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(2)

「校内で事故が起きたため、食後は速やかに寮に戻るように」

 具体的な説明が一切なされないまま、生徒たちは教師の引率で、管理棟の裏口から寮の部屋に強制的に帰らされた。点呼によって生徒全員が寮に入ったことを確認後、誰一人外に出られないよう、玄関や窓に強力な魔術がかけられる。

 かつてないほどの厳重な処置に、生徒たちは談話室や誰かの部屋に集まり、何が起きたのかと、見当外れのうわさ話で盛り上がっていた。

 真実を知っているティルアは、そんな話の輪に入れるはずもない。自分の部屋に閉じこもり、毛布を頭から被って震えていた。

「ティルア、いるの?」

 扉を叩く音と同時に、廊下からよく知った声が聞こえてきた。

 他の生徒は魔術で部屋の扉に鍵をかけるのだが、ティルアにはそれができない。返事をしないでいると、中を窺うようにそっと扉を開く音が聞こえてきた。

 扉の隙間から顔をのぞかせたのは、見事な赤毛をお下げに編んだ少女だ。

「ティルア、どうしたの? やっぱり具合が悪いの?」

 彼女はベッドの上で毛布に包まっているティルアを見つけると、慌てて駆け寄ってきた。

 彼女の名はクリスタ・キーリッツ。ティルアより一つ年下だが、一年飛び級したため、現在は七学年に在籍している。

 ティルアと同じ姓を名乗っているのは、同じキーリッツ孤児院の出身である証拠だ。孤児院の門の前に相次いで捨てられていた二人は、名前を示すものが残されていなかったため、院長が名付け親となった。二人はよく似た境遇もあって、孤児院時代から仲が良く、お互いを姉妹のように思っていた。

「やっぱり……って?」

 ティルアは毛布の隙間から少し顔を出した。

「だって、トラレス先生と食堂に来た時、すごく顔色が悪かったもの。あの後すぐに寮に戻されてしまったから、夕ご飯も食べられなかったんじゃないの? あのね、わたしクッキーを持ってきたの」

 クリスタはそう言ってベッドの端に腰掛けると、持っていた包みを開いた。中から出てきたのは、中央のくぼみに苺のジャムが詰まった花の形のクッキー。国から支給される少ないお小遣いをやりくりして買ってくる、彼女の好物だ。

「ねぇ、食べて。おいしいわよ」

「ありがとう」

 本当は食欲などなかったが、自分を心配してくれる彼女の気持ちに応えるため、一つだけ口にした。ぱさつく小麦の塊をなんとか飲み込んで、笑顔を作る。そして、当たり障りのない会話の中に、気になっていることを挟み込んだ。

「クリスタはフリーデルを知ってる? 同じクラスになったことあったっけ?」

「フリーデルってフリーデル・プラネルトのこと? 二年ほど同じクラスだったけど、彼、六年生のときに猛勉強を始めて、あっさり飛び級しちゃったわ」

「それって、魔術統括省に入りたかったから?」

「彼が? まさかー! 彼は魔法薬学以外には興味がなくて、成績も落第ギリギリだったの。でも、もっと他の教科の点数が良かったら、国立魔術薬研究所に推薦してやるって先生に言われて、一念発起したの。きっと今の彼なら、文句なしに推薦してもらえるはずよ」

「……そう」

 彼は一生懸命に努力して、自分の夢を叶える一歩手前まで、たどり着いていたのだ。確かに、自ら命を絶たなければならない理由はない。むしろ、希望に満ちあふれていたはずだ。

 なのに彼は、もう……。

 ティルアは毛布を引き寄せて、自分に固く巻き付けた。

「どうしちゃったの、ティルア。もしかして、今日のことと何か関係があるの?」

 クリスタが思いのほか鋭くて、ティルアは黙り込む。

「ティルア? 大丈夫?」

「……う、うん」

 彼女に心配をかけまいと別の話題を探していると、時計塔に駆けつけた若い男性教師の顔を思い出した。

「今日、知らない先生を見たんだけど、クリスタ知ってる?」

「どんな先生?」

「肩ぐらいの銀色の髪をした、片眼鏡を掛けた若い……」

 その説明で、彼女の頬が淡く染まった。

「ああ、それは魔術管理法概論の臨時講師のイグナーツ・リーム先生よ。急病のライニンガー先生の代わりに、十日ほど前に派遣されてきたの。現役の魔術統括省の官僚なんだって」

「ああ……だから」

 彼はフリーデルが魔術統括省に指名されなかったことで相談に来ていた、と話していた。フリーデルが入省を望んでいたとしたら、同じ機関から来た教師に相談しても不思議ではない。だからユーリウスも、彼が自殺したという推測を否定しきれなかったのだろう。

 ユーリは、何か手がかりを見つけられただろうか。

 彼が部屋に顔を出さないところを見ると、まだいろいろと調べているのだろう。あるいは、友人の亡骸にずっと付き添っているかもしれない。

 ティルアが考え込んでいると、クリスタが何か思い出したのかぽんと手を打った。

「そう言えば、そのリーム先生が言っていたんだけど、行方不明になってるユーリウス・オスヴァルトはね、実は死んではいないんだって」

 あまりの言われように、ティルアは目を丸くした。

「まさか、彼は死んだって思われてたの?」

 彼が中庭で消えてから、五日以上経つ。

 最初の数日間は、教師たちはあらゆる手を尽くして彼の行方を捜していた。

 ティルアも、現場近くにいた人物の一人として教師から事情聴取された。しかし、ユーリウスから「絶対に話すな」と強く言われた上に、聞き取り中もすぐ側で睨みをきかされていたため、真実を話すことはできなかった。

 調査はその後も細々と続けられているらしいが、諦めムードが漂っている。

 本当は、すぐそこにいるのに……。

 まさか魔術で消去されているなんて、誰も夢にも思わないだろう。

「皆の目の前で突然姿が消えて、ずっと行方不明なんだから、そんな噂になってもおかしくないでしょ。でも、リーム先生が魔術統括省に確認したところ、ユーリの名前が名簿に残っていたんだって。だから、まだ生きているの」

「どういうこと?」

「魔術統括省の職員名簿は、半年先に省にいる人の名前を魔術のインクで記した未来の名簿なのよ。だから、名簿に名前のある人が入省前に死んじゃったり、仕事ができないほどの怪我や病気になったりすると、名前が消えるんだって」

 その説明に、ティルアは目をぱちくりさせた。

「……ってことは、ユーリは半年後、ちゃんと魔術統括省にいるってこと?」

「そういうこと。だから、彼はちゃんと生きているの。そのうち、ひょっこり帰ってくるはずよ」

 つまりそれは、ユーリウスがあちら側の世界から、こちら側に無事に戻ってこられるということだ。そうでなければ、半年後、魔術統括省に入省できないのだから。

「きゃあ! やった!」

 思わず叫び声を上げてしまったから、クリスタが訝しげな視線を向けてきた。

「ティルアって、そんなにユーリと仲良かったっけ?」

「そ、そういう訳じゃないけど、ユーリが消えた時、あたしも近くにいたのよ。だから、気になって、ね」

 慌てて言い訳して、クリスタが持って来てくれたクッキーを一つ口に放り込んだ。

 自分が、生きた人体を出現させる大魔術を使えるようになるのか、他の方法が見つかるのかは分からないが、彼は必ず元に戻れるのだ。

 未来が保証されたことで少し気が楽になった。

 しかし、ユーリウスの話題が出ている間は忘れていたが、ふと会話が途切れると、学院内のざわざわした不穏な空気を肌に感じる。同時に、フリーデルの事件が重く心にのしかかってきた。彼の方には明るい未来は決してないのだから。

 クリスタも押し黙ってしまったティルアの様子に、不安げな表情を見せる。

「ね、今晩はティルアの部屋に泊まってもいい?」

「……いいけど?」

「こんな夜は、一人でいるのは嫌よね?」

 ティルアを気遣っての言葉ではあるが、それ以上に、彼女自身が、得体の知れない何かに怯えていることが伝わってくる。

 彼女は昔から恐がりで、何かというとティルアを頼ってくるのだ。孤児院時代や低学年の頃は、一つのベッドで抱き合って眠ることも多かった。

 ティルアはくすりと笑うと、身体に巻き付けていた毛布を解いて、大きく広げた。

「こういうの、久しぶりね」

 ティルアも目の奥にこびりついた衝撃的な場面と、その事実を一人で抱えたままでは、夜を明かすことはできそうになかったから、彼女の申し出はありがたかった。

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