第2話 全く望んでない招待状
私が記憶を取り戻してから1週間が経った。
表面上は変わらず、しかし確実に中身を激変させた私は、非常に充実した毎日を送っている。
あの翌日から始まった淑女教育は、周囲が驚く程の熱心さで取り組んでいる。
ずっと駄々を捏ねていたことをよく知っている淑女教育講師のデルマー夫人は、初日から私の変貌ぶりに震えていた。
「お、お嬢様...?」
「はい、デルマー夫人」
「......何か変なものでもお食べになられました?」
初日の開口一番でそう言われた。
変なものを食べたとは失礼な。
私は私のやるべき事を成しているだけだ。
というか、未だ始まってすらいないのにそこまで言われるとは。
しかし、デルマー夫人の驚きも理解出来る。
つい先日夫人が講師就任の挨拶に来てくれたときですら、私はなんだかんだと理由を付けて会わなかったくらいだ。
今回も体の良い言い訳を並べ立てて顔を見せないとでも思っていたんだろう。
......正直私もたぶん記憶が戻っていなければ、アリスは今回もボイコットを決行していたと思う。
しかし、私は変わることを決意したのだ。
リリアンヌ様を悪役令嬢などにさせないために!
その為なら多少の苦労など、屁でもない。
それに、かつての世界での記憶を取り戻した私にとって、デルマー夫人の授業はとても楽しかった。
前世で私が通っていた高校は県内屈指の名門進学校だった。
自慢ではないが、私はその名門進学校で入学から死ぬまでの間、ずっと学年首位をキープしていたのだ。
年齢一桁の少女に教える為の淑女教育が苦痛な訳が無かった。
しかも、貴族令嬢として必要なマナーも新たに学べる。
新しいことを知るのは純粋に楽しかった。
記憶を取り戻す以前のアリスはこういう知的好奇心を満たす喜びを知らなかったからこそ、あれほどまでに勉強を嫌がったのだ。
今現在の自分の頭の回転の速さを鑑みるに、アリス本人もそこまで阿呆ではなかったと推測出来る。
つまり。
ゲームであんな馬鹿な行動ばかりしていたのは、デルマー夫人の授業から逃げ回っていた結果だと思う。
うん。きっとそうだわ。
だって、キチンと学んでいればあんな非常識で恥知らずな行動を取ることなんて出来ないもん。
自分より高位である公爵令嬢のリリアンヌ様や王太子達に許可なく話し掛けたり。
普通は高位の者から声を掛けられない限り話し掛けてはいけない。
貴族相手でも失礼なのにましてや王族なんて不敬罪で捕まっても文句は言えない。
食事の時だって王太子に向かってアーン、とか。
後ろから走って突撃して抱き着く、とか。
近衛騎士団長に剣を見せてとせがむ、とか。
個人的に仲良くなったからって公の場でして良い事じゃない。
下町の兄ちゃんじゃないんだ。
彼らはそれぞれ王侯貴族の歴とした子息達なのだ。
ゲームのアリスはそういう事を平気でしてしまえる様な、貴族としては規格外のハチャメチャ娘だった。
兎に角、それを回避出来て本当に良かった。
リリアンヌ様の未来的な意味で。
こんな非常識令嬢を注意してくれたリリアンヌ様が、アリスが攻略対象達から好意を寄せられたってだけで断罪されるのなんて本気で嫌だ。
そんなこんなで、私は順調に淑女としての嗜みを身に付けている。
「アリス」
「なんですの?お父様」
晩餐の席で淑女教育の授業で学んだ通り優雅に食事をしていた私に、父であるアダルバード・メイフィールド侯爵が話しかけてきた。
ニコニコと微笑むこの温厚な父が、外務省では【仕事の鬼】と呼ばれているのを私は知っている。
もちろん、乙女ゲームの知識だ。
ちなみに攻略対象の一人であるマリオンは、将来この父の部下となる。
場合によっては娘婿と同じ職場とか...。
私だったら絶対嫌だわ。
だって、私にとってのリリアンヌ様が私の部活の後輩と結婚するようなものでしょ?
私ならその後輩にめっちゃキツく当たっちゃうわ。
まぁ、私自身にはマリオンを攻略する気なんて更々無いけど。
なんて事を考えていると、父から衝撃の事実を聞かされた。
「アリスに王家のガーデンパーティーの招待状が届いているよ」
「はい?」
お父様、今なんと仰いました?
「王家のガーデンパーティーの招待状が、アリス宛に届いたんだ」
にっこりニコニコ。
満面の笑みの父。
対して私は、驚愕に目を見開いたまま固まった。
ウッソだろお前。
シナリオ丸無視かよ。
思わずそんな言葉が頭を巡った。
私の記憶が正しければ、アリスが王家のガーデンパーティーに誘われるのは10歳のときのはずだ。
決して7歳である今ではない。
補足すると、そのガーデンパーティーでアリスは自分より2つ年上の王太子のアドニスとその双子の弟であるフェリクスの2人と出会う。
まあ、言わずもがな。
2人とも、攻略対象である。
何故かその両方からガーデンパーティーでいきなり求婚されてしまうのだ。
しかし、アドニスはそのアリスへの求婚以前にリリアンヌ様との婚約が決まっている。
それ故に、アリスは弟のフェリクスの婚約者となるのだ。
弟にアリスを取られたアドニスは、自らの求婚の妨げになったリリアンヌ様にその時から辛く当たるようになってしまう。
...シナリオ思い出してたらムカついてきたな。
何なんだ、アドニス。
あんな素晴らしい公爵令嬢のリリアンヌ様を差し置いて、非常識令嬢のアリスに惚れるだなんて。
見る目が無さすぎ。
そしてリリアンヌ様に辛く当たるなんて、何様だ。
あ、王太子様だったわ。
いや、そんな事より。
ん?いや、“そんな事”じゃないけども。
大事なことだけれども。
今はそれよりも、王子達との邂逅が何故3年も早まってしまったのか。
その事実が由々しき問題である。
「わ、わたしにはまだ早いと思いますわ」
父の笑みに対抗するつもりで笑って言ってみた。
が、恐らくあからさまに引き攣っただろう。
「どうしてだい?他の子息や令嬢はもうとっくに招待をお受けして、パーティーデビューをしているんだよ?これはまたと無いチャンスなんだ。アリスもメイフィールド侯爵家の一員として、しっかり社交を学んでおいで」
「いえ、その...わたしはまだしゅくじょきょういくが始まったばかりですし...。王家のかたがたのごぜんでそそうがあってはいけませんわ。もう少し...あと3年後くらいにしてもよいのでは?」
「おや、アリスは面白いことを言うね。デルマー夫人に聞いたが、キミは随分優秀だそうじゃないか。夫人が一度教えた事は直ぐに完璧にこなせる、と夫人が喜んでいたよ」
自業自得だったーーー!!!
あー!クソっ!
もっと適当な方が良かったのか!
というかそれってつまりゲームのアリスは淑女として問題有りだったから10歳でのデビューだったのね!
どんだけ出来悪いんだ、アリス!
「父上、いくらなんでも早過ぎでは?アリスも困惑しておりますよ」
私の隣でそれまでずっと黙って食事をしていた7つ上の兄のクリストファーが、そう言って助け舟を出してくれた。
この兄は主人公アリスの実の兄なので攻略対象ではないが、紛うことなき美形である。
そして、マリオンと同い年で親友だ。
マリオンのルートではお助けキャラ的な存在だった。
その分他のキャラのルートでは影が薄くて、ほぼ出演しない。
そんなクリス兄様が、私の意を汲んでお父様に意見してくれている。
有難いことこの上ない。
「クリス兄様のいうとおりですわ。わたし、とてもこんわくしております。どうか、今回はふさんかでお願いいたします」
ね?ね?ね?
念押しするつもりでうるうるお目目で言ってみた。
すると、父はその笑みを少しだけ困った様に変化させる。
「でもね、アリス。もう既に了承のお返事をしてしまったんだよ。だから、今回は頑張って参加しておくれ。今のキミなら大丈夫だ。侯爵家の令嬢として立派に振る舞えるよ」
嗚呼、お父様。
私は自分の振る舞いが不安なのでなく、乙女ゲームのシナリオが怖いのです。
なんて、言える訳が無かった。
既に了承の返事をしている、という事は。
この父は始めから私の意見なぞ聞く気は一切無かったのだ。
これが、【仕事の鬼】と言われる由縁か。
私はガックリと肩を落とした。
貴族令嬢として食事中に肩を落とすとは行儀が悪いが、今だけは許してほしい。