領地でのたった一人の訪問者
「ミーシャお嬢様! 本日のスープはお口に合いましたでしょうか。今朝採れたばかりの野菜をふんだんに使用し、じっくり煮込んだのですが、お目覚めの身体は温まりましたか?」
「お花はどのようなお色がお好みですか、お嬢様。お部屋も館も、お嬢様のお好みのもので飾りましょう」
「お嬢様、お出かけになられるのでしたら、傘をお持ちください。こちらは日差しが強くなってきましたから」
(私が来るのを心待ちにしてくれているというソフィーの話は、本当だったのね……)
至れり尽くせりの使用人たちから逃れた私は、ソフィーとエルバードを連れ立ち庭園を散歩しながら、小さく息をつく。
庭園といっても、首都の屋敷と比べたらかなり小規模だけれど。
館が緩やかな丘の上にあるからか、少し視線を上げれば豊かな緑や花々が地続きに望めて、清々しい開放感に包まれる。
「お疲れになられましたか? お嬢様。思うところがおありでしたら、ルーンさんにお伝えしたほうが……」
「ううん、ちょっとびっくりしただけよ。私、前に来た時にはいっぱい迷惑かけちゃったでしょ? だからザハールの館の皆には、嫌われていると思っていたから……」
「なにをおっしゃいます! 前回こちらに来られた時、お嬢様はまだ五歳でいらっしゃいました。五歳の子供が思うままに振舞うのは、自然なことでございますよ」
それと、と。
ソフィーはふふっ、とどこかくすぐったそうな笑みを浮かべ、
「お嬢様がエルバード様に、当家の使用人は優秀な者ばかりだとおっしゃったと聞いて、感激し張り切っている部分もあるようです」
「な!? 誰がその話を……っ!?」
「ルーン様にございます。使用人にとって、主人からの賞賛はなによりの誉れですから」
(そんなこと言われたら、止めてほしいなんていえないじゃない……!)
私は熱くなった頬を隠すようにしてしゃがみ、美しく開いた薔薇の花弁をつつく。と、
「あの、無礼ながらお尋ねしても良いでしょうか。嫌でしたら、答えずとも結構ですので」
「……なんでしょう、エルバード卿」
「お嬢様は、使用人に尽くされることに慣れていらっしゃらないのですか」
「…………」
(エルバード卿って整った顔をしているくせに、女性経験がないのかしら)
デリカシーがないというか、ずけずけと入り込んでくるというか。
脳裏に、身近なデリカシーのない兄、オルガの顔が浮かぶ。
多少方向性は違えど、どこか似た雰囲気を感じる。
悪意がないぶん、どうにも邪険に出来ないのもそっくり。
「……御覧の通り、ソフィーが尽くしてくれていますし、屋敷での生活に不便を感じたことはありません」
ただ、と。
私は立ち上がり、エルバード卿を見つめる。
「愛されることに、慣れていないだけですわ」
「!」
はっとしたような顔で、エルバード卿が息を呑む。
その時だった。
「お前!! ここのりょーしゅか!?」
「!?」
「ミーシャ様!」
庭園の柵の外から届いた声に、エルバード卿が私を庇うようにして立つ。
警戒するようにして腰の剣を抜いたと同時に、柵の外でぴょこぴょこと現れては消える赤い髪。
「なあ! そこにいんだろ!? 話を聞いてくれよ! 本気でやべーんだ!」
(少年の声……?)
あまり私と変わらなそうな声に警戒を緩めた私は、
「私に話があるのなら、門から訪ねてきてくださる?」
「! わかった! すぐ行くから待っててくれよ!」
話しながら走り出したのだろう。
徐々に遠ざかる声に、駆ける音が重なる。
「お嬢様、よろしいのですか?」
不安げに尋ねてくるソフィーと、心配そうに眉根を寄せるエルバード。
私は「そうねえ」と思考を巡らせながら、
「会ってみないことには、わからないわ」
***
「は? こんなガキがりょーしゅ?」
事情を伝えに行ったエルバードとルーンに連れられ応接室に現れた少年が、信じられないものを見るようにして私を指さす。
すかさずルーンが「無礼にございますぞ」とたしなめるも、少年は「だって」と唇を尖らせ不満気だ。
ほとんど櫛を入れずに束ねているのだろう、一つに結ばれた真っ赤な髪。
服はあちらこちらに縫い合わせた跡があり、落としきれない汚れで染まっている。
私より少し上……殿下と同じくらいの年頃だろうか。
明るいオレンジの目は私とルーン、そして私の側へと歩を進めたエルバードへと忙しなく移り変わり、やがて諦めたようにして私にとどまった。
(この子、どこかで見たことがあるような……)
「アンタがりょーしゅなら、すっげえ偉いんだろ」
「正確にお伝えするのなら、領主は私のお父様よ。私は領主の娘でしかないけれど、あなたよりは偉いでしょうね」
「なら、頼む!」
少年は突然両膝を折り、頭を床に擦り付ける。
「助けてくれ! 湖が変なんだ!」
「湖が……?」
私の視線を受けて、ルーンが少年に、
「湖というのは、ネルル湖のことですかな」
「そうだ! どう見てもおかしいのに、村の大人たちは気のせいだって俺を馬鹿にすんだ!」
水鳥が死んでるんだよ! と。
必死になって叫ぶ少年に、一度目の記憶がフラッシュバックする。
(そういえば、一度目のザハールでの謹慎中にも、子供が押しかけてきたような……)
一度目の時は当館の護衛が門前で彼を待機させ、ルーン伝手に彼の主張を聞いた。
けれども私は、まったく取り合わず。「汚らわしい! 早く追い返しなさい!」と声を荒げ、顔を見ることもなく追い返したのだった。
けれども彼はその後も何度か訪ねてきて。
あまりにしつこいものだから、腹に据えかねた私は扉を開き、直接宣言した。
「アンタの家族もろとも鞭で打たれたくなければ、二度と尋ねてこないでちょうだい!」
結果として、彼の訪問は止んだけれど、ここザハールといえばなネルル湖の生物が大量に死滅してしまう事件が起きて。
お父様に顔も見たくないとひどく貶されたのだっけ。
「……ルーン、少し出て来るわ。エルバード卿、一緒に来ていただけるかしら」
「! 私は、構いませんが」
驚愕を隠しもせず、エルバードは戸惑ったようにしてルーンを見遣る。
ルーンは恭しく頭を下げると、
「かしこまりました、お嬢様。いってらっしゃいませ」
「来てくれるのか!」
少年が歓喜に顔を咲かせる。
が、途端にその顔を曇らせ、
「けどなあ、お前とその兄ちゃんだけなのか? もっと別の大人にも来てもらったほうが……」
「お名前を教えてくださる?」
「俺のか? 俺はシルク」
「なら、シルク」
私はソファーから立ち上がり、
「今、この館の主は私なの。案内してちょうだい」
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