醜悪ツガイ
体高は二メートルに届かない程度、シルエットは人に近いが、全体的に皮膚病で毛を失ったマントヒヒのような風貌。だが、頭上には虎のソレに似た丸みのある耳を携え、またその傍にはヤギじみた角が生えている。尾は存在しないが、背には蝙蝠の如き皮張りの翼が折りたたまれていた。体格に対して手足のみが異様に大きく、歪んだ造形バランスが見る者の精神をじわりと削る。
それが、彼女という人間が異世界に転移して最初に出会った生物の姿だった。
(あ、コレ、死んだかも)
発端は、趣味のハイキングということになるのだろうか。
長期休暇があれば本格的な登山も嗜む中々に活発的な女性は、週休を利用してよく手頃な山に登っていた。
この日も、いつもと変わらず装備を整え、適当な近場へとハイキングに向かった彼女だったが、登頂道中、常日頃にはない濃霧が発生し、一歩先も見えぬという、進みも退きもできぬ状況に陥ってしまう。
とはいえ、特にパニックになることもなく、女性は冷静にその場に腰を下ろし、気温の低下を確認して携帯していたサバイバルシートに身を包んだ。
そして、約十分後。
ようやく霧が晴れたと思えば、仰天。周囲の様子が一変していた。
山ではあるようだが、整備された登山道は見当たらず、生い茂る木々や植物も彼女の知らぬ奇妙な種ばかり。
両の耳には、音色の異なる動物の雄叫びがひっきりなしに届いてくる。
携帯電話は圏外。
方位磁石は完全な沈黙。
太陽も直前の記憶から随分と離れた位置とサイズで燦々と輝いている。
明白な異常事態であった。
遭難時は下手に動かぬが常道とはいえ、待機して助けが来るとも思えず、彼女は不安に蹲りたい気持ちを抑えて、日が暮れる前にと果敢にも下山を試みる。
女性はトレッキングポールで雑草の生い茂る地面を叩いて安全を確認しながら、慎重に一歩ずつ足を進めていった。
そんな彼女の前に、突如として未知の生物が姿を現したのだ。
一瞬で自らの命の終わりを悟った彼女は、ただ茫然とソレを見ていることしか出来なかった。
どこか西洋悪魔を思い起こさせるその生き物は、数メートル先で足を止めたまま、ギョロリとした黄色の眼球を、未だ事態の飲み込めぬ転移者に向けてくる。
絡まり合う視線。
あまりの緊張に、女性は呼吸すら忘れ、固まってしまう。
「……ニンゲンが……こんな所で何をしている?」
が、今にも奇声を発し襲い掛かってきそうな見目に反し、未確認異常生物は、潰れた喉で無理やりしゃべっているような低くしゃがれた声で、至極淡々と問いを投げるのみであった。
異形が言語を操った事実に関して、意外にも彼女に驚きはない。
ただ、納得しただけだ。
これだけ常識外の存在であれば、そういったこともあり得るのだろうと。
怪物相手に何と答えれば正解なのか、無事にやり過ごせるのか、分からないまま女性は震える唇を無音に開閉させる。
やがて、しびれを切らしたらしい生物が、長い顔面を不快げに歪ませて、こう吐き捨てた。
「ふん。この俺に慄いて声も出んか。
だが、ここは気高き灰のホルフ族が私有する豊穣の山だ。
この地の管理を任されている身として、不当な侵入者を黙って見過ごすわけにはいかん」
厚い瞼が細められ、彼はゆっくりとニンゲンの元へ歩を進め始める。
それに深い恐怖と絶望を感じながらも、彼女は異形と視線を交わらせたまま、逃げることも叫ぶことも出来ずに、腰を抜かしてポール伝いに地面へとへたり込んだ。
「あっ、お、おいっ、バカっ。
せめて立っていてくれないと、俺がアンタを運ばなけりゃあいけなくなるだろうっ」
「…………ぇ?」
「どうするんだ。
アンタを丸ごと包んで持ち上げられるような大きな布だって、そんな都合よく存在するワケもないのにっ」
途端、接近を止め混乱した様子でアタフタと腕をさまよわせ始める謎の生物。
「……ぬの?」
疑問が思わず口をついて出れば、耳ざとく聞きつけた異形が困り顔で女性を見て告げる。
「そうだ。
いくらニンゲンとはいえメスに、俺のような醜い化け物が直接触れるなんてこと、あっちゃあいけないだろう。
そんなの、ツガイを望む全ての獣人たちに対する冒涜だ」
彼女は咄嗟に彼の主張の意味が理解できなかった。
分かったのは、どうやらこの未知の生き物が女の自分に触れず弱っているという事実だけ。
だが、それが判明しただけでも、即時害される可能性が随分と減ったよう女性には感じられた。
ほんの僅かに緊張が解けて、些細ながら戻った思考から、彼女はつたない質問を異形に投げかける。
「あ、の……私、どうなるん、ですか」
「は?」
直後、彼は訝しげにニンゲンを凝視して、次いで、大きな手で自身の背を掻きながら、ぶっきらぼうに答えを返した。
「知らんよ。
俺はただアンタの話を聞いて、それで処遇をどうするかホルフの族長に尋ねるだけだ。
アンタが自分で勝手に山から出て行ってくれるなら、それが一番楽なんだがな」
これで真実を語っているなら、存外勤勉ではないらしい化け物は、彼女が退けばアッサリ見逃す心積もりであったようだ。
だからこそ、彼はニンゲンに管理者だ侵入者だとわざわざ立場を説明した上で、捕まえるフリをして追い出そうと、のんびり歩いて迫ったのだろう。
しかし、女性は恐怖で腰を抜かし、思惑の外れた謎生物は逆に頭を抱える破目になってしまった。
実に間抜けな話である。
「そこにそうしてアンタが居座る以上、立場上、俺は放っておくワケにはいかない。
だが、連れ帰るにしても手段がない。まったく、参ったものだ」
短い脚でそわそわと左右に歩き回る毛なしマントヒヒ似の異形。
ここで、彼女は考えた。
目の前の化け物の言動からは、ニンゲンを騙そうといったような強かさは感じられない。
そして、先ほどの主張通り彼が女性に直で触れられないというのなら、今後自身が生き残るための情報を集めるのに、これ以上適任な存在はいないのではないか、と。
未だ認めがたく思っているが、彼女も薄々察しているのだ。
ここが、日本どころか、地球ですらないという、残酷な現実を。
悲観に泣き喚くのはいつでも出来るが、幾度と大自然を相手に戯れてきた女性の身からすれば、ただ死に直結するだけの行為を選ぼうという気には到底なれなかった。
たまたま初遭遇が彼であっただけで、この山の他の生物が問答無用でニンゲンを殺そうと牙を向いてくる確率は低くないだろうと、そう彼女は推測している。
そもそも、元の世界の猪ですら人の骨のひとつやふたつ、容易く折ってくれるのだ。
それが化け物の実在する異世界ともなれば、どれ程の脅威と化しているものか、とても分かったものではない。
「えっと、すみません。
私、拷問にかけられたり、殺されたり、するんでしょうか」
「はぁん?」
女性の質問に、西洋悪魔じみた生物は足を止めて首を曲げる。
「あー……少なくとも、俺にその意思はない」
つい先ほどのように知らんと素気無く返される可能性もあったが、知能の低そうな見目と裏腹に、異形は転移者が改めて尋ね直した意図を察して、正確に彼女の求める答えを口にした。
それにより、女性の心中で、少なくとも誰ぞの決が下されるまでは、そこそこ人道的な保護を受けられるのではないかという希望的観測が浮かび上がる。
「でしたら、その、私はダウンジャケット……いえ、かなり厚手の服を着てますし、手袋もしていて靴も履いていて、あとはこのフードを被れば全身すっかり隠れますから、そうしたら抱き上げて運んでいただくのも、えっと、やぶさかではないと申しますか……」
「はあ!?」
幾度と登り慣れた山を日帰り予定で、さすがに寝袋まで用意しているものではない。
体を包むという点でサバイバルシートもあるにはあるが、未だ簡素な麻の服を着用している文明レベルの相手の前で出してみせるには、少々躊躇われるアイテムだったようだ。
もちろん、彼女とて不気味な怪物に積極的に触れられたいなどと間違っても思ってはいない。
が、現状、腰は抜けたままで、そもそも道なき道をスムーズに歩けるだけの技量もなく、だからといって、この場に放置されてもいつ凶獣に襲われるか分かったものではないので、無力な身の上として苦渋の決断を下さざるを得なかったのである。
「アンタ正気か!?
ついさっきまで、俺を恐れてまともに話も出来なかっただろう!
いったい何を考えているんだ!」
まるで米国アニメーションのような大げさな挙動で両手を自身の頭にやって、人に進化途中の皮膚病のマントヒヒに虎の耳とヤギの角と蝙蝠の翼を追加したような西洋悪魔じみた造形の体高二メートル近い怪物は、悲鳴に似たしゃがれ声を上げた。
間もなく、ハッと目を見開いた彼は、当惑の感情を鎮めきらぬまま自身の憶測を口にする。
「あっ、いや、俺を篭絡して山を好きにしようというなら、見当違いだぞっ。
あくまで管理者であって、支配者でも所有者でもないのだからな。
それに、俺はホルフの族長には……ガォヅィの命令には逆らえない。
殺せと命じられれば、アンタにどれだけ助けを求められたって遂行するだろう。
だ、だから、そんな、化け物の俺なんかに抱き運ばれようなど……」
「では、他に方法がありますか?
私はこの通り動けませんし。
貴方も立場上、こちらから目を離せず、適当な道具を持ってくることも難しいのでしょう?」
「ぬぅぅっ」
怪物は知らないのだ。
唐突に異世界なんぞにトリップさせられた女性にとって、醜悪な彼のみならず、目の前に存在する何もかもが恐怖の対象であるという事実を。
すぐ傍の樹木が危険な食人植物ではないとも限らない状況で、言葉が通じ、しかも害意がないと主張する相手が現れたとなれば、もはやその見目になど拘ってはいられないという、寄る辺なき転移者ゆえの必死さを。
溺れる者は藁にも縋る。
たとえ結果的に無意味な行為となろうとも、それを掴まずにはいられぬ心境にあるのが、今の彼女だ。
「現状を理解したのなら、速やかに職務をまっとうしてください。
日が暮れてしまいますよ」
「あ、アンタ、おかしいぞっ」
妙なにらみ合いが続き、果てに根負けしたのは怪物の方だった。
それはそうだろう。
まさに命のかかっている彼女と、単純に気が引けているだけの彼では、切実さが違う。
「くそっ、抱き上げるとは、ど、どうするものだ。
メスは繊細な存在だと伝え聞く。
間違えて壊してしまってはいけない。
アンタも自分が可愛いのなら指示をくれ」
意を決した様子でニンゲンのすぐ傍まで歩み寄った異形が、腕を半端に上げた状態で唇をモゾつかせた。
間近に迫る不気味な容貌に恐怖心を煽られ、再び身を竦ませていた女性は、見目と大いにギャップのあるその言葉を受けて、三回ほど瞼を瞬かせる。
「……しじ、ですか?」
「そうだ。
同族だろうが異種族だろうが、普通は醜い俺に近付かれることすら嫌がる。
ましてメスともなれば、俺の前からは隠されがちで、まともに目にした経験も薄いというのに」
この世界の基準からしても格別に悍ましい姿であると判明し、彼女は彼のセリフに、さもありなんと納得した。
同時に、その悲惨な環境を当然のものと受け入れている様子に対して、僅かな同情を覚える。
とはいえ、特に慰めの言葉など掛けるわけでもないのだが。
「その、じゃあ、はい、出します、指示を」
「うん、頼む」
生物が素直に頷いたのを見て、女性は背に負っていたバックパックを前方に抱えなおし、その側面にポールを引っ掛けた。
そして、ダウンジャケットのフードを深めに被り、空いた両手で身振り手振りしながら、簡単な説明を施していく。
「ええと、まず手のひらを上向きに腕をのばしてもらって。
それで、私の背中のこの辺りと、膝の裏辺りに、その腕を通して、こう、ゆっくり掬い上げる感じで……」
「っお、あ、おぉ、わ、分かっ、うむ」
他人に先に混乱されると己は冷静になる法則ではないが、いかにも頭上に大量の汗を飛ばしている風の怪物を眺めていると、女性の中の彼を恐れる感情がみるみる薄まっていった。
野性的な印象通りというべきか、化け物を自称する生物は長い腕にニンゲンを乗せた状態で、まるで荷など存在しないかのように軽々と立ち上がる。
「ひっ! なぜっ、くく首に俺に腕をまわっ!?」
「いえ、私からも掴まってないと安定しませんから」
秘された本音を暴露するのであれば、捨て落とされないための保険といった意味合いが強い。
「ひぇっ! そんっな近くでしゃべるなっ」
「はぁ、すみません」
「ッだ! から……くっ、もういい移動するぞっ」
声の勢いと裏腹に、彼の歩みは慎重だった。
木々の隙間に吹く風が彼女の顔を撫でれば、醜悪な異形からは、以前に実家で飼っていた小鳥たちのような、陽を浴びた雑穀にも似た匂いが漂ったという。
十数分後、彼らが到着したのは、無毛マントヒヒが住まうには到底不似合いな、大層立派なログハウスだった。
入ってすぐはリビング兼ダイニングのようで、素朴なテーブルを六脚のイスが囲んでいる。
壁沿いに並ぶ棚の上には花瓶が二本鎮座しているが、どちらも長らく使用された形跡はない。
左手側の区切りの向こうにはキッチンらしき設備が見え、また正面奥には何かの部屋と思われる扉が三つ程並んでいた。
天井はやけに高く、梁というには妙な丸太が数本無造作に渡されている。
色々と疑問の浮かぶ女性だったが、異形の事情を詮索するには尚早かと、敢えて口を噤んでいた。
化け物は恐る恐る彼女を椅子に座らせて、俯きがちに長く息を吐いてから、テーブルを挟んで真正面にあたる椅子に自らも腰掛ける。
「あー…………では、話を聞こうか?」
~~~~~~~~~~
眉唾な異世界という単語は伏せて、女性……エダハは語った。
趣味である山登りのさなか、霧に飲まれて見知らぬ地に立っていたことを。
そして、それは西洋悪魔似の醜い生き物……ドッド・ズーと出会うほんの一時間ほど前の話であることを。
同時に、彼女はいくつかの道具を机上に並べ、自身が文明の隔絶した遥か彼方の地より迷い込んだ存在だという事実を彼に認めさせた。
「ううむ、神連れ……か?
およそ信憑性のない民話の類だと思っていたが」
エダハの突飛な説明を飲み込み終えたドッド・ズーが、長い腕を組んで低く唸る。
「かみづれ?」
「そちらの故郷じゃ聞かないか。
神に気に入られ、その神の治める土地へとさらわ……招かれることだ」
「あぁ、なるほど。似たような伝承に覚えがありますね」
「そうか」
渋い顔で頷き合う二人。
「遠き地の異種族でありながら言葉が通じるのも、加護によるものと考えれば納得がいく。
しかし、アンタ……いや、貴女がこの地の神の招来者だとすれば、彼の御方より恩恵を授かり生きる我々が下手な扱いをするわけにはいくまいな」
「ええ?」
ここまで手荒にされた覚えもないが、悪しき侵入者と処罰を受けかねぬ立場から一気に形勢が逆転し、困惑するエダハ。
「おそらくホルフの族長ガォヅィも同様に考えるだろう。
であれば、明日にも下山して、なるべく早急に彼の元で受け入れ態勢を整えるよう進言して来るべきか」
「えっ」
ドッド・ズーの口から零れ落ちた呟きに、招来者の眉尻が分かりやすく下がった。
ニンゲンの変化を目にした彼は、当然の流れとして、湧いた疑問を本人に投げかける。
「どうした」
「あー、っと、そのぉ……族長さんへの報告は、少し待ってもらってもいいですかね」
「は? 何故だ?」
およそ想定外の返答を受け、驚きで彼の歯ぐきが剥き出しになった。
その絵面を内心で気持ち悪いなと思いながら、エダハは自らの都合を赤裸々に明かす。
「人の多くいる場所に移る前に、しばらくここで匿っていただきたいと申しますか……貴方から、この地域の常識を教えていただければと思っておりまして。
少しでも判断材料を増やしておきたいんですよね。
仮に、邪まな考えを持つ誰かと出会えば、今の私では容易に利用されてしまうでしょうから」
瞬間、ドッド・ズーは勢いよく椅子から立ち上がり、吠えた。
「っなん、アンタ!
いや、貴女は自分が何を言っているか分かっているのか?
神連れ直後で混乱しているのかもしれないが、そう血迷ったものではない。
知識がないことで他人が信用できないのなら、満足いくまでガォヅィの屋敷に籠って学べばいい。
何もわざわざ化け物とこんな山奥で過ごそうなど、それも二人きりだぞ……有り得ないだろう……っ」
早口で捲し立てるドッド・ズーは、寄る辺なき孤独な転移者よりも、よほど焦燥した表情を浮かべている。
対して、短期的とはいえ生存の見通しが立ったことで、エダハはかなり平静を取り戻していた。
彼女は、テーブルに大きな両拳を乗せ震えている異形へ、小首を傾げて、少々偏りのある理屈で固められた自論を抑揚薄く述べ始める。
「そうですかねぇ。
族長なんて立場のある人は基本的に民意に逆らえないから本当の意味では信用できませんし、権力者に無条件で寄りかかることになれば、一族の人達に何らかの悪意を持たせてしまうやも。
安心して学び暮らせる環境だとは、とてもとても……」
「はぁ? か、考えすぎだろう?」
「さぁ? 私は実際のホルフ族を知りませんから。
反面、貴方は自称する通り見た目は少々醜いかもしれませんけれども、言動から中々の聡明さを感じますし、かなり理性的な面も窺えます。
メスだからというだけで、不審なニンゲンを抱き上げることすら恐々行う相手を、わざわざ危険視する理由もありません。
むしろ、明白に害意のない、そこそこ知恵と良識を持っていそうな相手を見逃す手はないかと?
まぁ、いきなり無学なニンゲンの異性の面倒を、それもほぼ無償で見ろだなんて、誰しも拒否して当然の最低な主張であるとは理解していますし、無理強いしてまで、とは思っておりません。
どうあがいても迷惑をかける立場にいる以上、そちらの判断に全て従う所存です」
身も蓋もないエダハの言い様に、ドッド・ズーは絶句した。
全身から力が抜けて、彼はズルズルと足を滑らせ椅子へ尻を着く。
「そ、あ、貴女、おかしいぞ……」
「育った文化の違いじゃないですかね」
歪む喉から絞り出されたしゃがれ声に、転移者の白々しい言い分が重ねられた。
~~~~~~~~~~
その後、果てしない長考の末、一応は獣人の父母から産まれたらしい自称化け物は、少なくとも一年以内にはホルフの里に向かうことを条件に、彼女との二人暮らしについて認めることとなる。
「あっ、そうか。ニンゲンは肉や魚を食らうのだったな。
俺? 俺はその辺になってる木の実だとか果物が主食だ。
稀にイモ虫なども口にするが」
「え、鳥?」
「奇遇だな、俺も日々の水浴びは欠かさないぞ。
ただ、敢えて湯を沸かして浸かる習慣はないな」
「え、鳥?」
「うーん、俺はいつも天井近くのあの渡し木で寝ているから……ん、待てよ?
思い出したぞ。
無翼来客用の綿性の寝床が確かどこかにあったはずだ」
「え、鳥?」
文明の差や異種族ゆえの生活習慣の違いは、彼らの想像以上に大きかった。
何くれと問題が発生する中、二人は悩み、議論を繰り返しながら、互いの存在に少しずつ慣れ親しんでいく。
「参った。狩ったはいいが、獣の捌き方なぞ皆目分からん」
「ナイフはあるんですよね?
解体の経験はありませんが、解剖の経験はそこそこあるので何とかなると思います」
「カイボー?」
「聞いていいです?
ドッド・ズーの背中の翼、使ってるの見たことないんですけど」
「たった一呼吸の間の羽ばたきですら、恐ろしく疲弊するからな。
稀に崖や樹上からの滑空で広げる程度のことならあるが、鳥のように天高く舞い上がろうなどとは、とても思えん」
「はぁ。確かに、体格に見合った大きさもなさそうですしね」
「うーん、いよいよマグネシウム棒がなくなりそう。
もう少し余分に持っておくんだったなぁ」
「俺が火つけに慣れぬばかりにスマン」
「いや、謝らないで下さいよ。
飲食が全部ナマで済んでるんじゃあ、そうもなりますって」
慌ただしく日々を過ごす内に矢の如く時は流れ、季節は変わり、気が付けば、二人の出会いから約半年という、けして短くはない期間が過ぎ去ろうとしていた。
「そういえば、最初に出会った時にツガイだの冒涜だのって言ってたのは何だったんですか」
エダハがすでに恒例と化した夕食後の雑談を始めれば、ドッド・ズーはその内容に少し躊躇いを覚えながらも、丁寧に応じて返す。
「あー……獣人には、世の中に運命のツガイと呼べる異性が三人はいるとの伝承がある。
一目で魅せられ、惹かれ、互いに激しく恋い焦がれるようになる相手がいるのだと」
「へー」
彼としては、嘘や沈黙でやり過ごしたい会話も幾度かあったようだが、彼女が下山後にいらぬ苦労を負ったり恥を掻いたりといった、不利な状況に陥る可能性を考えれば、自身のくだらない感情を優先する気には毛頭なれなかったらしい。
「ただ、ソレはあくまで獣人同士であればの話だ。
他種族にツガイが見つかれば、文化や想いの差から悲劇が起こりやすい。
とはいえ、そんな例はごくごく稀のようだが。
そもそも、この広大な世界にたったの三人だぞ?
当然、一生の内に出会える者は少ないし、仮に出会えたとして、互いに独身であるとも適齢であるとも限らないからな」
「御大層に運命なんて言ってる割にガバガバじゃないですか。
っあー、もしかすると、獣人は遺伝情報に敏感ってことなのかもしれませんね」
「いでん……?」
「ざっくり言えば、トンビがタカを産むための高性能なセンサーが搭載されているんでしょう」
「んん?」
獣人たちのロマンと憧れに対して、無粋な結論を出す転移者もいたものである。
ちなみに、ドッド・ズーの有する情報は周辺地域のものに特化しているため、バレないと高を括ってか、エダハは度々、異世界特有の英知を軽率に彼の前で披露していた。
「でも、そうか。
だから、万一がないようにメスが隠されるんですね。
普通の獣人同士なら諸手を挙げて歓迎されるはずのツガイでも、醜い貴方だけは受け入れ難いと」
「……そうハッキリ言ってくれるな」
「で、誰かの運命かもしれないメスに自分が触るなんて、と卑屈を発揮しているわけか。
ドッド・ズーは自分のツガイを探そうとは思わないんですか?」
中々に心無いセリフを連発するニンゲンである。
異形は深いため息を吐き、苦しげに顔面を歪めて声色低く語った。
「……俺に問答無用で愛されて絶望するメスなど、そんなもの、いない方がいいだろう。
ソレが異種族であるなら尚更な」
光届かぬ仄暗い水底のようでいて、どこか懇願の熱を含んだ彼の黄の瞳が、遠慮がちに彼女を捉える。
すると、あっと小さく喉を震わせたエダハが、間もなく、多少の躊躇いを見せながらも、豪速かつ直球の問い掛けを異形へと投げつけた。
「えっと、その目……もしかして、私が貴方のツガイなんです?」
「ごほっ!」
思わず咽るドッド・ズー。
一応、必要な場の空気は読むが、彼女は基本的に白黒ハッキリつけたいタイプの人間だった。
「へーぇ!
初手からロクに警戒もせず、妙に好意的な態度だと思ったら、そっかそっか。
やぁ、腑に落ちてスッキリしました」
手を合わせて笑うエダハに、怒りのしゃがれ声が飛ぶ。
「バッ! なっ、何をのんきな!
貴女は分かっていないのだ!
己のツガイに対する獣人の妄執を、その恐ろしさを!」
ドッド・ズーが右拳でテーブルを叩けば、彼女はきょとんと首を傾げた。
「でも、現状、拘束も監禁も強姦も、乱暴なことは何もされていませんよ?」
「ごっ、が、俺がっ、死に物狂いで我慢しているだけだっ。
実際、いつ本能に負けるか分かったものではない。
だから……っ!」
「そうなる前に私に去って欲しいわけですか。
近頃、やけに下山を勧めてくると思えば……」
眉間に皺を寄せ、両腕を組み何事かを考え始めたニンゲンを、化け物はやきもきした表情で見つめている。
やがて、己の中で結論が出たらしいエダハが、小さく頷きながら口を開いた。
「うん、そうですね。
貴方との暮らししか知らないままでいるのも不健全ですし。
分かりました。
おっしゃる通り、そろそろ外の世界を見てみることにします」
「っ……あぁ、それでいい」
一瞬、強く奥歯を噛み締めて、ドッド・ズーは険しい顔つきで首を縦に振る。
忠告内容からすれば少々ズレた返答だったが、それを彼が指摘することはなかった。
「明日の朝にも里へ出発するから、今日のうちに荷物を纏めておけよ」
「はぁい。最後までお世話かけます」
背を向け発された異形の低いしゃがれ声は、時折かすかに震えていた。
~~~~~~~~~~
さて、明けて翌日。
下山道中、特に問題も起こらず、昼過ぎには高床式の木造小屋が並ぶホルフの里へとたどり着いた二人。
この地域では極めて珍しいニンゲンを、厭われ者のドッド・ズーが連れて歩けば、通りすがった住民の内、メスは慌てて逃げ隠れ、オスは遠巻きに忌避と奇異の目で観察してくる。
「うわぁー、二足歩行で鳩胸のネズミ色の毛をした犬に天使っぽい羽が生えてる。
悪魔侯爵のマルコシアスか何か?
こっちはこっちで体のバランスおかしくて絶妙に気持ち悪っ」
「おいっ。これから世話になろうという場で、軽率に敵を作るような発言は慎め」
「あ、すみませぇん。
ドッド・ズーの扱いの酷さを目の当たりにして、つい、イラっとしちゃいまして?」
「はぁ?」
注意を受け、言葉だけで謝罪しつつも、反省の色なく肩を竦めるエダハ。
幼い頃から周囲に避けられていた身のドッド・ズーからすれば、何を憤ることがあるのか理解できないようだ。
「だって、おかしいじゃないですか。
醜いってだけで基本的人権が尊重されてなくて当然みたいな態度。
たまたまマジョリティ側に生まれただけのくせに、思い上がりすぎでは?」
「ジンケ? マジョリ?」
顔面のあちこちに皺を寄せ、分かりやすく不愉快さを示しながら彼女はそう吐き捨てた。
聞かぬ単語を重ねられ、自称化け物は、頭上に疑問符を浮かべて首を捻る。
が、エダハはそれに答えることなく、両の腕を素早く前方に伸ばした。
「もういいから、早く行きましょう。
ここにいたら、また余計なこと言っちゃいそうです」
「ひゃん! 背中を押すなぁっ」
半年の同居期間があってなお変わらず、メスとの接触に不慣れなドッド・ズーであった。
目的の屋敷に到着すれば、醜悪なる怪物だけが早々族長に呼び出され、客間に一人取り残されてしまうエダハ。
彼女は心細さを無表情の内側に隠して、提供された果実酒でチビチビと唇を湿らせる。
一方、族長専用の応接室へと通されたドッド・ズーは、人払いのされた一対一の空間にて、テーブル越しに向かい合う男と小さく潜めた声でやり取りを交わしていた。
「報告役のヂィダは憤っていたが、ニンゲンの言は正しい」
「ガォヅィ?」
「見目が何だというのだ。
兄者、私は今でも、誰より強く賢い兄者の方が族長として相応しかったと……」
「よせ。
お前以外の誰もソレを望んではいない。
一族の折衝役も他種族との外交もろくに果たせぬ俺が、どうして長の立場になど就けようか。
それよりも、エダハの……招来者のことをくれぐれも頼む」
「無論。たかだか民話逸話の類と侮り、神の招き人を粗雑に扱うほど、このガォヅィ、落ちぶれてはおりませぬ。
何より、無欲な兄者の稀の頼み……叶えられずして何が弟か」
「そう気負うな。アレはメスで異種族だが、知恵者だ。
お前の想像ほど手はかからんし、世話も過ぎれば窮屈に感じるものだぞ」
兄らしく弟に苦笑してみせるドッド・ズー。
立場上、人前では冷遇しているが、実際のところ、ホルフの族長ガォヅィは本来その役目を継ぐはずであった長兄の彼に深く負い目を感じており、それゆえか、二人きりの状況では、ただただ従順な弟として振る舞うきらいがあった。
ドッド・ズーがこれを拒否しないのは、己の妻にさえ厳格であろうとする彼の、唯一の息抜き、甘えの場であるように思えているからだ。
豊穣の山で気ままに暮らす自分が、弟へ押し付けてしまった重責を僅かにでも軽くできるのならと、本来ならば叱りつけるべき態度を許容している。
「エダハ、話はついたぞ。
しばらくは、この族長の屋敷で客人として過ごすといい」
「はい、ドッド・ズー。今まで、ありがとうございました。
ガォヅィ様、これからお世話になります」
「あぁ、歓迎しよう。神の招き人よ」
約十五分後、族長に連れられ戻ったドッド・ズーが端的に結論を口にすれば、エダハは目の前に立つ異形それぞれに深々と頭を下げた。
惜しむ様子もなく至極あっさりと別れを告げられてしまった事実に、突然変異の化け物は、表情を変えぬまま自身の拳を強く握り込む。
想いの差を突き付けられ痛んだ心を、けして悟られまいとして。
もちろん、エダハとて親しんだ者との別離を寂しく思う気持ちはあった。
だが、彼の想いに応える予定の薄い現状、いたずらに期待を持たせるような言動は慎むべきかと考え、自制しているのだ。
「……ではな。
くれぐれも軽率な真似は控えるのだぞ」
「大丈夫ですよ。
貴方にポパ神のご加護がありますように」
踵を返し足早に立ち去ろうとするドッド・ズーの背へ、エダハが彼から学んだ定型の挨拶を響かせる。
こうして、半年に渡る異形とニンゲンの奇妙な同居生活は終わりを迎えた。
~~~~~~~~~~
そして、月日は流れ、約三年後。
「あっ、お帰りなさーい」
「っエダハ!? え、なぜ!?」
早朝から昼にかけてのパトロールを終えたドッド・ズーが住処へと帰還すれば、随所の劣化は見られるが転移当初と全く同じ格好をしたエダハが、何食わぬ顔でリビングの椅子に腰かけ寛いでいた。
彼女は、仰天しすぎて扉を開いた状態から動けずにいる異形へと、わざとらしい笑顔を向けて、突然すぎる来訪の目的を告げる。
「娶ってもらいに来ました」
「はぁ!?」
限界まで目を見開くドッド・ズー。
エダハは、半ば混乱状態に陥っている彼の心境を慮ることなく、間を置かず、どこかダラけた口調で己の主張を垂れ流し始めた。
「この三年で、私、ホルフの里だけじゃなくて、大陸内をそこそこ広範囲に旅してみたんです。
で、その間、幾人かに求愛などされまして」
「なっ!」
「でもねぇ?
迫られる度に、私の意思を一番尊重してくれたのは……一番一緒にいて気楽で違和感がなかったのは、ドッド・ズーだったなぁって、比べちゃって。
というか、種族独自の習慣を当たり前のように押し付けてくる輩が多すぎるんですよ。
しかも、ろくな説明もなしにとか。まったく、配慮ってものがない。
最初に出会ったのが貴方でどれだけ幸運だったか、もう、よぉく身に沁みました」
「……へ?」
「そりゃ、種族によって姿かたちは様々ありましたし、中でも貴方は格別に醜い容姿ですけれども。
そもそも、私にとって獣人は例外なく化け物に相当する生物なワケで、最終、五十歩百歩と申しますかね?
まぁ、だったら、って、一応、ニンゲンの多い地域にも行ってみたらばですよ?
なんと、見た目が近いせいか、余計に文化だの民度だの、とにかく彼らとの感覚のズレが気持ち悪くて……どうにも受け付けず、ほんの数日でそこから逃げ帰っちゃいました」
「えぇ?」
「別に、独りで生きる選択も有りっちゃ有りなんですけど。
妙に引っかかるというか、気になるというか、放っておけないというか。
こう、他の人はともかく、貴方を幸せに出来るのは私だけなんだろうなぁ、と思うとね」
そこまで語って、エダハはゆっくりと出入り口に立ったままのドッド・ズーに歩み寄っていく。
そして、彼の目の前で足を止めた彼女は、皺の深い大きな手を握って、再度、穏やかな笑みと共に言の葉を紡いだ。
「同情か恋情か微妙なラインで申し訳ありませんが、私、後悔だけは絶対しないって断言できるし……良かったら今度はツガイとして、また二人で一緒に暮らせませんかね?」
エダハに触れられた瞬間から、動きどころか息さえ忘れて置物の如く固まっていたドッド・ズーだったが、辛抱強く彼女が再起動を待っていれば、やがて、彼は握られた手の位置だけをそのままに、屋内外の境目へ転ぶように尻餅をついた。
「……ぉ、ぁ……ゥ」
「ドッド・ズー?」
俯き震える化け物を追って、自らも腰を落とすエダハ。
彼女が相変わらずの無遠慮さで下方から覗き込めば、元よりニンゲンと比べて皺の多い彼の顔面が、更に皺くちゃになっていた。
「泣いてるんですか?」
「ふぐっ!」
オスのプライドを微塵も理解しない鈍感女による鋭利な攻撃が、ドッド・ズーの心臓を刺し貫く。
傷心と羞恥を隠すように、思わず腕を伸ばして華奢なツガイを抱き寄せれば、特に抵抗もなく彼女は彼の内側に収まった。
「はいはい、よしよし。もう了承と受け取りますからね」
「ぅぐぅぅ!」
間もなく、幼子を慰めるように側頭を撫でられて、怪物は極端かつ数多の正と負を内包した巨大感情の波に呑み込まれ、ますます黄色の目玉を潤ませていく。
腕の中のエダハが、実は、ドッド・ズーが初めて自らの意思で触れてきたという状況に歓喜していたことにも、それを自覚して、意外と本気で彼を好いていたんだなぁと頬を薄く染めていたことにも、一切気が付けぬまま。
ともあれ、この日より、互いに孤独なる身の上であったホルフ族の突然変異体と異世界よりの転移者は、一組のツガイとして寄り添い生きる流れとなった。
まぁ、ここから正しく男女の関係に到るまで少々紆余曲折あるのだが、それはそれとして、彼らは常、呆れるほど仲睦まじい夫婦であったのだという。
「そういえば」
「どうした?」
最愛のツガイを組んだ膝の上に抱えて、膨らみの目立つようになってきた彼女の腹をゆるりと撫でさする異形。
「前に旅してた時に思ったの。
ドッド・ズー。貴方は他の獣人と比較して、少し優秀すぎる。
だから、彼らが貴方を毛嫌いするのは、実は見た目よりも、上位存在の出現による根源的な恐怖から来るものなんじゃあないかな、って」
「え?」
「自分たちがただの下位互換になったら、大自然の法則的に淘汰されかねないでしょう?
それで、生存本能としてドッド・ズーを排除したがっちゃうワケ」
「……すまん、何を言っているのか分からん」
「分からなくていいよ。
どうせ、本人に責のない理不尽な事情であることに変わりはないんだから。
あー、でも、そう考えると、その理屈の外から来た私が貴方のツガイっていうのは、実は必然的な話だったのかもね」
「エダハ? さっきから一体なんの話を……」
困惑する夫に、推論を語り終えた妻が悪戯に微笑む。
「ふふ。愛してるって意味だよ、ドッド・ズー」
「なっ! あ、貴女はいつもそうやって突然っ!」
「あれ、嫌だった?」
「知っていて聞くな。意地が悪いぞ」
「あっはは! ごめんごめん。
貴方の反応が可愛くて、つい、ね?」
「かわっ……まったく、そんなバカなことを言うのはエダハぐらいだ」
感情のままに腕の囲いを縮めて、背を丸め彼女の細い肩に額で触れれば、白い指が化け物の後頭部を優しく往復した。
「…………あのな、エダハ。
確かに最初、ツガイだと気付いて、俺は貴女への態度をかなり甘くしたかもしれない。
だが、別にソレとは関係なく、俺がエダハというニンゲンに惹かれるのは自明の理であったのだよ」
「え?」
そこまで呟いて身を起こせば、無毛マントヒヒ似の彼の顔を、妻が不思議そうな瞳で追いかけ見上げた。
「この悍ましき姿を恐れながら、それでも蔑まず対等に扱ってくれる、笑いかけてくれる……そんなメスが現れて、惹かれないわけがないだろう?
エダハ、貴女は存在自体が俺の希望で、光なんだ」
「えぇ、そんな大げさな」
「大げさなものか。
化け物如きが烏滸がましいと、日頃なかなか言葉にしてやれないが……その、エダハ、あ、愛している」
夫の拙い告白を耳にした途端、彼女は目を丸くして息を呑んだ。
やがて、頬がじわじわと朱に染まり、潤み始めた虹彩を隠すように俯いて、両の手のひらで顔面を覆う。
「っ……………………悔しぃ、ゃられた」
珍しく本気で恥じらい照れている様子の妻に、彼は『なるほどコレが彼女の言う可愛いというヤツか、確かに、つい繰り返してしまうのも頷ける』などと自身もつられて目尻を赤くしながら、くだらないことを考える。
「ああ、貴女がおかしな人で良かった」
しみじみと夫が呟けば、抗議か甘えか、妻は体勢をそのままに自身の側頭で彼の胸元をグイと押した。
醜悪な化け物は、己の手中に転がり込んだ奇跡のような幸福を、ただ深く深く噛みしめていた。
おしまい
その後のおまけSS↓
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