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(2)

 部屋の隅に積み上げた教科書やノートを、上から順に確認する。その中ほどに、きらきらした紙片が挟まった一冊があった。

「あった!」

 本の山を崩さないように、そして破かないように慎重に抜き取ったのは、銀色に繊細な緑の蔦模様が描かれた、甘い匂いがする二つ折りの紙。先日、図書館でクリスタの教科書を落としたときに拾った紙と同じものだ。

「もしかして、これじゃない?」

 紙片を見せると、ユーリウスが目を見張った。

『そう! その紙に包まれたチョコレートだよ』

「じゃあ、それはクリスタのものだわ。大事に隠していたのかしら?」

 たかがお菓子の包装紙をしおりにして、大切に使っていたのだ。誰にも触れられないように、消去呪文で隠していたとしても不思議はない。

『いや……違う』

「どうして? クリスタが消去したんじゃないの?」

『箱が大き過ぎるんだ。彼女が消去できるのは林檎半分がやっとだって、言っていただろう? 重さはそれくらいしかないんだけど、多分、この大きさは……』

 彼は軽く眼を伏せて、大きく息を吸った。

『デイレ!』

 あっ! と思って、ティルアはとっさに見えない箱の下に手を差し入れた。しかし、ユーリウスの掌の間からは、何も落ちてこない。

「あら?」

『な? 俺ですら、箱ごと消去するのは、無理なんだよ』

 そして彼は、同じ呪文をもう一度繰り返した。今度は、ティルアの掌に、銀色の紙に包まれた一粒がぽとりと落ちてきた。

 よく見ると、中身は花をかたどられているらしく、包み紙に花びらのような模様がレリーフ状に浮かび上がっている。おそろしく高級そうな品だ。

「ああ、同じ包み紙。やっぱりこれは、クリスタのチョコなのよ」

『でも、消したのは別の人間だ。おそらく彼女は、この箱を机の上に置いていたんだ。それを消去したから、机をすりぬけて下に落ちた』

 ティルアはすっかり片付けられた机に目を向けた。

 机に向かって真面目に勉強する、クリスタの後ろ姿が目に浮かぶ。彼女は勉強の合間に、机の上に置いた瓶からお気に入りのクッキーを一つ取り出しては、ゆっくり味わって食べていた。このチョコレートも、同じように大事に食べていたのかもしれない。

「じゃあ、誰が消去したの? どうして?」

『この箱を消去できる人間は限られる。俺が消去できない大きさなんだから、生徒ではないはずだ。最低でも、林檎一個を消すほどの魔力がないと……。そう考えると、九歳のあんたしか思いつかないな』

「はぁ? 何言ってるのよ。あたしのはずがないじゃない!」

『あんたじゃないとしたら、フリーデル・クラッセン?』

「!」

 思わぬ名前を出されて、言葉に詰まる。

『フリードリヒ・クラッセンの息子なら、これくらいの箱を消せてもおかしくないよな。俺より優秀なんだから』

「それは、そうかもしれないけど」

『生徒じゃないとしたら、先生か? 学院長なら林檎ぐらい消せるはずだし、他にも何人かいるはずだ。先生方なら、調査でこの部屋に入っただろうから、消去する機会もあった』

「でも、どうしてチョコの箱を消去したんだろう」

 掌の上の小さな包みを指先でつついてみたが、特に変わった点はない。ただ、自分と同じ孤児で貧乏学生だったクリスタが、お小遣いで買うには高級すぎる。

「きっと、これは誰かにもらったのよね。自分じゃ、とても買えないもの」

『誰にもらったのか、心当たりはないのか?』

「ないわ。でも、包み紙まで大事にしていたみたいだし……。あっ! もしかして、クリスタが好きだった人かも?」

 単純に綺麗な包み紙だったから、しおり代わりに使っていただけかもしれない。けれども、同じものを図書館で拾った時、彼女は何かをごまかしているように見えた。

 好きな人にもらったものだから、包み紙まで大切にしたい。恋する女の子なら、そんな心境になるのかもしれない。

『じゃあ、その男が消去したんだろうか? だけど、なぜ……? 彼女との関係を知られたくなかったから……とか?』

「でも、机の上にチョコが置いてあったって、誰からもらったかなんて誰にも分からないじゃない? 名前を書いたカードでもついていれば別だけど」

『だよな』

 彼は箱の中身を取り出したり、蓋を閉めて箱を裏返したりしている。しかし、何の手がかりも見つけられないらしく、首をひねるばかりだ。

『相手を特定できるようなものは、どこにもない。もしかすると、このチョコの存在そのものを隠したかったんだろうか』

「どう見たって、ただのチョコよね? 中に別のものが入っているのかしら」

 ティルアも、手の中の一粒を摘まみ上げて目の上にかざしてみる。花をかたどった凹凸が僅かに浮かび上がる、繊細な蔦の模様の包み紙はきらきらと美しい。鼻に近づけてみても、チョコレートの甘い匂いがするだけだ。

「開けてみようか?」

『だめだ! アスペクトゥース!』

 彼が突然唱えた呪文で、ティルアの手からチョコレートが消えた。

「ちょっと、何するのよ! せっかく人が見てるのに」

 むっとして睨むと、ユーリウスはいやに強ばった表情をしていた。

 ティルアの目の前から消えた一粒は、今は彼の指の間にあるらしい。彼はそれを見えない箱の中に手早く納めると、同じく見えない蓋を閉めた。

「ユーリ?」

 彼は箱を持つ手をじっと見つめたまま、身動き一つしない。

「ユーリったら、どうしたの? 何か分かったの?」

「…………」

「ねぇってば!」

 しつこいくらいに何度も声をかけると、彼はようやく顔を上げた。

『ちょっと、調べたいことがある』

 そう言って、彼は箱を片手で抱えると、身を翻した。

「ちょっと、どこ行くのよ! ユーリ!」

 振り向きもせずに扉をするりと通り抜けた彼を追って、慌てて扉を開けると、目の前に人影。ティルアは危うくぶつかりそうになった。

「ひゃあ!」

「おっと」

 飛び出してきたティルアを軽い身のこなしで避けたのは、背の高い男だった。

 勢いで廊下の真ん中に走り出たティルアは、あたりをきょろきょろと見回した。しかし、壁か床の向こうに消えてしまったらしく、ユーリウスの姿はそこにはなかった。

「どうしたんだい?」

 声をかけられて振り返ると、そこに片眼鏡の穏やかな顔があった。

「……リーム先生」

「随分、慌てているようだけど」

「あの……えぇと、そう! トカゲ!」

 本当のことを言えるはずもなく、思わず大嫌いな生物を言い訳に使うと、リームは訝しげな顔をしながら部屋に入っていった。

「寮の部屋にトカゲが出たのかい? どの辺りで見かけたの?」

 彼は片付けの終わった部屋をぐるりと見回したが、そんなものがいるはずもない。

「いえ……あの……、さっきまでトカゲの日干しが窓にぶら下がっていたんです。ザビーネ先生に片付けてもらったんですけど、まだ残っていた気がして。でも、見間違えでした」

「ふうん。もしかして君は、トカゲが嫌いなのかい?」

「はい。生はもちろん、日干しにされていてもダメなんです」

「ははっ。ずいぶん可愛らしいんだな。だけど、魔術師がそれでは困るんじゃないか?」

 リームは手にしていたノートで、ティルアの頭をぽんぽんと叩いた。

「あの……、先生はどうしてここへ?」

 女子寮は男子禁制だ。男性教師の姿を見かけることもこれまでなかったから、不思議に思って尋ねると、彼は頭の上のノートを両手で持ち直した。

「ザビーネ先生から、君がこの部屋の片付けをしていると聞いてね。彼女のノートが僕の手元に残ったままだったから、君に渡そうと思って。ほら、これ」

 目の前に差し出されたノートの表紙には、教科名の『魔術管理法概論』と彼女の名前が、几帳面な文字で書かれていた。その文字を見るのが辛くて、ティルアはすっと視線をそらせた。

「これは、最後の授業の前に、彼女が提出したものなんだ。真面目な彼女らしく宿題を完璧に仕上げてあったから、きちんと目を通して評価をつけておいたよ。僕にはもう、それくらいしか、彼女にしてあげられることはないから」

「……ありがとうございます」

 ティルアはノートを両手で受け取ると、ぎゅっと抱きしめた。

「君も辛かったね」

 その言葉とともに、今度はリームの手がティルアの頭を撫でた。

 彼は、クリスタの最期を看取った人だ。彼女をなんとか救おうと必死になっていたことをユーリウスから聞かされている。

 そんな彼のなぐさめの言葉と優しい手は、逆に胸を締め付けた。

 何かを口にすれば涙が一緒に落ちてしまいそうだったから、ティルアはノートを抱きしめたままじっとうつむいていた。

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