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「これは、フリーデルが倒れていた時計塔の近くで見つけた紙です。リーム先生がフリーデルを塔から突き落とした後、もう不要だと思って消去したのでしょう。本来ならこれは、誰の目にも触れることはなかった。けれど、同じく消去されていた俺が拾ってしまった」

 ユーリウスがちらりと視線を向けると、もう術が解かれたはずのリームの口があんぐりと開かれていた。

「この紙には、来年度の魔法統括省の入省者の名前が書いてあります。だけど、筆頭に書かれているのは俺じゃない。フリーデル・クラッセンという名前です」

「クラッセンだって? まさか……」

 驚きの声を上げたのは、近代魔術史のレルナー先生だった。

「そう。前国王の毒殺の罪に問われて処刑された、フリードリヒ・クラッセンの子どもの名前です。事件の黒幕は、死んだはずの子どもの名前が名簿に書かれたことに驚き、リーム先生にこの子を抹殺するように命じた。……そうですよね? 先生」

 ユーリウスの確認に、リームは唇を固く結んだだけで、否定も肯定もしなかった。

「フリードリヒの子どもが、生きていたのか」

「名簿に名前があったのなら、間違いないな」

「妻子を殺して、同時に消去したと聞いていたが……」

 教師たちがざわざわし始める。

「けれども、この学院にそんな名前の生徒はいなかった。そこで先生は、名簿の筆頭に選ばれる条件に合う生徒を殺害した。フリーデル・プラネルトは同じ名前だった上に、魔術薬学の天才だったから名簿に名前が載っても不思議はなかった。そしてクリスタ・キーリッツは、孤児院に預けられる前に両親が付けた本当の名前を持つ可能性があった。でも、彼らはフリーデル・クラッセンではなかった。彼らを殺しても、名簿からその名は消えなかったのです」

「そんな……。あの子たちは、人違いで殺されたというの? ひどい。ひどいわ!」

 両手で顔を覆ってザビーネが泣き崩れた。そんな老教師を慰めようとした女子生徒が、その涙につられてしゃくり上げる。すすり泣きが、林の中に広がっていく。

「いくら父親が大罪をおかしていても、殺される理由にはならんだろう」

 フリーデル・プラネルトに学者の道を勧めた魔術薬学の教師も、眼鏡をずらして涙を拭った。

「いいえ。重大な理由があったんです。フリードリヒはある秘密をあばく証拠を隠したまま、処刑された。だから、奴らはその子が生きていることで、その秘密が発覚するかもしれないと恐れたのです」

「なるほど。その秘密というのは、前国王の毒殺に関することなのじゃな?」

「そうです」

「して、奴らというのは?」

「前国王を殺害しフリードリヒに無実の罪を着せた者……それは、現国王の摂政、オイレンベルク卿と、魔法統括省大臣ベルノルト・コルベです」

 ユーリウスが名指ししたこの国の中枢を支える大物たちの名に、周囲はどよめいた。

 事件について教科書で学んだだけの若い教師や生徒たちは、驚きを隠せない。「まさか!」などと興奮して騒いでいる。

 事件当時をよく知る年配の教師らは、「やはり」という思いもあるのだろう。学院長は何度も大きく頷き、フリードリヒの無実を信じ続けていたレルナーは両手で顔を覆った。

 オイレンベルク卿は前国王の従兄弟。事件当時は国務大臣の職にあり、考え方の違いで前国王と対立することも多かった。彼は、前国王の死去により五歳で国を継いだ王子の摂政となり、国王が成人した今日でも、国政の実権を握っている。

 ベルノルト・コルベは、事件当時も魔法統括省の大臣であった。その頃、省内は大臣派とクラッセン派に二分されており、国王がフリードリヒに目を掛けていたことから、世代交代が近いと言われていた。

 国王の死と前途有望な魔術師の失脚は、二人の大臣に大きな恩恵をもたらした。それ故、この二人の陰謀説は、当時も噂されていたのだろう。

「それは、君の推測に過ぎん! 何の証拠があるというんだ!」

 しばらくの間、観念したように話を聞いていたリームが、突然声を上げた。

 この国の裏の近代史には、フリードリヒ・クラッセンが国王を毒殺したと記されている。その歴史を覆し、国の重鎮二人を罪に問うには、決定的な証拠が必要だ。それがなければ、若い学生の推測など、反逆罪や煽動罪で投獄するための材料になるだけだ。

「証拠……ね。証拠の一つは、リーム先生がクリスタ殺害に使用したチョコレート。それからもう一つ……」

 ユーリウスは話しながら、制服のボタンを二つほど外した。そして、内側から、数十枚はあろうかと思われる分厚い紙の束を取り出し、両手で高く掲げ持った。

「ここに、フリードリヒ・クラッセン直筆の告発状があります!」

 ユーリウスが声を張り上げると、その場が水を打ったように静まり返った。

「この中には、国王暗殺事件の全貌が事細かに書かれています。暗殺に使用された魔法薬についても、調べ上げられています。鑑定すれば分かることですが、おそらく、このチョコレートには、前国王に使われた毒と同じものが入っている。処刑されたフリードリヒしか製法を知らないはずの薬が、どうして今、手に入るのか。それは、リーム先生にフリーデル・クラッセンの殺害を命じた者が、真犯人だからだ!」

「どうして、そんな書類が……」

 それきり、リームは口をつぐんだ。その告発状は、彼にとっても致命傷なのだ。

「キーリッツ孤児院近くの湖の岸辺に、一人の女性の遺体があります。消去されていた彼女は他の人には見えませんが、同じ世界にいた俺だけは、見たり触れたりすることができました。この告発状は、彼女が抱いていたおくるみの中にありました。子どもの身代わりを作った痕跡と一緒に……」

「ユーリ……いつの間にこんなものを……」

「さっきまで、湖に行っていたんだ。そのせいで、あんたを危険な目に遭わせてしまったけど……。でも、間に合って良かった。この告発状は、あんたが受け継ぐべきものだ」

 ユーリウスが紙の束を差し出した。

「あたしが……?」

 ティルアは震える手でそれ受け取ると、何枚かめくってみた。

 紙面をびっしりと埋める細かな文字は、身代わり呪文に使われた紙に書かれていた名前と同じ、右上に跳ねる癖がある。その力強い筆跡は、真面目で正義感が強かったであろうフリードリヒの性格が、そのまま現れているようだった。

 難しい単語が並んだ堅苦しい文章は、読むことはできても理解は難しい。それでも、指先でなぞる、魂が込められた文字のひとつひとつが愛おしく、切なかった。

「お父さん……」

 彼の正義は世に出ることはなかった。無実の罪を着せられたまま無念の死を遂げた。

「お母さん……」

 彼の妻は、娘を生かすための嘘と、夫の最後の仕事を胸に抱いたまま、長い時間をたった一人で過ごしてきた。

 ティルアは両親の形見を、ぎゅっと抱きしめた。

 ——愛してる。

 ——愛してるわ。

 二人の声が、聞こえた気がした。

「ティルア……いや、フリーデル・クラッセンと呼んだ方がよいかの? フリーデルは男の名じゃが、自由を意味する良い名じゃ。フリードリヒは子どもの素性を隠し、親が背負ったものから自由になって欲しかったのじゃろうな」

「自由……」

「さあ、おまえさんは、その告発状をどうしたい?」

 顔を上げると、低い位置から学院長が顔を覗き込んでいた。

「決まってます! この告発状を、国王陛下に直接届けます。父のフリードリヒ・クラッセンに代わって!」

 それが両親の正義を貫き、無念を晴らすことになる。

 前国王と両親の犠牲の上に成り立った偽りの栄華を真犯人たちから奪い、重い咎を背負わせることができる。

 自分の代わりに殺された、フリーデル・プラネルトとクリスタの敵を討つことも。

「よかろう。儂に任せなさい」

 学院長は深い皺の奥の瞳を細め、力強く頷いた。



 学院長に連れられ、国王陛下の住むアンスフォルデ城に到着したのはまだ夜明け前だった。しかし、どういう手段を使ったのか、学院長はこんなあり得ない時間での国王との面会を、簡単に実現させてしまった。

 その後の展開は驚くほど早かった。

 成人して後も摂政の傀儡と言われていた若き国王は、的確な判断と迅速な指示で、日が高く昇る前には、事件の首謀者である摂政オイレンベルク卿と魔法統括省大臣ベルノルト・コルベ、そして彼らの協力者たち十数名を捕らえたのだ。

 取り調べや裁判などは後日となるが、彼らが罪を免れることは決してないだろう。

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