新月の夜に勝利の美酒を
「ミーシャ様、違うのです!」
真っ青な顔で、エリアーナが叫ぶ。
「よくわからない液体などではありません! あれは、本日を迎えられたお二人をお祝いするための、特別なワインから作ったブドウ水で……!」
「特別なワイン?」
ルディス帝国ではデビュタントを迎える十六歳まで、お酒は避けたほうが良いとされている。
けれどもワインは聖女ネシェリの恵み。
祝い事の時には、十六歳以下でも少量のワインが振舞われるのが伝統になっている。
その場合、一度沸騰させてアルコールを飛ばしてから再び冷まし、ブドウ水とするのが通例だけれども……。
(よく考えれば、エリアーナに私達を陥れる理由がないわ)
彼女はひたすらに、私達に媚びをうっていた。
私が悪女として周囲に避けられるようになってからは、とにかくアメリアに気に入られようと、私の目を盗んで度々お茶会や贈り物をしていた記憶がある。
あの時はエリアーナがそれほどまでに必死だった理由を、深く考えていなかったけれど――。
(確か、今から数年後、カスタ家は資金の傾きが深刻だと公になるはずだわ)
なら、既にこの頃から雲行きが怪しくなっていたと考えるほうが自然。
少しでも有力な後ろ盾を得ようと、密やかに行動を始めていてもおかしくはない。
だとすると、あのグラスの中身は――。
(リューネ)
「なんだ。……嫌な感じがすると思えばあの娘か。外ではネシェリの加護が薄い」
ふわりと現れたリューネはふるりと首を振り、銀の毛をなびかせ、億劫そうな瞳でアメリアを一瞥する。
私は周囲に気付かれないよう、目だけでちらりとリューネを見遣って、
(もし私が毒を飲んだとしたら、リューネは助けてくれるのかしら)
「ふむ。効能と強さにもよるな。少量でも死に至る劇薬ならば、治癒を施したところでそなたの身体は耐えられないだろう。私が力を使うということは、そなたの聖力を使うも同然だからな」
(それなら、ちょっとした毒ならなんとかなるということね)
「毒を飲むのか」
(違うことを祈るわ)
決意を固めた私は歩を進め、ワイングラスを持つ令嬢に近づく。
「お姉様……?」
背後から聞こえた不安気なアメリアの声には、振り返らない。
私に近寄られた令嬢は、「あ……お許しください」とか細い声を絞り出し、がくがくと恐怖に身体を震わせている。
「……いただくわ」
「え?」
その手から、ワイングラスをひとつ奪い取る。
そして一気に煽り、口に含んだ。
「お姉様!? なんてこと……!」
悲痛に叫ぶアメリアは、きっと胸中ではほくそ笑んでいるに違いない。
ごくりと喉を通し嚥下した私は、数秒置いて、口を開く。
「……あら、おいしいですわね」
え、と。間の抜けたアメリアの声。
指先を広げてみるも、体調に変化は感じない。
(リューネ、どう?)
「毒はなさそうだな」
(そう、やっぱり)
確信を得た私はアメリアを振り返り、
「アメリア、何をそんなに怯えているの? 美味しいブドウ水じゃない」
「そ……んな。お姉様が、飲まれるなんて」
「まさかあなた、あれだけ私達に良くしてくれているエリアーナ様が、ブドウ水に毒でも盛っていると考えたの?」
「それは……っ!」
(憐れね、アメリア。私を陥れようとして、自分が策にはまるだなんて)
私はにっこりと微笑んで、
「そうね。聖女候補としてお披露目された後ですもの。過敏になるのは無理もないわ。くれぐれも周囲には気を付けなさいと、お父様からも言われているでしょうし……。ごめんなさい、エリアーナ様、皆様。同じ聖女候補のひとりとして、私から謝罪させていただきますわ」
そちらのブドウ水もいただきますわね、と。
私はもう一つのワイングラスを受け取る。と、
「おっ、お姉様ともあろうお方が、少々軽率ではありませんか……!? ミーシャお姉様になにかあったなら、私、私……っ!」
ほろほろと涙を零すアメリアを、私は冷静な視線で見遣る。
(さすがだわ、アメリア。自分の分が悪いと判断して、健気さを強調して同情を誘おうというのね)
でもね、アメリア。
私はあなたの知る、愚かで無知な十歳の"お姉様"ではないの。
「ありがとう、アメリア。でもね、私はエリアーナ様も皆様のことも、信じているの」
「……っ!」
ぐっと言葉を飲み込んだアメリアの隣で、エリアーナが「ミーシャ様……っ!」と地に両膝をつく。
彼女は「混乱を招いてしまい、大変申し訳ございませんでした」と祈るようにして両手を組み、ポロポロと涙を零しながら、
「こちらのワインは、お二人の誕生を祝って発売されたものにございます。当家で大切に保管していたのですが、お二人が正式にお披露目されたこの良き日に、ぜひ召し上がっていただけたらとお持ちしたのです。どうしても、今夜でなければ意味がありませんでした。なぜなら今夜は……新月ですから」
新月。お告げで聖女の巫女と悪女の巫女が生まれると予言された、月の隠れる日。
だから私とアメリアにとって、新月は特別なもの。
エリアーナは尚も言葉を続け、
「会場でお渡しすることも考えたのですが、今夜の主役はあくまでルベルト殿下にございます。なのでこのように外でならと考えたのですが……それが余計に、誤解を招いてしまったようです。大変、申し訳ございません。……信じてくださってありがとうございます、ミーシャ様」
感謝に頭を下げたエリアーナに倣うようにして、他の令嬢たちも頭を下げる。
(これでもう、あなたにもはっきりとわかったでしょう? アメリア)
私はエリアーナに近づき、「顔を上げてください」とその肩にそっと触れた。
「お祝いのお気持ち、大変嬉しくいただきましたわ。こちらこそ、とんだ早とちりで騒ぎ立ててしまい申し訳ありません。どうか今夜のことで見限らず、今後とも仲良くしてくださると嬉しいですわ」
「見限るだなんて……! 寛大なお心に感謝いたします、ミーシャ様」
私を見上げる瞳には、羨望と敬愛。
他の令嬢たちも同様の瞳で、私を見つめている。
(私の勝ちね、アメリア)
気付かれないよう顔を傾け、くっと口端に勝利の笑みを浮かべた、刹那。
「――なんの騒ぎだ」
「! ルベルト殿下……!?」
(どうしてここに……?)
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