7. エリス王子と婚約指輪
馬車に揺られること1時間。
待ち合わせしていた王族御用達の隠れカフェに着くと早めに来たせいか予約されている席には誰も座っていない。
待たせていないことに安心しながら馬車から下りようと開けられた扉へと向かうと綺麗な手が伸びてきた。
従者の方かと何も気に留めず手を預けそのままゆっくり降りれば慣れ親しんだ風景に思わず笑みがこぼれる。
「ソフィ。」
「え?」
「会いたかったよ、ソフィ。」
従者と思っていた手の主から聞こえ優しさを感じる低い声音。
初めて聞くはずなのにどこか懐かしい。
そしてこの呼び名。
幼い頃、その呼び名をしていたのはただ一人。
視線を向けると浅黒い肌と藍色の髪に色素の薄い銀色の瞳は当時のままだが、言葉を失ってしまうほど美青年が目の前に現れた。
ルシフェルとは比べられないが、高身長と筋肉質な身体は人目を引くには十分である。
そんな彼は笑みを浮かべながら片膝をつくと手の甲にそっとキスを落とす。
「僕の永遠のお姫様。やっと、やっと会うことができた。」
「エリス王子様…ですよね?」
「そうだよ。面影ないかな。」
「お、面影はありますけど…10年も前にお会いしたきりですから。」
「そうだね。でも僕は君のことすぐにわかったよ。」
「わたくし、あの頃から変わっていませんか?」
「いい意味でだよ。とても綺麗になっていて実のところはとても緊張しているんだ。それに、ソフィが敬語を使うから距離も感じてとても悲しい気持ちになっているかな。」
「そ、それは王子様とわたくしの立場を考えれば必然ですわ。幼少期のようには…。」
「僕がそれを望めば問題はないよ。」
そう言いながら立ち上がり椅子へとエスコートしていく。
流石は一国の王子である。
その姿は手慣れていて私の知っている彼とは全く違う人物のように思えてしまう。
年月で人はこうも変わってしまうのかと。
そんなことを考えながらも自分自身、変わっているのだから人のことは言えないと視線を彼へと向けた。
「お腹は空いてる?」
「ええ。」
「同じだね。僕のオススメを頼んだけどそれでいいかな?」
「はい。ありがとうございます。」
「改めて、本当に本当に君にどれだけ会いたかったか…。」
「わたくしも疎遠になってしまったとはいえ、お手紙をいただいてとても嬉しく思っております。」
「敬語…。やめてくれないと僕すねるよ。」
「わ、わかりましたわ。ではお言葉に甘えて。」
「うん。疎遠になってしまったのは僕の父がレオンハルトの父上と仲違いをしてしまったからなんだよ。」
「そうだったの…。わたくしはそういったお話は聞かなかったけれど。」
「だろうね。彼の父上が君にだけは伝わらないように口止めしていたみたい。」
「なぜわたくしだけ…?」
「仲違いの原因は君を僕の婚約者から無理やり奪ったことが原因なんだ。」
「奪った…?」
「幼少期、伯爵に読んでもらってたはずだよ。ティンガの絵本。」
「ええ、毎夜お父様が読み聞かせを…。」
「あれは僕の国の絵本なんだ。王族のみが持っている特別なものでね。幼少期より読み聞かせることで国の歴史や習わしを学ぶために用いられている。疎遠になった頃から急に絵本が変わったりしてない?」
「…。」
「その頃に僕との婚約からレオンハルトの婚約へと変えられたんだよ。」
「そんな…でもなぜそこまでしてわたくしを王子の婚約者へ?」
「君は僕以外には距離を持って接していただろう?いつでも女性の中心に居たレオンハルトにとって異質に映ったんだと思うよ。」
距離を持って接していた…。
それは耳が痛い。
あの頃の私はすでに自分が悪役令嬢であることを理解し、彼には関わらないようにしていたのだ。
それによってエリスの婚約者からレオンハルトの婚約者へと変えられる設定があるのは知らなかった。
ヒロインではない悪役令嬢のことはそこまで詳しく描かれていなかったため、まさかの展開である。
自らが物語に沿った行動をしてしまっていたことに少なからずショックを受けながらも、起きてしまったことは仕方がないと小さくため息を零した。
「あの頃の僕はね。人見知りだったから自分の意見をちゃんと言うことができなくて、ただソフィを奪われるだけの存在だった。それがたまらなく悔しくて今の僕になったんだよ。ただ、僕はまだ変われていなかったとこの前思い知った。」
「何かあったの?」
「…君とレオンハルトとの婚約破棄。」
「…。」
「あの出来事が起こる前に僕は彼に直接聞いたんだ。本当にソフィを幸せにできるのかと。レオンハルトは僕の目を見て当然だとそう言ったから…遠くで見た君も幸せそうに笑っていたから。だから僕の入る隙間は残っていないんだって諦めたんだ。それなのに…!!」
「エリス王子…。」
「ソフィを断罪して殺そうとしたと聞いた時、僕は初めて人に憎悪を抱いたよ。レオンハルトなんてこの世から抹殺してしまいたいとさえ思ったくらいにね。」
「っ。」
「君があの時魔王に助けられていなければきっとこの枷は外れて迷いなく王子に手をかけていたんだろうな。」
「…。」
「でも君はこうして生きている。本来なら僕の手で救いたかったけれど…ソフィが生きているなら僕は君とこれから歩む人生を大切にしたい。彼に手をかけてしまっては君の横に並ぶことは許されないからね。ただ、報復は受けてもらうけどね。父も今回のことで仲違いだけじゃ済まなくなってしまっているから。」
「どうして…?」
「もともとソフィを見初めたのは父だよ。それに極度の人見知りで城の誰とも口を聞かない僕が懐いてしまったこともあって君しかいないと思ったんだって。だからあのティンガの絵本を伯爵へ託した。まあ一方的な婚約破棄と同時に返されたけどね。」
「そんな!!知らなかったとはいえ、ティンガ国国王陛下。そしてエリス王子様にも数々の非礼わたくしから…。」
「ソフィ。君が謝ることなんて一つもないんだ。この話をしたのは謝罪を求めるためじゃない。僕は君に正式な婚約を申し込むために会いに来たんだよ。」
「こ、婚約!?」
「うん。僕はあの頃から気持ちは一切変わっていない。レオンハルトのことがあった直後にこんなことを言っても信じてもらえるかわからないけれど、僕はこの命に誓う。これから先何があっても君だけを愛し、慈しみ、幸せにすると。婚約してほしい。」
真剣な表情をした彼は手の中にある透明なガラスケースを開けこちらへと見せてくる。
光に反射してキラキラと輝くダイアモンドの婚約指輪。
両端に藍色と金色の宝石が添えられていた。
「…。」
「返事は聞かせてもらえないのかな…。」
「わたくしは…今。」
「魔王と寝食を共にしているんだろう?それは僕も承知しているよ。あの状況で助けてもらったんだ。それにあの絶大な力。君みたいなか弱い女性が抵抗できるはずもない。でも、心はどう?ソフィの心には魔王に対する恋愛感情はあるの?あの状況下でなければ流されてはいなかったはずだ。」
確かに彼の言葉は一理ある。
助けてもらった恩義、死ぬはずだった命だからと魔王と共にいることを良しとしているが恋愛感情と聞かれると正直わからないというのが本音だ。
優しく大切に扱ってくれていることはとても感じるが、まだ出会ってから数か月。
怖い面もあってどうするのが良いのか正直わかりかねているところも多いと今までの出来事を整理しながらどう答えるべきかと考えるのだった。