第十話「おやすみなさい」
ミカエル「…………何で、みんな死んでいるんだ。」
開いた目が閉じることを忘れる。
目に焼き付いて離れないとは
こういうことだろう。
目の前には赤、赤、赤。
強い鉄臭い匂いに鼻が曲がりそうだ。
緑に生い茂る芝生の上を、
鮮血がまるで周囲へ進むように
広がっていく。
その光景を目にして、
規則正しかった心音が
だんだんスピードをあげる。
私の体の中でドクドクと大きな音を立てて、
今にでも胸から飛び出しそうに勢いが強い。
額に浮かんだ湿った汗が頬を伝う。
それが地面に落ちる音がした。
それ以外を、耳が拾わなかった。
この光景に釘付けになっている証拠だ。
空を見上げてみると、
まだ夕刻にもなっていないのか、
太陽はまだ高い位置にあった。
ギラギラと白く光る太陽が憎らしい。
いっそのこと早く夜になって、
また寝て、目が覚めたら
全部夢だったと言うオチなら良いのに。
夜が駄目なら雨を降らせて欲しい。
私の視界を、少しでも曇らせてほしかった。
ルシファー「………お姉様。」
ミカエル「…………嗚呼、"彼女"ってお前のことだったのか。」
私のことを「お姉様」なんて呼ぶのは
この世でルシファーしか居ない。
声のした真横へ視線を送ると、
ルシファーが今にも泣きだしそうな顔を
しながら私の手を握ってきた。
酷い顔だな、と思ったが、
屹度自分も彼女に大口叩けないほど
同じような顔をしているんだろう。
その証拠に目元が痒いし、なんだか熱い。
目覚めるまでの夢の中で、
最後の方にあの女天使が
言っていた言葉を思い出す。
《彼女と、街にあるバーロンの井戸へ向かって頂戴。そうすれば、屹度わかる。貴女は賢い子だから。》
「彼女」って一体誰だよ、と
聞きながら思ってはいたが、
夢から覚めてしまう焦りに負けて
後回しにしていた。
この奇妙な状態の中、
怪我もせず無事なのは
見たところ私とルシファーだけだった。
ルシファー「……お姉様だけでも、無事で良かった。」
光が射した。
ルシファーの私の手を握るその手は
震えながらも力強く、
私が生きている事を確かめるようだった。
光に輝く彼女の浮かべた笑顔は、
安堵の表情が含まれていた。
ミカエル「…………ルシファー。みんな死んだ。母さんも、ソルベイトもサノンもガルデンもレヴェートもバルティニュムも…。みんな、死んじゃったよ。」
ルシファー「……………私達双子だけが、生き残ったのね。」
ミカエル「…何でだ。何でこうなったんだ。」
ルシファーの手を片手で握りながら
もう片方の手で頭を抱えると、
彼女も片手を私の肩においた。
ルシファー「…私ね、夢を見たの。夢の中で、あの悪魔に似た容姿の女性が私に言ったの。"バーロンの井戸へ行きなさい。"って。」
ミカエル「…嗚呼、そういえば私も言われたな。声だけで誰だか分からなかったけど。」
言われた言葉自体覚えてはいたが、
それほど重要に捉えてはいなかった。
今は只、目の前の悲劇に思考が狂わされる。
そんな私を見て、
ルシファーは恐る恐ると言った感じに口を開く。
ルシファー「……ねぇお姉様。真実を求めに、井戸へ行ってみよう?もしかしたら、ハールート達のこと、何かわかるかもしれない。」
そう尋ねるルシファーの瞳は、
何かを恐れているようだった。
まるで私に拒絶されるのを
怖がるかのように。
そんな彼女を見ていると、
姉の私が無様に思えてきてしまった。
妹に励まされて、姉は面目ない。
仲間が殺されて、
こんなに冷静でいられるのは可笑しいと
誰もが思うかもしれないが、
この時の私達は、普通じゃなかった。
一周回って変になっていたのだと思う。
私はルシファーへと
半ば無理矢理、笑顔を浮かべた。
ミカエル「そうだな…。一先ず、みんなは館に運んでおこう。」
私が笑顔を浮かべてそう発したことで、
ルシファーは屹度安心したのだろう。
生存確認の時と同じような
安堵の表情を浮かべた。
そして私達は、
自分が血で汚れるのを厭わずに、
一人ずつ丁寧に館に運んだ。
リビングにルシファーの魔法で棺を用意し、
全員を其処に寝かす。
ミカエル「……おやすみ母さん。」
金糸のような髪の毛をサラリと手にかける。
視線を下にズラせば、
胸には何かが貫通したように、
大きな穴が空いていた。
傷口は深いものなのに、
目を瞑っている顔は青白くも綺麗で、
とても死んでいるようには見えない。
ミカエル「おやすみソルベイト。」
綺麗な黒いくせ毛を撫でる。
口元には血反吐を吐いた跡があり、
袖口で拭ってやる。
血反吐吐いた原因は喉元の傷だった。
まるで何かに掻っ切られたように
喉笛が傷付いていた。
ミカエル「おやすみサノン。」
白花色の髪の毛と冷え切った体を撫でる。
四肢が違う方向へ折れているので、
元に戻してやる。
瞳からは、血の涙が出ていた。
屹度散々泣いて、痛がったのだろう。
ソルベイトと同じように袖口で拭う。
ミカエル「おやすみガルデン。」
灰色の長い髪の毛を撫でる。
右目には眼球がなくなっていた。
流れ出る鮮血を袖口で拭い、
目元に手を当て瞼を閉じさせる。
ミカエル「おやすみレヴェート。」
灰色の短い髪の毛を撫でる。
ガルデンと対になるように、
レヴェートは左目の眼球がなくなっていた。
同じように流れる鮮血を拭い、
目元に手を当て瞼を閉じさせる。
ミカエル「おやすみバルティニュム。」
真っ白な柔らかい髪の毛を撫でる。
獣耳が出てることから、
屹度抵抗しようとしたのだろう。
片耳は千切られたのか、なくなっている。
同じように手足も片方ずつなくなっていた。
ミカエル「せめて…、安らかな眠りを。」
その一言を最後に、棺を閉めた。
閉める直前まで、
ルシファーは一人一人顔を眺めていた。
そして閉め終わると、
両手を絡ませ、祈るように目を瞑る。
思っていることは、同じなようだ。
その後、棺を全て
館の奥にある空き部屋に移動させ、
扉に結界を何重も張り、厳重に閉じた。
全てが終わる頃には
空は暗くなり、強い雨が降っていた。
今更かと思いながら窓に額を押しつける。
まるで私達の心情を表すかのように
ザアザアと窓にあたる雨粒に、
無性に腹が立った。
見えないように、聞こえないように
全ての窓のカーテンを閉める。
今夜はこの天気なのでバーロンの井戸へは
明朝に行くことにした。
自室で寝台に入ろうとしたところに、
起きて私が死んでいたら嫌だと
ルシファーが言いに来たので、
私達は一緒に寝ることにした。
ルシファー「お姉様と一緒に寝るなんて何時ぶりかしら。ふふっ、何だか凄く嬉しい。」
勿論寝台は一つしかないので、
二人で横になった。
隣に居る私の顔を見つめながら、
ルシファーはニッコリと笑う。
確かにこうして二人で寝るのは
久し振りかもしれない。
まだ母さんに拾われたばかりの頃は、
毎日のように一緒に寝ていた。
彼女の笑顔につられて私も微笑み返す。
屹度双子魔女との戦いで
疲れが溜まっていたのだろう。
ルシファーは直ぐに眠りについた。
私も眠りにつこうと思ったが、
目が冴えていて全然眠れない。
いや、それは言い訳に過ぎない。
確かに目は冴えているが、
眠れない理由には当てはまらない。
そもそも、私自身が
眠ることを嫌がっているのだ。
もう、あの夢を見たくないと思っている。
若しかしたら、今眠ったら、
母さん達が夢に出てくるかもしれない。
あの女天使に、
また何を言われるかわからない。
其処には恐怖しかなかった。
知的探究心なんか何処かに忘れて、
私は、失うことを恐れていた。
ルシファーの言うように、
今此処で眠りについて、
夢の中で彼女が助言を囁き、
再び目を覚ましたら
今度は今隣に居る自分の妹が
死んでしまっているなんてことも、
ありえないことではない。
突然六人も仲間を失って、
恐怖しないわけがないだろう。
それでも時間は過ぎていくばかりで、
壁にかけている時計を見やると、
もう深夜だった。
寝台に入ってから、
かれこれ数時間は経過している。
これは駄目だと諦めて起き上がると、
何処からか視線を感じた。
直ぐに視線を辿ると、
正面の壁に人影があった。
今はもう深夜で部屋が暗い中、
それだけは、はっきりと見えた。
ミカエル「…夢だけじゃなく、現実にも現れるようになったのか?」
壁に背を預けながら立つのは
もう見慣れた女天使だった。
相も変わらず顔はよく見えないが、
女天使には何処か違和感があった。
何がと聞かれれば答えられないのだが、
何か感じるものがある。
私の問いかけに、
女天使は口も顔も動かさず、
反応を示そうとしない。
ただずっと此方を見つめるだけ。
ミカエル「……それとも、私の幻か?」
再び声を掛けても彼女は黙ったまま。
随分勝手なものだ。
もし目の前の女天使が
いつも会っている彼女ではないとしても、
自分は夢の中で散々話すことだけ話して、
私からの問いかけには答えない。
これでは理不尽すぎる。
それでも、
今は彼女に当たっても仕方がない。
怒りの矛先を彼女に向けたって、
終わってしまったことは変わらない。
私は溜め息を一つ零すと、
再び目の前の彼女を見つめる。
ミカエル「……私は必ず記憶を取り戻して、お前が誰なのかを突きとめる。…何故私達が双子魔女に狙われたのか、私達とお前達がどういった関係なのか、真実を見つけだしてみせる。」
幻かもしれない相手だが、
私なりの覚悟を伝えた。
本当に彼女が自分の作った幻だったら
かなり恥ずかしいな、と思ったが、
彼女を見てそんな思考は吹っ飛んだ。
彼女が笑ったのだ。
いつものように見えない彼女の目が、
ふんわりと柔らかく細められた気がした。
そしてそのまま何も発さず
消えてしまった。
結局現実か幻かわからなかったが、
何処か雰囲気はいつもとそっくりだった。
いつか、彼女が素顔を
見せてくれる日はくるだろうか。
屹度その時は、
私が彼女について調べあげ、
真実に辿り着いた時だろう。
勝手に、そう思っておくことにした。
再び溜め息を零し、
起き上がった体を
また横にしようと体制を崩すと、
ふとルシファーの顔が見えた。
彼女の閉じた瞳から、
静かに涙が流れていた。
ミカエル「…………ごめん。」
屹度無理をさせていた。
仲間の中で一番情の深い彼女が
彼等の死を目にして
冷静でいられるわけがない。
そんなことはわかりきっていたはずなのに、
私はルシファーの優しさに甘えた。
起きて目にしたのは、
私の方が先だったのだろう。
ルシファーが起きた時、
目の前には仲間の死体。
傍らには魂が抜けたように青空を仰ぐ姉。
要領の良い彼女は瞬時に理解したのだ。
今がどういう状況なのか、
自分が何をすべきなのか。
私はとても姉思いな妹を持ったものだ。
昼間にも思ったが、姉として情けない。
ルシファーの目から伝う涙を手で掬う。
生温いそれは、
私の手をも伝って布団に滲んでいく。
その光景に、また胸が傷んだ。
ドクドクと脈打つ心臓が、
まるで耳元から聞こえるかのように
大きな音を出す。
私は聞こえない振りをして
ルシファーの頭を撫でた。
壊れないように優しく。
そしてやっと横になり、
夢を見ないよう祈りながら眠りについた。