(6)
「爆発せよ!」
渾身の力で放出された魔力が、これまで魔力を視ることができなかったティルアの目にはっきりと映った。
それは所々にちらちらとした赤い炎を纏った、どす黒い球体。
『ティルアぁぁぁ!』
ユーリウスの絶叫が響く。
恐ろしい魔力の塊が目の前に迫る。
だめ! もう、逃げられない。
「結界!」
とっさに口から飛び出したのは、最近耳にしたばかりの呪文だった。
その言葉は一瞬のうちに、ティルアの周囲に見えない障壁を作り上げる。そして、リームが放った爆破呪文を、あっさりと弾き飛ばしてしまった。
すぐ目の前で粉々に飛び散った禍々しい魔力は、火の粉のような赤い色を薄闇に浮かび上がらせた後、空気に溶けていく。
「う……うそぉ……」
目の前で起こった現象が信じられず、ティルアはぽかんと口を開けた。
「うわぁぁぁ!」
自分の魔術が二度も敗れ去る様を目の当たりにしたリームは、狂ったように頭をかきむしった。彼は、ついさっきまで僅かな魔力の気配も感じなかった小娘に、一流魔術師である自分を震え上がらせるほどの強烈な魔力を感じ取った。そして、自分が敵う相手ではないと悟り、怯えた様子で逃亡を図る。しかし、何本もの林檎の芯が突き刺さった足では、まともに走ることはできなかった。
『ティルア。拘束呪文を唱えろ!』
「え……? そんなの無理よ」
『大丈夫、結界だって使えたんだ。今のあんたならできる! 早く!』
彼の断言に半信半疑ながらも、足を引きずり、よろめきながら逃げる後ろ姿に人差し指を向けた。
「拘束!」
すると、よろよろと動いていた男の身体が突然硬直し、そのまま丸太のように石畳に転がった。受け身を取ることもできず、硬い石畳に頭をしたたかに打ち付けたはずだが、悲鳴やうめき声をあげることもなかった。
「……効いた……?」
『な、言った通りだろ』
「どうして急に、魔術が使えるようになっちゃったの?」
『多分、それのせいだ』
彼は、ティルアの胸元に揺れるペンダントを指差した。
「リームの最初の呪文からあたしを守ってくれたのは、きっと、このペンダントだったの」
『うん。そうだな』
「でも、こんなになっちゃった……」
ペンダントの飾りを両手でそっとすくいあげる。
針金で巻かれた丸い石は、かつては赤紫に発光する美しい石だったが、今は全体が細かくひび割れ白く濁っている。物心ついたときから胸元にあった愛着のある石だったから、変わり果てた姿が悲しい。
『強すぎる魔力を受けたせいで、壊れてしまったんだろうな。でも、そのおかげで、あんたの本来の魔力が解放されたんだ。これは、あんたを守ると同時に、あんたの魔力を封じるための石だったんだよ』
「魔力を封じる? でも、どうしてそんなものが……」
『鈍いなぁ。まだ分からないのかよ。それは父親が、娘を守るために遺したものだ。フリーデル・クラッセンは、あんただったんだよ』
「まさ……か……」
リームにフリーデルではないかと疑われたときですら、自分の魔術の不甲斐なさに、あり得ないことだと思っていた。自分も人違いで殺されるのだと覚悟したのだ。
けれども、ついさっき使った二つの呪文は、正確に、そして強力に作動した。
思い返せば全ての出来事が、自分がフリーデル・クラッセンであることを示している。
——愛しているわ。どうか、どうか無事でいて。
——いつか必ず迎えにいくから。いい子にしているんだよ。
図書館で聞こえた二人の声は、夢なんかではない。記憶の奥底に沈んでいた、あの日自分の耳で聞いた、両親の声だったと気付く。
自分がフリーデルであることに、もはや何の疑いもなかった。
「あ……ああ……。そうだったの……ね」
胸に熱い想いがこみ上げて来て、手の中のペンダントをぎゅっと握りしめた。
石を守るようにぐるぐるに巻かれた細い針金は、悪夢から自分を守っていた複雑にからまった鉄格子と同じ形状だった。非業の死を遂げた後も、娘を守り続けた父親の愛の形が手の中にあった。
『おそらくフリードリヒは、自分の子どもが強い魔力を持っていることに気付き、子どもの素性を隠すために、魔術の世界から遠ざけようとしたんだろう。あんたがこの学院に入学してしまったのは、きっと、誤算だっただろうな』
「そっか。あの、選抜試験のとき……」
魔術学校の選抜試験では、不正がないよう身体検査を行い、魔術具になり得る装身具の類いは外さなければならなかった。百年に一人の逸材だと試験官らを驚愕させたあの日、ティルアはネックレスを外していたのだ。
「もしあたしが、あの時合格していなかったら、こんな事件は起こらなかったの?」
『……かもしれない。だけど、それだと先代国王を毒殺した真犯人が捕らえられることはないし、フリードリヒ・クラッセンの名誉の回復もなかった』
「え? どういうこと?」
ティルアの質問に、彼はにやりと笑った。
『ほら、皆集まってきた。あれだけ強い魔術を何度も発動させたんだ。この学院にいる全員がびっくりして飛び起きたはずだ』
ユーリウスが指差す道の向こうに、ちらちらと青白い光がいくつも浮かんでいた。その光と、ざわざわした大勢の人の気配が近づいてくる。
『さあ、行こう。最後の仕上げだ』