50話 無垢なる怒り
〈右からくるぞ!〉
「あらよっとぉ!」
右側からビーゼルが高速で殴打を繰り出してくる。カフィーの合図でなんとか避けることができているが、相手の動きが一切見えないソティアとってはあまりにも苦しい戦いだった。
「どうした避けるだけか!? さっきの技はどうしたぁ!?」
「ううっ……」
いくら攻撃を逃れたところで、ビーゼルの猛攻が止まる訳ではない。
ソティアはビーゼルの攻撃を避けるたびに体力を削られていくが、ビーゼルは息一つ切らす様子が微塵も見えない。
〈俺があいつの足場を崩す。その隙にお前は一撃かましてやれ〉
(分かった!)
ビーゼルから逃げる中でソティアはビーゼルを油断させるため、その場に倒れるふりをする。
「何やってんだぁ! おらぁ!」
〈"ブレイク"〉
「どぅわ!」
予想通り、ビーゼルはすかさずソティアに蹴りをお見舞いしようとする。そのビーゼルが片足を持ち上げるのを見計らって、カフィーが相手の足場を落とし穴のように崩す。
「"バースト"!」
崩れた足場にめがけて間髪入れずに攻撃を放つ。
「うわぁぁ!」
あまりにも至近距離で放った攻撃だっため、すぐそばで爆発が起こり、その勢いでソティアは吹き飛とんでしまう。
〈大丈夫か?〉
「な、何とか……」
〈だが、今のはかなり効いたはずだぞ〉
煙が立ち込める場所に目を向ける。確かに今のはかなり手応えがあった。至近距離からのバーストは破壊力も絶大である。仮に、もしこれで駄目ならかなり厳しい戦いになるのだが……。
「あイッテ~。今のは死ぬかと思ったぜ!」
「嘘……」
〈まぁ、そう簡単にもいかないか〉
大きく広がった窪みから、ビーゼルが飛び出してくる。埃をかぶり服装はボロボロになっていたが、表情はいたって余裕そうなままで、にやにやと笑っていた。
「攻撃を見ずに避けるわ、危ねぇ技ぶちかましてくるわでなんなんだ、お前?」
「………」
「気味が悪りぃ。ここらでいっちょ、かましてやるとするか」
ビーゼルが腰のポーチから再び音叉を取り出し、前に構える。
「震わせろ、"レゾナンス"!」
そう言うと、ビーゼルはもう一度人差し指で音叉を弾く。フォーン、と鈍い音があたりに響く。
〈まただ。あいつの源力量が跳ね上がった〉
「次は俺が仕掛ける番だ……。これで終わりにしようじゃないか……」
先ほど音叉を弾いたかと思うと、ビーゼルはさらにもう一度音叉を薬指ではじく。今度はピキィィィ、と耳に響くと不快な音が鳴り響く。
「うっ……この音は……」
〈む! 何か仕掛けてくるぞ!〉
ビーゼルがこちらに手のひらを向けている。その手の中から風の渦のようなものが現れる。その一連の動作は間違いなくこちらを狙ってのものだった。
「くたば……」
「"ヒートスモーク"!」
「ぐわッ! 熱ぅ!」
ソティアに放たれようとしていたビーゼルの技が、間一髪。サントリナによって阻止される。
「サントリナ!」
「ガキィ……! まだ懲りてないねぇのか!」
「私もッ! いるわよッ!」
「ぬぅわ!」
煙を払いのけているビーゼルにめがけてネオンは飛び出し、一撃パンチをお見舞いする。ネオンの拳がビーゼルの腹部にめきめきとめり込み、そのまま吹っ飛ばしていく。
「ふ、二人とも平気なの……?」
「結構ギリギリですが、なんとか」
「私たちの心配は大丈夫。それよりソティアこそ無事?」
「うん……」
全員ここに到達する前よりもかなり酷い姿になってしまったが、気力はまだまだ充分にあるようだ。流石にここまでの戦いで、ビーゼル自身も痛手を負っているはずである。こちらの体力が尽きる前に、早いところケリをつけなければならない。
「今のは、なかなかにいい一撃だったぜ!」
「くそっ……、これでもまだへらへらできるっていうの……?」
そんなソティアたちの気持ちを嘲笑うかのように、ビーゼルは地面を踏み鳴らしながらこちらにゆっくりとその歩みを進めてくる。
彼から、未だに余裕の表情は消えない。
「今、お前たちが何考えてるか当ててやろうか? 早く決着をつけたいんだろ?」
ビーゼルはソティアたちから少し離れた一定の距離まで近づいてくると、一度その歩みを止めてそう言った。まるでこちらの考えを見透かしているかのように。
「だったら、何だって言うのよ!」
ビーゼルの挑発的な口調に耐えかねたのか、ネオンがとっさに立ち上がり、大剣をビーゼルに放り投げる。
しかし、ビーゼルはそれを手持ちの音叉でいとも容易く振り払う。はじかれた大剣が宙を舞い、少し離れた場所に突き刺さった。
「くっ……」
「それはな……、俺も同じだって言いてぇんだよ!!」
何か仕掛けてくる。
そんな予感がよぎった次の瞬間、ビーゼルは大声で叫ぶとこちらにめがけて猛ダッシュで駆け抜けてくる。走るたびに地面がひび割れ、大地が揺れる。
その凄まじい勢い――。ソティアたちは成すすべがなかった。
彼が走り出した次の瞬間には、3人とも彼の殴打の餌食となっていたのだから。目にもとまらぬ速さで、顔や腹を容赦なく殴られる。
気づいたときには遠くに吹っ飛ばされ、残るような激痛だけがソティアたちを襲った。
「かはっ……!」
口から赤い液体があふれ出てくる。生暖かい。今まで感じた事のない感覚に恐怖さえ覚えてくる。
「ああっ……皆さん大丈夫なのですか!」
誰かかがこちらに駆けつけてくる音が聞こえる。声からしてプチッチだろう。朦朧とする意識の中で、プチッチの顔さえもよく見えなかった。
「はっ! 所詮はガキの集まりか。俺様には遠く及ばねぇ」
〈こいつ……〉
ビーゼルがソティアたちの横を通りすぎ、神木のある方へと歩いていく。
「ビーゼルッ! やめてください! 秘宝は何千も守ってきた私たちにとってとても大切な……」
「ああ? 安心しろ。有効的に活用してやるからな。ハハハハハ!」
「そういう問題ではないのです!」
「おい、掴んでくんなって!」
プチッチはビーゼルの足元にしがみつき、必死に抵抗の意思を見せる。だが、それでもビーゼルは歩みを止めることは無かった。プチッチはそのままの状態で引きづられてしまう。
(プチッチを助けないと! そう誓ったのに……!)
重たい手を伸ばして、力を込める。意識を集中させ、源力を手のひらに集めていく。
「"バースト"!」
「ん?」
なけなしの源力で放った一撃――。しかし、それでもなおビーゼルには届かなかった。視界のぼやけているソティアにはビーゼルに狙って放つほどの気力はもう残っていなかった。放たれたバーストは、ビーゼルの頬をかすめ、森の暗闇の中へと消えていく。
「はぁ……」
突然ビーゼルが足を止めて、ため息を漏らす。
「なぁ、もう諦めてくんねぇか?」
そしてビーゼルはソティアたちに向かってそう言う。
「弱者がいつまでも諦めずに抵抗したって惨めなだけだ。俺は別に、そんな惨めな奴を嬲るのを楽しく感じるほど悪趣味じゃねぇ。戦うならやっぱ固い信念をもち、それに見合う実力を持った者同士のぶつかり合い、これに限る。お前らからはそれを何も感じねぇや。だからよぉ、もう諦めろや」
ビーゼルがこちらに抵抗をやめるよう訴えかけてくる。彼から見れば、こちらは惨めでどうしようもない存在に見えているのだろう。
それがソティアにとって、とてつもなく悔しかった。プチッチに頼まれ、ここまで護衛を果たし、一つの目標であった迷宮の森攻略という試練を乗り越える所まで来たというのに。
以前のアスピダとの一戦を、彼と出会った時のことを思い出す。
こんなことではきっと灰陸なんて目指すことはできない。彼が認めてくれるとは思えないのだ。それに今回の攻略でさえ、カフィーが、皆がいてくれなければここまで辿り着く事なんてできなかった。思い返せばソティア自身はこの場所でまだ何も成せていない。ここでビーゼルを止めなければ本当に終わる。
「……諦めるなんて、できないよ……」
体に力が入らない。起き上がろうとする度に、何かがずっしりとのしかかって来るかのように重たい。それでも立ち上がらなければならない。立ち上がって、彼を阻止しなければならない。阻止して、プチッチを助け、この森を攻略したと胸を張って前に進みたかった。
〈ソティア……〉
「私は……最後まで戦うッ!」
手のひらを構え、ビーゼルに向ける。こちらを睨みつけるビーゼルに怯むことなく、戦う意思を見せる。
「……そうか。なら、仕方ねぇな」
そう言うビーゼルの口元がにやける。まるで悪魔が笑っているかのように。
「いいことを思いついた。なぁ、お前はさ、仲間が死ぬと心が折れるタイプ? それとも、怒りで燃え上がっちまうタイプ?」
「……何が、言いたいの?」
ビーゼルが悪魔的笑みを浮かべたままこちらに尋ねてくる。その笑みに、ソティアは何か悪い予感がしてしまう。
「前者ならそれで結構。後者なら……。へへ。なぁ、検証しようぜプチッチィ!」
「うぁあ!」
ビーゼルが素早い動きで、プチッチの頭を乱暴に鷲掴みにする。プチッチは何もできないままビーゼルの手によってそのまま目の前に晒上げられてしまう。
ビーゼルが何をしようとしているのか、ソティアは分かりたくなかった。だが、嫌でも彼が何を考えているのか、想像できてしまう。自分の顔から血の気が引いていくのを感じる。
「お願い……やめて……」
「今からこいつの頭を吹っ飛ばす! おいプチッチ! なんで自分が選ばれたか分かるかァ!? たまたま俺の近くにいてしまったからだよォ! それだけの理由でお前は今から死ぬんだァァァ!」
「嫌だ……! 痛い! 痛いよぉ!」
プチッチを掴むビーゼルの手からギシギシと聞こえてはならない音が聞こえてくる。
「ウガアアアア!」
「デベ!」
デベが怒りをあらわにして、ビーゼルに突撃する。デベもプチッチを守ろうと必死だった。
「邪魔くせえええ!」
しかし、ビーゼルはデベの突撃をさっと躱すと、デベの頭を力づくで踏みつけ、遠くへ蹴り上げる。
「ウガァ……!」
デベは木の幹に背中からぶつかり、ずるずると地面に倒れる。
「そんな……」
あのデベでさえもビーゼルの前に簡単にねじ伏せられてしまった。
「分かったか? 無駄なんだよ。そんでもって、これで終わりだ」
プチッチの頭を掴む手にビーゼルが力を込めているのが分かる。
「うぐっ……ぐあああ!」
「プチッチ!」
プチッチの悲痛な声だけが、森に響き渡る。このままだと本当にプチッチが危ない。ビーゼルを止めようにも、プチッチが盾になって迂闊に攻撃を放てない。
〈ソティア! 走れえええ!〉
「ッ……! やめろォーーー!」
ビーゼルを止めようと体を震わせて走り出す。死なせたくない。それだけの思いで走る。
「ソ、ティアさん……! ごめんなさいっ……」
プチッチと目が合う。プチッチはただ申し訳なさそうな苦笑いを浮かべ、ただこちらに謝ってくる。
「プチッチ……、やめてよ……」
「さようなら森の妖精、"ビートバズーカ"」
もう遅かった――。
ビーゼルのプチッチを掴む手の平から音の衝撃波が起こり、プチッチの頭をまるで果物を潰すかの如く破裂させた。
頭を失ったプチッチの胴体が地べたにぼとりと転がり落ちる。砂埃が小さく巻き起こる。
ソティアは間に合わなかった。
プチッチを助けられなかった。
誓いを果たせなかった。
「あ……ああっ……」
声にならない声しか出ない。目の前に映る現実に頭がどうにかなってしまいそうになる。今までそこにいた存在が目の前で無残に殺された。
「声もでねぇか。結局、そんなもんなのか」
ビーゼルが感情の無い、冷ややかな声で言葉を吐き捨てる。まるで失望したかのような声。
何故、自分は失望されているのだろうか。
「てめぇ! てんめぇええええええ!」
ネオンとサントリナがビーゼルに飛び掛かる。
「はぁ……」
ビーゼルはもはやネオンたちに目を合わせる事すらしない。二人の攻撃を軽くあしらい、蹴り飛ばす。
「ぐはっ……!」
「くっそ……! くそぅ……!」
「諦めろって言ってんのがまだわからねぇのか? そこのガキはもう意気消沈してるみてぇなのにな?」
ビーゼルの嘲笑うかのような声が聞こえる。それが自分に向けての言葉だということも。
「ソティア……!」
でも、もう何も考えられなかった。
全員の言葉が耳に入っては通り抜けていく。
まるで自分はそこにあるだけの置物にでもなった気分。
「……ソティア」
「ビーゼル、こっちはもう終わったぞ。後は撤収するだけだ」
「あ? 終わったのか。そりゃいい。さっさとずらかるぞ」
「そんな……仲、間……?」
ビーゼルの元にビーゼルと同じ格好をしている仮面の集団が現れる。神木の方からやってきていた。
「まぁ少しは楽しめたか。じゃあな、弱く愚かな者たち」
ビーゼルが仮面を取り出して装着する。
そして新たに現れた仲間を引き連れて、迷宮の森の奥地から立ち去り始める。
どうしてこんなことになってしまったのか。
そんなことを今更思い返してしまう。
もう何をしても意味なんてないのに。
約束を果たせず、心も体ももうボロボロになってしまった。
自分では駄目だった。何もなしえなかった。
胸の内になんとも言えない感覚がある。
これは後悔なのだろうか。悲しみなのだろうか。
――違う。
これは目の前の理不尽に対するどうしようもない怒りだ。
悲しみも悔しみも超えた、純粋な怒りだ。
もう何もなしえないだろう。だが、ソティアは真っ白な頭の中で、たった一つの単純な考えに至った。
「お前だけは……もう許さない……」
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「ビーゼル、さっきのガキどもが例の?」
「だな。だが、期待外れだったみてぇだ」
ビーゼルは心底つまらなそうにそう言う。
「サキアのお気に入りだって聞いたから楽しみにしていたんだがな」
「何? サキア様のか?」
「おい、俺は呼び捨てなのにあいつは様付けなのかよ?」
「それはまぁ……な?」
そんなの当たり前だろ、といいたげな雰囲気で仮面の男が言う。同じ十二信徒であるビーゼルにとってこれは不服なことではあった。しかし、周囲からの信頼や、名誉なんてものにビーゼルはそこまで興味は無かった。ビーゼルにはそんなものさえ眼中には無かった。
彼が望むもの。それは過去の悲劇に対する復讐と、心沸き立つような戦いのみである。
今回の計画においてビーゼルは期待していたことがあった。
迷宮の森、三大迷宮に名を連ねるミソロギアの最難関ダンジョンの1つ。その森の奥地まで短期間で攻略した人物たち。彼女らがどれほどの実力の持ち主なのかを。
だが、それも大した存在ではなかったようだ。
戦ってみても到底ビーゼルの心には響かなかった。ビーゼルは自分の感じていた期待が失われることに酷く失望した。
『迷宮の森で君が出会うであろう少女
彼女はきっと君を楽しませてくれるだろうさ
僕が保証するよ』
この森に来る前、サキアからの言葉を思い出す。
「あんな連中をサキアはなぜ……?」
ただ、心残りはあった。これではどこか妙に腑に落ちない。
まだ何かビーゼルの心をざわつかせる漠然とした焦燥感が、頭の中に取りついていた。
だが、相手は取るに足らない子供だった。二度と立ち向かえなくなるほどに心さえもへし折ってやったつもりだ。心残りなんてあるはずが無いのだ。
「どうしたビーゼル、顔色が悪いぞ?」
「あ、ああ? なんもねぇよ。それよりさっさと帰るぞ。じめじめした森にいつまでもいるのは御免だ」
目的は果たされた。ここにもう用は無い。
ビーゼルたちがそそくさと奥地から離れようとした時だった――。
「ッ!?」
「ああ!?」
後ろから背中を逆なでするような悍ましいほどの源力を感じ取る。背中を小さい無数の針で刺されている、そんな感覚だった。
「おいおい、なんだなんだ……?」
悍ましい気配のする方を振り返る。
そこには先ほどまで言葉も出ないほどに打ちひしがれていたはずの白髪の少女の姿があった。
彼女はその場に立ち尽くし、何もせず、ただその場にいるだけだった。
だが間違いなくこの歪なオーラはあの少女から発せられていた。
「お前だけは……もう許さない……」
少女の冷酷な赤い目と青い目がビーゼルをギロリと見据える。
その視線だけですべてを見透かされているかのような感覚にさえ陥ってしまいそうになる。
「まじかよ……、石ころが宝石に変わりやがったッ……!」
「おいっ、ビーゼル!?」
「お前らはどっか離れてろ……。あれは、俺様が殺る!」
腰にしまった音叉を取り出す。
目の前の彼女はもはやただの子供ではない。
「サキア……お前の言った意味がようやく分かったぞ……!」
ビーゼルは今にも弾けてしまいそうなほどに盛り上がる感情を抑え、目の前の少女との戦いにその身を投じるのだった。