惜しみない愛に感謝を
「殿下の懸念はもっともだ。だが……俺はまだ決断出来ずにいた。父上も、これまでどれだけミーシャが"ロレンツ公爵家"に尽してくれていたかを考えれば、ミーシャを助けるほかないはずだと。……ミーシャにとっても、そのほうがいいのではないかと考えていたんだ」
殿下の遣いから受け取った適格調査の実施告知書を手に、お父様の根城であるブルッサムの別邸へ向かったオルガは、まずはお父様に私の状況を説明したのだという。
「父上は、ミーシャが囚われていることをご存じだった。それならば話が早い。裁判に出席し、ミーシャを連れ帰ってほしいと頼んだのだが……必要ない、と言ったんだ。あろうことか、"審判の日"を待つ手間が省けただろうと」
(……そんなことだろうと思ったわ)
長年、私を拒絶していた人だもの。
私を"厄介払い"するために裁判に出席してこなかっただけ、幸運だったようね。
安堵を覚えている私とは裏腹に、「俺は己がいかに甘かったかを実感した!」とオルガが机に拳を叩きつける。
「僅かな望みにかけ、お父様に進言した。これまでロレンツ公爵家が"公爵家"として維持できていたのは、ひとえにミーシャのお陰だと! 領地の改革に加え、ミーシャが立ち上げた事業による収益がなければ、我々は"公爵家"としての品位を維持するも難しくなっていたのは、火を見るより明らかだ。だが、だがお父様は……っ」
オルガが首を振る。
きつく握られた手は、その力強さを物語るようにして色が変わっている。
「大袈裟だとおっしゃったんだ。むしろ、ミーシャが"好き勝手"出来ていることこそが公爵家の恩恵であり、"余計なこと"をしなければ、我が公爵家はもっと繁栄していたに違いないと。……そこでやっと、俺は理解した。お父様はすでに、"当主"としての慧眼を失っていると」
(私と違ってお父様への尊敬を忘れていなかったオルガにとって、とても辛い判断だったでしょうね)
「……それで、お父様に皇家からの適格調査の告知書を渡されたのですね」
「ああ。これまで俺が"当主代理"として数々の業務を担っていたのは、社交会でも暗黙の了解だった。だが皇家からの調査が入るとなると、事情が変わってくる。帳簿の確認に使用人の聞き取り、当然、当主本人への尋問だって避けられない。……父上は、答えられないだろう。随分と前からほとんど本邸に戻ってこず、今では重要書類に関する信書にも返信がないほどだからな」
「……お父様もそれをわかっていたからこそ、お兄様に当主をお譲りになられたのですね。適格調査で、不適格の烙印を押される前に」
「そういうことだ。暗黙の了解が公の事実となるか否かでは、まったく異なるからな。……父上はとっくに、俺達の"当主"などではなかったということだ」
どこか投げやりな風に吐き捨て、オルガはナイフとフォークで肉を切りはじめる。
ろくに教えられないまま、必要にかられて"当主代理"としての仕事をこなすオルガを、ずっと間近で見てきた。
のしかかる責務と増えていく業務のせいで、オルガがろくに"若者らしく遊ぶ時間"を楽しめかったことも。
それでも彼がほとんど弱音をはくことなく真摯に業務をこなしていたのは、お父様への尊敬と期待が根本にあったからだというのに。
(一度目の時は気が付かなかったけれど、お父様はオルガのことも裏切っていたのね)
「お兄様が当主となられたのですから、お父様の今後もお兄様がお決めになられるのですよね? どうされるのですか」
「これまで通り、ブルッサムの別邸で過ごされるよう言い置いてきた。それが俺達にとっても最善だろう。お父様が滞在していることで、あの地の領民が出来る限りの秩序を保っているのも事実だしな」
「……そうですわね」
(当主の座を手放したとはいえ、お父様にとってはさほど苦しくはない結末ね)
本音をいえば、もっと苦悩に打ちひしがれる様を見たかったのだけれど。
オルガに免じて、大人しくしていてあげるわ。……今は。
(あとで、殿下にお礼の手紙を送ろうかしら)
裁判官に自宅待機を命じられている間は、基本的に他者の訪問を受け入れられない。
手紙も、検閲をうける可能性が高いから、当たり障りのない言葉しかしたためられないけれど。
この、彼が引き出してくれた心の内を。
感謝の中に潜む恋しさを、伝えたい。
「――お食事中失礼いたします、旦那様、お嬢様」
「どうした、マークス」
オルガを"旦那様"と呼ぶマークスには、一切の躊躇いがない。
当然よね。あんなにお父様に忠実だったマークスすら、随分と前からお父様よりもオルガと業務を進めることが多かったのだもの。
(お父様がブルッサムの別邸にマークスを同行させなくなった時から、こうなることは決まっていたのかもしれないわね)
入室してきた彼は「急ぎ、お伝えしたいことが」と恭しく頭を下げると、後方へ目配せをした。
「ルベルト殿下より、ミーシャお嬢様宛ての贈り物が届いております」
すっと入室してきたのはソフィー。
その手に抱かれているのは。
「っ、ネリーシェの花だと……っ!?」
私よりも早く、動揺に叫んだオルガが立ち上がる。
「お届けになられたのは、殿下か? まだ待っていらっしゃるのなら、俺が出て――」
「いえ、お届けくださったのは遣いの騎士でいらっしゃいます。付け加えるのなら、すでに出立済みです」
こちらを、とソフィーが嬉し気にリボンの飾られた花を手渡してくれる。
よく見るとリボンの根本には、小さなメッセージカードが。
『あなたに会える日まで、毎日贈ろう。邸宅の居心地の良さに、あなたを待ち望む哀れな男を忘れられては困るからな』
話すその声が耳元で聞こえたような心地がして、ついくすりと笑む。
(私を逃さないためとはいえ、随分と思い切ったことをするものね)
「再び殿下とお会いになる日まで、毎日ネリーシェの花を送ってくださるそうですわ」
「なに!? 毎日!?」
まさしく絶句、の状態で口をあんぐりと空けていたオルガは、疲れたように目元を覆いながらどさりと着席する。
「殿下も非情な方だな。やっとミーシャを取り戻せたというのに、兄妹水入らずのひと時すら許してくださらないとは」
ミーシャ、と。オルガは切実な顔で私を見つめ、
「重ねるが、結婚は遅くていいからな」
そうしてほしいと隠さない物言いは、オルガの私に対する愛情。
疑うことなく察せた私は、寂しがってくれる兄の気持ちが嬉しくて、「善処しますわ」と微笑んだ。
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