4話 再来
〈隙間風の音が聞こえるな。もうすぐ地上だろうよ〉
階段の照明は大方消えてしまい、ほぼ真っ暗の状態だった。
しかし、不思議なことに少女の右目は暗闇でも問題なく見ることができた。
この目の中にある邪龍の力の影響なのかもしれない。
そのため、照明の無かった地下道でも彼女たちは問題なく進むことができた。
「あった、地上の扉」
階段を上っていくと、扉の隙間から日の光がこぼれている。
少女は扉に手をかけ、押し上げようとする。
「あれ……?」
しかし、扉は開かず、びくともしない。
この固く閉ざされた扉を少女一人の力で開けることはできそうになかった。
〈まぁ落ち着け、手を扉の前にかざしてみろ〉
「え……?」
〈いいからとりあえずやってみろ〉
「わ、分かった……」
邪龍にせかされ、言われたとおりに右手を開いて扉の前に向けてみる。
すると突然、手のひらから赤く光り輝く球が生成された。
〈 "バースト" 〉
邪龍がそう言葉を放った瞬間、赤い球は凄まじい勢いで破裂し、目の前の頑丈な扉を轟音とともに吹き飛ばしてしまった。
粉々になった木片が、周囲に降り注いでいる。
「い、今のは……?」
〈少し派手にやりすぎたが、まぁいいだろう。地上に出るぞ〉
破壊された出口から身を乗り出すと、森の中に出てきた。
日はすでに、空の頂点まで達しようとしている。
時刻は正午になろうとしていた。
〈よし、辺りに気配は感じない。
さっきの爆発で何かが寄ってくるかとも思ったが問題はなさそうだ〉
少女たちがやってきた森の中は、異様に静かで動物の鳴き声ひとつさえ聞こえなかった。
〈状況を整理したい、そこの木陰で少し休憩するといい〉
「うん……」
邪龍の言う通り、木下に隠れて休むことする。
上に続く道を探しているうちに少女は疲れてしまっていたため、彼の言葉をありがたく感じていた。
〈さて、どうしたもんか〉
邪龍が喋り出す。
〈そういえばお前の名前をまだ聞いていなかったな。小娘、お前の名前を教えろ〉
「私の……名前……?」
〈なんだ? お前も記憶がないのか?〉
「ううん……そういうわけでは……」
少女はパクトルに引き取られてから、一度も自分の名前を呼んてもらったことが無かった。
そうして過ぎていく時間の中で、少女は自身の名前を忘れそうになっていた。
(私の名前……)
少女はかつて大切に育ててくれた両親との日々を思い出す。
(あの時お母さんとお父さんは私の事を……)
「……ソティア」
〈ん?〉
「ソティア。ソティア・プシュケース……。私の名前……」
ソティア・プシュケース。
両親が少女に名付けてくれた、大切な名前。
それを思い出した途端、彼女の目から自然と涙が零れ落ちてくる。
〈お前、泣いているのか……?〉
「ううん……。大丈夫……」
邪龍が邪龍とは思えない優しい声でソティアに話しかける。
自分が泣いていることがばれているようで恥ずかしくなった彼女は、涙を急いでぬぐい返事をする。
〈そうか、ならいいのだが。
ここでいつまでもじっとしているわけにもいかないからな〉
悪いがお前には、今知っていることをすべて共有してほしい〉
「私の知っていること……?」
〈ああ、あいにくだが今の俺は右も左も分からん状態でな。
おそらく俺よりもお前の方が現状に詳しいはずだ。
教えてくれ〉
邪龍にそう頼まれ、ソティアは今自分が知っている限りの事について話した。
両親と離れ離れになったこと。
パクトルという人物に、奴隷ように扱われていたこと。
そしてここがどの辺りの場所なのかということも。
〈ヴリム……、今俺たちがいる地名だな〉
「うん……。私もそこまで詳しい訳ではないんだけど、監視員たちがそんなことを言っていた気がする……」
〈なるほどな。ならばまず、その街へ向けて移動するほかないだろう。
その街でより詳しい情報を集めるほかない〉
「分かった……、と言っても……」
ソティアは辺りを見渡す。
どこを見ても辺り一面に森が広がり、街がどの方角にあるのかさっぱり分からない状況だった。
これでは町へ向かうにも、進むべき方向が分からない。
「町がどこにあるか私には……」
〈ふむ、少し待ってくれ〉
邪龍はそう言うとしばらく黙り込み、何かをしているようだった。
〈ここから南東の方角、そこに進むといい〉
「どうして……?」
〈俺は生物の生命エネルギーを感知することができる。
その方向から多くのエネルギーを感じ取れた。
おそらく、町があるのだろう〉
「べ、便利だね……」
〈俺はカタストロフィスだぞ。これくらいできて当然だ〉
邪龍はどこか誇らしげに語る。
〈さぁ行くぞ。俺には知りたいことが山ほどある〉
「わ、分かった……」
そしてソティアは、邪龍が指し示す方向を目指して歩き出した。
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町ヴリムは今、混乱に陥っていた。
突然起きた巨大な揺れによって町の住人たちが騒ぎだしたのだ。
「あの揺れは何だったんだのかしら?」
「パクトル伯爵の領地の方かららしいぜ」
「伯爵が何かしたのか?」
人々の噂は徐々に拡大していった。
「みな静粛に! 兵団が到着した!」
町の広場には数十名の兵士たちが集っていた。
ヴリムの町に滞在していた警備の兵士たちである。
これから兵士たちがパクトル領に向けて調査を行うようだ。
「今朝方、パクトル領にて謎の揺れが発生した。
しかし、揺れについてパクトル領地からの応答を待ったが連絡が一切ない。そのため我々はこれよりパクトル領に赴き、揺れの原因を調査する」
兵団の中の隊長らしき人物が声を上げた。
〈何やら騒がしいことになっているな〉
ソティアたちは森を抜けた後、無事に町を見つけることができた。
町に到着した後、建物や物陰に隠れて人々の会話を盗み聞きすることで、現在の状況を大方把握していた。
〈俺の起こした衝撃が随分と問題になっているようだな。
早めにあの場を抜け出せて正解だったといったところか〉
「どうする……? 皆凄く慌ててるみたいだけど……」
〈そうだな、とりあえず住民が落ち着きを取り戻すまでしばらく待機するほかなさそうだ。今のお前の恰好は怪しまれるかもしれん〉
邪龍にそういわれ、ソティアは自分の服を今一度確認してみる。
彼女はパクトルに雇われた時からまともな服を着ることができなかった。
ボロボロの布地の服をずっと着ていたのだ。
「でも、私服なんて持ってないよ……」
〈ふーむ。とりあえずどこからか盗むか、あるいは殺して奪い取るしかないな〉
「きゅ、急に何を言い出すの!?」
〈ダメなのか?〉
突然恐ろしいことを平然と言い出すのでソティアは驚いてしまう。
「ダ、ダメダメ! ダメに決まってるよ。そんなことしたら捕まっちゃうよ!」
〈……どうやら3000年の時を経て、時代は大きく変わってしまったようだな〉
邪龍の声はどこか悲しげだった。
3000年もの間、あの宝石に閉じ込められていたのだとしたら、それはきっと辛いことに違いないのだ。
ソティアは邪龍の事を少しだけかわいそうだと思ってしまった。
「た、大変だあぁぁぁ!! イーターがこの町に向かってきているぞ!!」
1人の町人が大声で町の中を駆け回る。
そのせいか、兵士たちの到着で落ち着きを取り戻していたヴリムには再び波乱が舞い戻った。
「イーターだと!?」
「どうしてここに!!」
「結界で守られているんじゃなかったのか!!」
人々は騒ぎだした。
絶望に飲まれたように喚き散らす人もいる。
「イーターって……?」
ソティア邪龍に問いかける。
〈イーターを知らないのか?
お前もさっきあった奴らのことなんじゃないのか?〉
「それって、あの……」
イーター。
突如として地下に現れたあの怪物だ。
それが再びこの町にやって来る。
ソティアの頭に思い浮かぶのはあの惨劇。
人々の悲鳴と血しぶきが彼女の脳裏に焼き付いて離れない。
「うう……」
〈おい、どうした?〉
ソティアは気分が悪くなり、少しふらついてしまう。
近くの壁にもたれかかり、座り込む。
「兵隊がパクトル領に向かったばかりだというのに、最悪だ……」
広場にいた男性の1人が嘆く。
町にいた兵団は揺れの原因調査に出向いたばかりで、町の防衛は手薄になっていた。
この混沌とした状態の町にイーターが襲撃して来た場合、どうなるか。
それは誰もが容易に想像できる。
絶対絶命だった。
ソティアにもどうすることもできない。
「大変だよ……。私たちも逃げないと……!」
〈何故だ?〉
「あの怪物たちがまた来るんだよ……。逃げないとやられちゃうよ……」
あの時はたまたま助かったかもしれないが、次どうなるかなんてわからない。
イーター達はまだここまで攻めてきていない。
ソティア達が逃げるには今しかなかった。
〈ククク、腕が鳴るな。腕ないけど〉
「え!?」
〈え? じゃない。戦うぞ俺達で〉
この邪龍は正気なのだろうか?
ソティアは彼の発言に驚いていた。
いくらこの邪龍と言えども体も失っている彼に、さっきの化け物達を倒せるはずがない。
そう考えていた。
「た、戦うっていったってどうやって……?」
〈俺はカタストロフィス。俺に倒せない敵はいない。
行くぞ、ソティア〉
「え、ええ~!?」
こうしてソティアは邪龍の言うがままに行動する羽目になったのだった。