理由の見えない指先への口づけ
向かってくる殿下の姿に、私達は揃って淑女の礼をとる。
(おかしいわ)
一度目の時は、私に叩かれた令嬢の一人が騒ぎ立てたことで見張り番の騎士が騒動に気付き、報告を受けた殿下が現れた。
けれど今回は誰も叩いてはいないし、騒動というには静かなものだったはず。
証拠に見張り番の騎士の姿はおろか、声さえかけられていない。
「説明を。……ミーシャ嬢」
(え? 私?)
突然の指名に戸惑いながらも、私は背を正し、
「エリアーナ様をはじめとするご令嬢方が、私とアメリアにとっても特別であるこの日を、お祝いしてくださっただけにございます。経緯に少々誤解がありました故、小さな衝突がございましたが……既に和解済みにございます。お騒がせして申し訳ありませんでした」
「殿下! おそれながら発言の許可をいただきたくございます!」
エリアーナはたまらずといった風にして声を上げ、
「すべては私の至らなさが原因にございます……! ミーシャ様は、その寛大なお心をもって、私達の無礼を許してくださいました。ミーシャ様は私どもに巻き込まれただけにございます……!」
(エリアーナ……)
気丈な発言とは反対に、その手は隠し切れないほどに震えている。
怖いのだろう。無理もない。
これまで何度かお茶を交わしていた私やアメリアと違い、令嬢たちにとってルベルト殿下はそれこそ天の星のような存在なのだから。
(それでも、私を庇おうとしてくれているのね)
アメリアではなく、私を。
「……ミーシャ嬢」
ルベルト殿下がふいと視線を私に寄こす。
「彼女たちへの罰は、あなたに委ねよう」
(私に?)
いったいどんな風の吹き回し?
からかわれているのだろうかと身構えてしまうけれど、ルベルト殿下はじっと私を見据えたまま。
(……本気のようね)
「……でしたら、殿下を祝するパーティーにて騒動を起こした罪として、三日間の自宅謹慎を願います」
「問うのはあくまで"騒動を起こした"罪だけか」
「それ以外に、彼女たちに罪はありませんから」
「……なるほど。あなたがそう言うのなら」
殿下はすっとアメリアを見遣り、
「アメリア嬢も異論はないな?」
「あ……」
アメリアは躊躇ったようにして視線を落とすも、ぎゅっと手を握りしめ、
「はい。ミーシャお姉様に従います」
(従う、ね。言葉選びがいちいち上手ね)
殿下に従うではなく、私に従う。
まるで私とミーシャの間に明確な力関係があり、私が命じているかのような言い回し。
殿下がその言葉をどう受け止めたのかはわからないけれど。
特に変わらない平坦さで「そうか」と視線を令嬢たちに戻し、
「そろそろいい頃合いだろう。貴女らはこのまま帰られることをお勧めする。処罰については、ミーシャ嬢の言う通りに」
次いで殿下は私を見遣ると、右手を差し出してきた。
「あなたの兄上が血相を変えて探している。お連れしよう」
「あ」
(そういえば、オルガには何も言わずに出て来てしまったわ)
こんなにも時間がかかるとは思わなかったから、少しくらい平気だろうと思ってしまった。
驚くほどに過保護になってしまった今のオルガなら、殿下の言葉通り、必死に私を探してくれているに違いない。
(それにしても、ダンスの時といい、殿下はいったい何を考えているのかしら)
一度目のこの時では、ショックを受けているアメリアを支えるようにして、彼女の手を引いていったはずだけれど。
(私が騒動の首謀者ではないから? 伯爵令嬢と公爵令嬢なら、公爵家を尊重するのは当然だものね)
ちらりと視線だけで見遣ったアメリアは、悲痛な顔で口元を覆っている。
その姿はまるで、なぜ自分ではないのかと叫び出したい衝動を、耐えるかのような。
(いい気味だわ)
「……お手数をおかけします、ルベルト殿下」
殿下は手をとった私を伴って歩きながら、
「いいや。俺もあなたを探していたから、丁度良かった」
「私をですか?」
「ああ」
「帰る前にもう一度、会っておきたかった」
歩を止めたルベルト殿下は、私の顔を覗き込むようにして、
「星を手にしたいと望むのなら、まずは望んだ者として気づいてもらわねば、他に目移りされてしまうだろう?」
「え……?」
凪いだ風がコバルトブルーの髪を揺らし、私の銀と混ざり合う。
殿下は私の右手を掬い上げると、
「今宵のあなたには、ルビーレッドよりもコバルトブルーが似合うな」
指先にそっと落とされた唇に、「殿下……っ!」と戸惑いを発した刹那、
「ミーシャ! 無事か!?」
「お兄様!?」
息をきらして現れたオルガに、殿下がすっと身を引く。
オルガはそんな殿下にも気づいていないように、転げるようにして駆けてきて、
「俺としたことが、二度も……! すまなかったミーシャ!」
抱きしめてくる腕には、安堵と懺悔。
私は慌ててその背を撫で、
「いいえ、私が黙っていなくなってしまったのが悪かったのです。ごめんなさい、お兄様」
「そうだな、離れるのなら一言欲しかったことは否めないが……ともかく、怪我はないか? 誰かに嫌なことを言われたりはしていないか?」
「お友達のご令嬢が、内緒でお祝いをしてくれただけですわ。私が悲しむことなど何一つありませんでした」
(そう、何一つ、ね)
オルガは「そうか」とやっとのことで身体を離す。
すると、沈黙を貫いていた殿下が低く呟いた。
「……貴殿らは仲が良いのだな」
「ルベルト殿下」
やっとのことで気が付いたかのようにして、腕を組んだ殿下にオルガが頭を下げる。
「ご迷惑をおかけし、大変申し訳ありませんでした。殿下のお手をわずらわせた処罰は、兄である私がいくらでも――」
「いいや、必要ない。行方知れずとなった婚約者を探すのは当然のことだからな。それに……おかげで一時とはいえ、有意義な時間も過ごせた」
殿下がさりげなく自身の唇に指先で触れる。
その仕草に先ほどの出来事が思い起こされて、つい、羞恥に頬が熱くなる。
(なっ、なんなの一体……!?)
私と殿下の視線のやり取りに、鈍いオルガが気付くはずもなく。
「は、寛大なお心遣い、痛み入ります」
オルガと揃って頭を下げた私は、「お兄様」とその腕を引く。
「殿下も許して下さったことですし、そろそろ帰りましょう」
「む、そうか。それでは殿下、今夜はこれにて失礼いたします」
殿下は「ああ」と軽く頷くと、薄い微笑みを浮かべ、
「今宵は出席いただき感謝する。ゆっくり休んでくれ」
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