(2)
「それで、どうしてこうなったのじゃ?」
学院長に促されたユーリウスが、もう一度頭をくしゃくしゃにした。
「あー。説明が難しいんだけど……俺は、ティルアに消去されていたんです」
そして自分がいた、消去されたものだけが存在する世界について説明したが、周囲の人々は一様に困惑した表情を浮かべていた。
消去呪文はあまりにも日常的な術だから、消去された物体がどこへ行ってしまうのか、などと考えた者はほとんどいないだろう。もう一つの世界が、現実の世界と重なっているのだと力説しても、ユーリウス以外、誰も行ったことがないのだから、想像することすら難しい。だいたい、生きた人間が消去されたという事実も、これまで不可能とされていたとことだから、半信半疑に違いない。
寝癖のついた口ひげを指先にくるくる巻き、聞いているのかいないのか分からなかった学院長だけが「なるほど」と頷いた。
「俺は、落ちていた林檎の芯を拾い、先生の身体に半分埋めてから、消去呪文を使ったんです。すると、林檎の芯は、先生の身体に突き刺さった状態でこっちの世界に現れた」
しかし、どれだけ説明しても、大半の人々は理解できない様子だった。
「くそっ! いい加減、分かれよ!」
しびれを切らして大声で叫んだユーリウスの肩を、学院長が苦笑しながら叩く。
「いやいや。儂には、よぉーく分かったぞ。しかし、なぜお前さんたちはリーム先生を襲ったのじゃ?」
「違います! 襲われたのはあたしの方です。リーム先生が、あたしを殺そうとしたんです。それに、あの先生は、フリーデル・プラネルトとクリスタを殺しました!」
ティルアの衝撃的な告発に、周囲が一気に静まり返った。
そんな中、リームの声が響き渡る。
「う……嘘だ!」
「嘘じゃありません。リーム先生は自分で、二人を殺したとはっきりと言いました。そして、恐ろしい禁忌の術で、あたしも殺そうとしたんです」
「全部でたらめだ! ティルアの方が僕を殺そうとしたんだ。その生徒は、僕が二人を殺したという妄想に取り憑かれているんだ。狂っているんだ!」
身動きできない身体を揺らし、血走った目で叫ぶリームの方がよほど狂って見える。
「じゃあ、先生は二人を殺していないんだ?」
ユーリウスがティルアをかばうように前に出た。
「あの二人は自殺と病死だ。誰も彼らを殺してはいない!」
「へぇ……そうなんだ」
ユーリウスはにやりと笑ってさらに前に出ると、石畳に横たわるリームを見下ろした。内ポケットを探り、光を反射する小さな物体を取り出す。そしてそれを親指と人差し指で摘むと、リームの目の前に突きつけた。
「先生。これが何か知ってる?」
繊細な蔦の模様が描かれた銀色の包み紙。表面には薔薇の花びらのような凹凸が浮かび上がっている。
それを見たリームの表情がさっと変わった。
「クリスタの部屋で消去されていたのを見つけたんだけど、高級そうなチョコレートでしょ? 先生も一粒どう?」
ユーリウスはそう言いながら、銀色の包み紙をあえて細かくちぎりながら剥がし、パラパラとリームの顔の上に落とした。
「い、いらん!」
「どうして? きっとおいしいよ。クリスタはこれを三つも食べたんだ」
ユーリウスがリームの背中に腕を回し、拘束呪文が効いた上半身を抱え起こした。
「や……やめろ」
「ほら。遠慮しないで、食べなよ!」
「う……ん……むむむむ」
口だけにしか自由を与えられていないリームは、必死に唇を結んだ。瞳には恐怖の色がありありと浮かんでいる。
ティルアは、その様子から、そのチョコレートがどんなものであるのかを悟った。
リームは、自分では決して口にできない恐ろしい毒を、甘く美しいチョコレートの中に仕込んで、クリスタに渡したのだ。彼を信じ切っていた彼女は、幸せな気分でこのチョコレートを味わったにちがいない。彼が自分を最悪の形で騙しているとも知らずに——。
この男だけは、どうしても許せない。
ティルアは人差し指をリームに向けた。
「開け(アペルトゥース)」
冷ややかな声で呪文を言い放つと、頑に抵抗していたリームの口ががばりと開く。
「あ……がっ!」
「ああ、いいね。白状しないのなら、その口に無理やりねじ込んでやる」
「あああー! あっ……あーっ。ああぁぁぁぁ……」
恐怖に大きく見開かれた目の端に、みるみる涙が浮かんでいく。呪文で拘束されてもなお、全身ががたがたと震えている。
「さあ、このチョコを食べるか? 白状するか?」
「あ……あ、ああああっ!」
「どっちだ!」
「……あ、あー!」
リームの様子を確認して、ユーリウスがちらりと視線をよこした。
ティルアは小さく頷くと、「喋れ」と、学院長が先程使った呪文を唱えた。
「わ、分かった! 全て話す! そうだ。僕が、二人を殺したんだ!」
口の自由を取り戻したリームは、二人の殺害方法を淡々と説明していった。
フリーデル・プラネルトが進路の相談に来ていたという話は、全くの嘘。時計塔の通路に珍しい苔が見つかったと彼を誘い出し、そこから突き落として自殺に見せかけた。
自分を慕っていたクリスタは、毒を盛ったチョコレートで、病死に仕立て上げた。
ティルアは、呪いを込めたノートでおびき出し、魔術の事故を装って殺すつもりだった——と。
しかし、殺害の理由については、頑に説明を拒んだ。
「お願いだ。それだけは勘弁してくれ。それを言ったら、僕が殺されてしまう……」
さめざめと泣くエリートに、ユーリウスが侮蔑の視線を落とした。
「そんな心配しなくてもいいぜ。そいつらも、すぐに捕らえられるはずだから……」
彼はそう言いながら、ポケットから四つ折りにされた一枚の紙を取り出した。