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嫌いだった兄の頼もしいエスコート

 使用人のひとりから果実水のグラスを受け取って、壁際へ。

 どうせ私にダンスを申し込みにくる男なんていやしないでしょうけれど、リューネの存在を感じるからか、不思議と孤独感はない。


(どうせだから、食事を思いっきり楽しんでおこうかしら)


「失礼、レディ」


 頭上から降ってきた低い声に、え、と顔を上げる。

 歳は二十を少し超えたくらいかしら。

 美麗な紳士服に身を包み、にこりと胡散臭い笑みを浮かべた男が、「先ほどはとても素敵なダンスでした」と褒めたたえる。


(……擦り寄ってきたくせに、名乗らないのね)


 一度目の、"悪女"として社交界を渡り歩いていた際の経験が、違和感を訴える。

 悪女とはいえ私は聖女候補で、殿下の婚約者候補。

 当初は"万が一"にかけ、私に気に入られようとおだててくる人間もいなかったわけではない。

 権力目当ての彼らは必ず、その家名を名乗った。そうでないと、意味がないから。


(この男は、意図的に伏せているようだわ)


 脳裏に弾き出された、ある可能性。

 パーティーや夜会では、一晩限りの関係を楽しみに来る者も多い。

 そうした場合は、相手に素性を知られると後が面倒だからと、わざと名を伏せる。

 慣れた者同士なら、それが合図となる場合もあると聞いたことがあるけれど……。


(正気なの? 今の私はまだ十歳なのよ)


 だが貴族ではそうした趣味を持つ者も珍しくはない、と。

 頭では理解していても、こうして実際に遭遇すると吐き気がする。


「……お褒めいただき、恐縮ですわ」


「いやはや、こうしたパーティーは初めてでしょうに、殿下のパートナーとして完璧に踊れるなど並大抵のことではありません。きっと、僕には想像も出来ないほど、努力されたのでしょうね」


「……殿下に恥をかかせるわけにはいきませんから」


(経験のない、無知な小娘だと思って騙そうとしているのね)


 聖女候補の公爵令嬢であるというのに、家族にすら邪険に扱われる可哀想な少女。

 愛に飢えた子供ならば、ちょっと優しくしてあげれば簡単に騙され、信頼を得られる。


 ましてや殿下の婚約者候補という立場上、その身に"不幸な間違い"が起きたとしても。

 一族は名誉が傷つくのを恐れ表にせず、ひた隠しにするはず。


(おおかた、そんなところかしら)


 前回の私がこうした手の者から無事だったのは、とにかくアメリアにくっついて、話しかけてきた相手は等しく一蹴していたからだろう。

 まさか、意図せずアメリアも"虫除け"として役立っていたなんて。


 そんな冷ややかな私の思考など知りもせず、男は「なんといじらしい!」と大袈裟に嘆いてみせて、私の右手を掬い上げる。


「そんなにも身を費やして挑まれたパーティーだというのに、今夜はこれで終いでは勿体ないでしょう? 殿下はお忙しいでしょうし、どうです? よろしければこの先は僕がエスコートを……」


 男が身を屈め、私の指先に口付けようとした刹那。


「そこまでだ。妹の手を離してもらおう」


(オルガ……!?)


「妹のエスコートは俺の役目でな。悪いが返してもらえるか」


 体裁など取り繕わない、厳しい顔で言い放つオルガに男が震えあがり、「失礼いたしました」と逃げていく。

 あきらかに男の方が年上だろうに、逆転して見えるのは、オルガの堂々たる立ち振る舞いのせいだろう。

 無様な背が会場を出るまで睨みつけていたオルガは、やっとのことで私に視線を移すと、


「すまなかった、ミーシャ。俺が挨拶周りに手間取っていたばかりに……! 怪我はないか? 触れられたのは手だけか?」


 己のハンカチを取り出し、ごしごしと私の手を拭くオルガ。


「は、はい。挨拶をされていただけです」


(本当、殿下といい、どうしてこんなにも変わってしまったかしら)


 オルガの心からの反省と後悔を滲ませる表情に、私は胸中で疑問を募らせる。


(それとも、彼らは初めから"こう"だったのかしら)


 変わったのは私だけ。

 ならば一度目の彼らが私を疎んでいたのは、彼らが"悪"だったからではなく、私の振る舞いに影響されて――。


「ミーシャ、体調が悪いのならどこかで休むか?」


「あ……少し、怖かっただけです。お兄様が来てくださったので、もう平気ですわ」


 虚を突かれたように目を丸めたオルガは、「そ、そうか」と照れ臭そうに咳払いをひとつ。


「なら……、お前がまだ疲れていないのなら、ダンスを申し込みたいのだが」


「え? お兄様がですか?」


「ああ。ミーシャとは踊ったことがないしな。それに、俺と踊っておけば、多少は一人でも歩きやすくなるだろう。これでも俺は社交界で顔が知られているからな」


 堂々と言ってのけるオルガに、思わず笑みがこぼれる。


(変ね。オルガのこと、あんなにも嫌っていたのに)


「お兄様さえよろしければ、是非ともご一緒させてください」


(今はこの腕が、頼もしく思える)


 オルガの腕に指先を添えると、彼は分かりやすく破顔して「よし、他の子息令嬢どもを蹴散らしてやるか」と歩き出す。


(この場でオルガと踊れるのは、私にとっても好都合だわ)


 家族からも厄介者扱いされ、見放された悪女。

 前回では当然だった噂も、オルガと踊れば避けられるだろう。


(ここまで良くしてくれるのなら、少しくらい、お礼もしてあげないとよね)


「ところでお兄様。アメリアには、後程ダンスをお申込みになられるのですか? それでしたら、私も一緒にお願いしてみますが」


「なあ!? い、いや、あー……そうだな。アメリア嬢とも踊れれば、光栄なことだが……きっと、俺の番になる前に疲れてしまうだろう」


(あら? アメリア相手だと相変わらず奥手なのね)


 てっきり喜んで頼んでくるかと思いきや、予想外の反応。

 かといって無理に勧めるものでもないしと、私は「わかりました」と頷き、


「では、気合を入れてお兄様のパートナーを務めさせていただきますわ。お兄様はもちろん、ロレンツ家の名に傷をつけるわけにはいきませんもの。……私は、お兄様の妹ですから」


 告げた私を見下ろして、オルガはどこか嬉し気に瞳を和らげる。


「その通りだな。頼んだぞ、ミーシャ」

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます!

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