお嬢様が用意してくださったんだ。なかなか様になってるだろ? あ、そうそう聞いてくれよ! 俺、初めて泡が雲みたいにもこもこしている風呂に入ったんだぜ!」
キラキラと瞳を輝かせ語る興奮気味のシルクに、戸惑いを隠しきれない村長と女性が言葉を発せないまま立ちすくむ。
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