後悔してください、お父様
「……この邸に来る許可を出した覚えはない」
「"当主"の了承を得ておりますわ」
暗に"あなたに決定権はない"と含めると、お父様は今にも怒鳴り出しそうな顔をする。
以前の私ならば多少なりとも怯んでいたでしょうけれど、今となっては馬鹿馬鹿しささえ浮かんでくる。
私は笑みを絶やさずに睨み上げたまま、
「お母様から素敵な贈り物をいただきましたわ。遺した物は、なんでも好きにしてよいそうです。こちらの邸にもお母様のお部屋がありますでしょう? 見せていただきますわ」
「なっ……ふざけるな! お前なぞが触れていい物など一つも――」
「どれだけお母様を蔑ろにすれば気が済むのですか、お父様」
「……なに?」
「言いましたでしょう? お母様から、素敵な贈り物をいただいたと。全てを……お父様がお母様を救うためにと薬を飲ませたことも、お母様は全て教えてくださいましたわ」
抱えていた手記を差し出すと、お父様は「それは……どこでそれを……っ!」と目に見えて狼狽えた。
(見覚えがあるみたいね)
「お母様の鏡台に。皇后陛下から、鍵をいただきました」
「彼女の部屋に入ったのか! お前の立ち入りは禁じていただろう!」
「あなたはもう"当主"ではありませんわ! それに、ロレンツ公爵家からお母様を奪ったのも、お父様ではありませんか!」
「なにを……っ! 彼女はお前を産んだせいで死んだんだ! お前さえ生まれてこなければ、今でも笑って――」
「私を"聖女の巫女"として産むと決めたのはお母様ですのに、私を喪っても笑っていると?」
「!」
(ああ、お母様の記した通り、お父様は知っていたのね)
私はいったい、この人の何をそんなにも恐れていたのかしら。
始めから存在そのものを拒絶されていたのだから、どれだけ耐えたところで無償の愛を得ることなど不可能だったのに。
たとえ公爵家から追放されたとしても、"聖女の巫女候補"の肩書がある限り、皇家がこの身を保護してくれたでしょうに。
(この人はただ――現実から目を背けてばかりの、臆病者だわ)
「裏切られたというのに、お母様はお父様を信頼していましたわ。自分の分も私を愛してほしいと頼んだから、安心して運命の時を迎えられると。頑固だけれど頼れるお父様が寄り添ってくださるから、幸せになっているはずだとまで記されていました。なのに……お父様は私を愛するどころか、お母様の全てを隠してしまわれた。お母様の決断と切なる願いも踏みにじり、ロレンツ公爵家からお母様の存在を消したのは、紛れもなくお父様です!」
「ち……ちがう、俺は、彼女を心から愛していて……っ」
「ならお父様、愛するお母様に報告してくださいな。お母様の死後、私をどう扱ったのか。幼いお兄様に、どんな責務を背負わせたのか。お母様がその命を捧げ守り通した子供たちに与えた仕打ちも、当主としての役目を放棄した体たらくさも、全てはお母様への愛ゆえだと説明すれば、お母様は変わらず微笑んでくださるのでしょう?」
「…………っ!」
どさりと両膝を折り頭を抱えるお父様を、冷めた目で見下ろす。
憐れな人。だからと都合の良い空想に逃げ続ける姿を見守ってあげるほど、私は優しくもなければ、お父様を愛してもいないわ。
「後悔してください、お父様」
これは紛れもない、私の復讐。
お母様は望まないでしょうけれど、この人を許すことは出来ない。
「過ぎ去った時間は取り戻せません。今後どれだけ最愛の人の祈りを無下にした事実を悔いても、残されていた僅かな温もりをその手で閉じ込め無いものとした己の愚かさを嘆いたとしても、その罪は消えません。お父様にまだ良心が残っているのならば、残りの生はお母様への懺悔に費やしてくださいませ。……少なくとも私は、お父様を許すことはありませんわ」
項垂れるようにして床を見つめ続けるこの小さな男に、私の怒りは、お母様の真意は、届いているのだろうか。
(もう、どちらでもいいわ)
目の前の男は、幼かった私が求め続けた"父親"ではないのだから。
――やっと、決別の時よ。
「お母様が私へと遺してくださったものは、いただいて行きますわ。お母様もそれを望んでいらっしゃいましたし、私はお母様に顔向けできないような年月を重ねたわけではありませんから」
もしかしたら、この人を目にするのは最後かもれない。
未練はない。背を向け、黙って事を見守っていた執事を見遣る。
「お母様のお部屋に案内してくださる?」
「……どうぞ、こちらへ」
深々と頭を下げる彼は、悲し気な顔で崩れ落ちたままの男を見た。
振り切るようにして、歩きだす。制止の声はない。
(長くこの別邸で仕えていたのでしょうから、私のことを良く思っていない可能性が高いわね)
構わないわ。どうせこの別邸に来るのも、これで最後になるでしょうし。
すると、廊下を進んでいた執事が、ふと足を止めた。
「こちらがお嬢様のお部屋になります」
「……私はお母様のお部屋に案内してほしいと言ったはずなのだけれど。それに、この家に宿泊する予定はないわ」
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