(3)
翌朝、授業の前に全校集会が開かれた。講堂の正面に白い祭壇が設けられ、生徒たちに白薔薇が配られたことから、誰もが、これから訃報がもたらされることを予想した。
祭壇の前にゆっくりと進み出たのは、白い口髭の両側をくるりと巻いた腰の曲がった白髪の老人——学院長だ。喪服である黒いローブを身に着けた彼の口から、最上級生のフリーデル・プラネルトが時計塔から誤って転落し、命を落としたと知らされると、講堂内は騒然となった。
クリスタは、昨晩のティルアの話とこの訃報を関連づけて考えたらしく、七年生の列から問うような視線をよこしてきた。ティルアは小さく頷いてそれに答えた。
その日の夕方。最後の授業が終わる頃に、ようやくユーリウスが姿を見せた。教師や他の生徒たちに姿が見えないのをいいことに、堂々と授業中の教室に入ってくる。
「大丈夫?」
ティルアがこっそり声をかけると、彼は『ああ』とだけ答えた。
あちら側の世界では疲れることはないと言っていたが、彼は憔悴しきった顔をしていた。昨晩からほぼ一日、友人の死の真相を掴むために動き回っていたのだ。肉体的な疲労はなくても、十五歳の少年の精神にかかる負荷は、かなりのものだったろう。
ティルアは俯く彼の背中に、思わず手を伸ばした。しかし、慰めの手は彼の背に手首まで埋もれるだけで、触れることができない。気づいてももらえない。辛い思いに耐えている彼に何もしてあげられないことが、ひどくもどかしかった。
ティルアは授業が終わると、あえてゆっくりと帰り支度をして、教室に一人になるのを待った。いや、正確には二人だ。
「本当に、彼は自殺だったの?」
教室に二人きりになると、ティルアが単刀直入に話を切り出した。
学院長は不幸な事故だと説明したが、それは生徒たちに動揺を与えないためだろう。昨晩の教師たちの話では、自殺の線が濃厚だった。しかし、ユーリウスの様子や、クリスタから聞いた話を考えると、それも違う気がする。
『……分からない。だけど、それ以外を示す証拠は、何一つ見つからなかった』
彼は悔しそうに唇を噛んだ。
おそらく、フリーデルの自殺を、いちばん信じていないのが彼なのだ。
『リーム先生は、あいつが魔術統括省に入れないことを思い詰めて、何度も相談に来ていたと証言していた。あいつの両親は、息子が上級生になって急に成績が上がったから、魔術統括省入りを期待していたそうだ。それが息子を追いつめたんじゃないかって、悔やんでいた』
「でも、本気で魔術統括省に入りたかったのなら、一年留年しても良かったじゃない? 彼は飛び級しているから、卒業が一年先になっても平気でしょ?」
『ああ。リーム先生も留年を勧めたって言ってたよ』
魔術統括省に入るために、あえて留年し、次のチャンスを待つ生徒は珍しくない。見込みのある生徒には、学院側が留年を勧めることもあるくらいなのだ。今年だめだったからといって、自ら命を絶つ必要はない。
だったら、なぜ、彼は死ななければならなかったのだろう。
『状況証拠では自殺以外は考えられない。だけど、どうしても納得がいかないんだ。あいつの部屋に行ってみたら、薬学の本や薬草の標本で溢れ返っていて、机の上には書きかけの論文もあった。とても、自殺する人間の部屋じゃなかったんだよ!』
「じゃあ、学院長が説明した通り……事故?」
『あんな時間に、薄気味悪い時計塔に登るやつがいるかよ! それに、あの高い手摺から誤って落ちるなんて、不自然すぎる!』
「自殺でも事故でもないとしたら……」
フリーデルの転落死が自殺でも事故でもないのなら、考えられる理由はあと一つ。
他殺——。
誰かに誘い出されたのなら、夕刻にあの不気味な時計塔に上がることもあるかもしれない。突き落とされたのなら、高い手すりも乗り越えるだろう。
しかし、飄々と我が道を行く性格の彼は、誰かに恨みを買うような人間だとは思えなかった。高学年になってから急激に成績を上げたせいで、順位が落ちた生徒はいたかもしれないが、彼も魔術統括省には入れないのだから、恨まれる理由にならない。
「ユーリはどう思っているの?」
静かに問うと、彼は言葉に詰まった。無念そうに拳を握る。
『俺には……誰かに殺されたとしか、思えない。だけど、そんな痕跡は見つけられなかったし、あいつが殺されるような理由もない』
「やっぱり、事故だったんじゃないの? あのフリーデルが誰かに殺されるなんて、ありえないじゃない?」
『だけど、時計塔の近くの茂みの上に、こんなものを見つけたんだ。俺が拾えるということは、誰かが消去したものだ。それも、ごく最近』
ユーリウスはポケットから何かを取り出した。それが何なのかはティルアには見えないが、彼の手の動きから折り畳まれているものらしい。
「なんなの? ……紙?」
『そう。デイレ!』
消去呪文によって、彼の手から白い紙がするりと滑り落ちてきた。それをティルアが、床に落ちる前に受け止める。
四つに折られた跡が残る紙に、几帳面な文字で書き連ねられていたのは人名だった。そのいちばん上に書かれた名前に、思わず息を飲む。
「えっ? フリーデルって書いて……あ、違う。彼じゃない!」
『そう、あいつじゃないんだ』
一行目にはフリーデル・クラッセンと書かれていた。プラネルトではない。そしてその下に、ユーリウス・オスヴァルトと六名の男女の名前が続く。
「でも、フリーデル・クラッセンって誰? 聞いたことない名前だけど。後は全員、この学院の生徒で、しかも、成績優秀な子ばかりね」
ティルアが紙面を指で辿っていく。
『成績優秀というか、俺から下は来年度の魔術統括省の入省者の名前だ』
「そうなの? 単にこの学院の優秀な生徒を、並べて書いてあるだけじゃないの?」
『いや、違う。この三番目に名前があるコンスタンティンは、学院の成績では十番目ぐらいだ。そして、最後に名前がある彼女はまだ七年生。この二人が、この位置に書かれているということは、入省者名簿が元になっていると考えて間違いない』
「ああ、なるほど」
魔術統括省の入省者がどのように決まるのかは、誰にも分からない。魔術のインクで書かれた半年後の事実に従って、入省することになっている。
名簿に記された名前は成績順に並んでいるとされているが、学院の成績だけで決まるのではないらしく、今回のような番狂わせが度々起きる。だから、順位までが正確に反映されているこの紙は、入省者名簿を写したものだと推測できるのだ。
しかし、いちばん上に書かれた名前が謎すぎる。
先日、掲示板に貼り出された名簿には、フリーデル・クラッセンという名はなかった。だいたい、こんな生徒はこの学院に存在しない。
「フリーデル・クラッセンって誰なんだろう。ユーリより成績優秀な生徒ってことになるよね」
『これが、本当に入省者の名簿の写しならそうだな』
「なんの偶然だろう? もしかして、フリーデル・プラネルトとフリーデル・クラッセンは同一人物なのかしら? だったら、この学院でいちばん優秀な生徒が、彼っていうことになるけど」
『俺があいつに劣るはずがないだろう! 魔術薬学以外は……』
「あら? 魔術薬学はフリーデルに敵わなかったの?」
ユーリウスが言いかけて口をつぐんだ内容を問い返すと、彼は不機嫌な顔でふいと横を向いた。あまりにも子どもっぽく、分かりやすい肯定だ。
ティルアはこんな状況ながらくすりと笑ってしまいそうになり、慌ててごまかすように口を開く。
「でも、それはしょうがないわよ。彼は一年生のときから薬草馬鹿だったもの」
『あんなに…………のに……』
「え?」
『……あいつは……この、俺が……どんなに頑張っても、一度も勝て……なかった』
苦しそうに絞り出された声は、やがて堰を切って溢れ出す。
『だからあいつは……あいつは、魔術薬学者にならなきゃならなかったんだ! 絶対、誰よりもすばらしい学者になれたはずなんだ! こんなところで死んでいい奴じゃないんだよ!』
わなわなと肩を震わせている後ろ姿に、胸が詰まった。
ああ、そういうことだったのか。
ユーリウスにとって彼は、友達というより、実力を認めたライバルだったのだ。薬草学に限ってずばぬけた才能を見せた天才肌の彼は、この学校一の秀才に、屈辱感と闘争心、嫉妬や羨望、尊敬といった思いを抱かせた、唯一無二の存在だったに違いない。
『くそっ! なんで死んだんだよ! なんで……』
ユーリウスが、足元に積もっているはずの羽毛を蹴り上げた。
プライドの高い彼が、学院一の落ちこぼれにこんな姿を曝してしまうほど、ライバルの死は彼に衝撃を与えたのか。
荒ぶる彼の周囲に、色とりどりの鳥の羽が舞っている光景が目に浮かぶ。それは、あまりに滑稽で、胸を握りつぶされそうなほど痛ましくて。
ティルアは思わず彼に手を伸ばした。
ところが——。