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消去されたチョコレート(1)

 魔術学院に戻った翌日。

『何度言ったら分かるんだよ! そんなに急がなくてもいいだろ!』

 部屋の扉を開けたティルアの前に、ユーリウスがするりと先回りしてきた。怒った顔で、両手を広げて目の前に立ちふさがる。

「どいてよ」

『だめだ』

「片付けないと、前に進めないの! どいてって言ってるでしょ!」

『俺はだめだって言ってるんだ!』

「止められるものなら、止めてみなさいよ!」

 ディルアはそのまま真っすぐ進むと、ユーリウスの体をするりと通り抜けた。

 背後から、ちっと舌打ちする音が聞こえた。

 よく遊びに来ていたクリスタの部屋を、ぐるりと見回す。

 部屋の隅には大きな木箱が二つ準備されていた。少女らしく整えられた部屋の中で、それは異質な存在だった。

 ティルアは、本来なら身内がする遺品整理を、ザビーネから依頼された。彼女の私物の中で、自分が使えそうなものは形見に、それ以外の品は孤児院に送る物と処分する物とに分けて、箱に入れるのだ。

 整えられたベッドの上には、几帳面に畳まれた夜着が置かれていた。彼女が好んで着ていた空色のワンピースと、茶色の古い帽子が壁にかかっている。勉強机の片隅には、あの日の前夜に勉強していたであろう教科書やノートが、きちんと積まれている。その奥には、苺のジャムが詰まった花の形のクッキーが入った瓶があった。事前にザビーネに片付けてもらったが、窓にはさっきまで、緑色の生物の日干しがぶら下がっていた。

 主の帰りを待っているかのような、居心地よく整理された部屋に胸が詰まる。

 クリスタだって、この部屋にもう戻ってこられないなんて、思ってもみなかったはずだ。

「……よしっ!」

 じっとしていると、悲しみと寂しさで身動きできなくなってしまうから、浮かびかけた涙を気合いで振り払い、片開きのクローゼットの取っ手に手をかけた。

『やめろよ! まだ、無理だ』

「放っといてよ!」

 伸びてきた彼の手は、クローゼットを開けようとするティルアの手首を捕らえられず、彼を振り払おうとしたティルアの手も空を切る。

 二人は扉の前で睨み合った。

「大丈夫だって言ってるじゃない! ユーリったら、心配しすぎ」

『大丈夫なはずないだろ! そんなに震えてるじゃないか』

 見ると、自分では意識していなかったが、取っ手に掛け直した手が小刻みに震えていた。慌てて、もう一方の手を重ねて押さえつける。

「震えてないからっ!」

 ティルアは強がりを言うと、彼の制止を無視して、勢い良くクローゼットを開けた。

 ふわりと、石けんの香りが漂う。

「女の子のクローゼットなんだから、そんなところで見てないでよ! いやらしいわね」

『な……っ』

 一旦開けたクローゼットの扉を半分閉めて睨みつけると、彼は顔を赤らめて目をそらした。こういう部分は十五歳の少年らしく純情だ。

「そこから見られていたら片付けられないから、あっち行って!」

『分かった。早く片付けろよ』

 不機嫌な声で言いながらも、彼は素直に従った。窓際に移動すると、こちらに背中を向けて外を眺めている。

 怒って出て行くかもしれないと思ったが、どうやら、このまま部屋に残るつもりらしい。ティルアはほっと胸を撫で下ろした。このまま一人きりで、この部屋で遺品を整理することはできそうになかったのだから。

「ありがと」

 彼の背中に相手に聞こえないほど小声で呟くと、作業に取りかかった。

 クリスタもティルアと同じ孤児だから、経済的には恵まれていない。ハンガーにかかっている衣類は少なく、古ぼけた地味なものばかりだ。ティルアが以前着ていた、お下がりも何枚かあった。

 ティルアはハンカチや手袋などの小物だけを形見として取り分け、残りはすべて孤児院行きの箱に入れた。

「もう、いいわ」

 衣類の整理はあっという間に終わった。空っぽになったクローゼットの扉を閉めて、背中を向けたままのユーリウスに声をかける。

『大丈夫か? もう部屋に戻ろう』

 てっきり文句を言われると思っていたから、心配そうな顔でそう言われて面食らう。

「へ……平気よ。今日中に、この部屋にあるもの全部、片付けてしまいたいから」

 今度は、机の隅に積まれていた教科書やノートをまとめて手に取った。中には、クリスタの几帳面な文字がびっしり書き込まれているはずだから、今は開く勇気がない。ノートの表紙に書かれた、彼女の筆跡による名前を見るのも辛かった。

「これ……どうしよう。捨てるのはかわいそう」

 机の上だけではない。本棚にも大量の本やノートが、びっしり詰まっている。その全てが、クリスタの努力の跡。彼女が生きた証なのだ。

『だったら、全部あんたが持っていればいいだろ? 気持ちの整理がつくまで、ずっと持っていればいい』

「そ、そうよね、持っていてもいいよね?」

『あんたが進級できれば、役にも立つこともあるかもしれない。ま、奇跡でも起きない限り、無理だけどな』

 最後の一言が余計だったが、彼が自分の思いに寄り添ってくれたことが嬉しい。思わず、彼の顔をじっと見つめると、『なんだよ』とそっぽを向かれてしまった。

 本棚に入っていた教科書類もすべて取り出して、机の横に積み上げた。引き出しの中身も整理して、そろそろ片付けも終わるという時、ユーリウスが机の下を指差した。

『ティルア。あそこに何か落ちてる』

「え? どこ?」

 片付けの途中で何かを落としたのかと思い、腰を屈めて覗き込んでみた。しかし、隅っこの暗がりに綿埃が少しあるぐらいだ。他に何も見あたらない。

『そこだよ、そこ! 机の下の右側奥』

「何もないわよ?」

 それを証明するために、ティルアは机の下の床を手で大きく払って見せた。

『あっ!』

「な、なによ。急に大きな声を出さないで」

『……そうか、そういうことか。ちょっとどいて』

 彼が割り込むように机の下を覗き込み、片手を伸ばす。そして、拾い上げたなにかを両手で持つと、驚いたような呟きを漏らした。

『まさか、こんなものがこっち側にあるなんて……』

 こっち側——それはつまり、ユーリウスがいる、魔術で消去されたものだけが存在する世界だ。ティルアの目からは、そこにある物はユーリウスの姿以外、何も見えない。

 何もない空間を抱え持つような彼の両手は、掌がゆるい弧を描いている。左右の指先は届かない大きさだ。

「なに、それ。丸いもの?」

『正確には、正五角形の箱だよ。水色の綺麗な紙が貼ってあって、何か高級なお菓子でも入っていそうな……』

 そう言いながら彼は、その箱を自分の耳元で振った。

『何か入ってるみたいだ。開けてみるよ』

「うん」

 見えない箱の蓋を慎重に開ける指先を、じっと見つめる。

『あぁ、これは多分、チョコレートだ』

 蓋を箱の底に滑り込ませると、彼は中身を一つ取り出した。彼の指が、苺を一粒摘まみ上げたような形を取る。

「え? チョコレート? ちょっと待って!」

 消去された側の世界には、過去に消去された様々な物が、当時の姿のまま散らばっている。だから、この部屋にあっても、それがクリスタのものとは限らないのだが、ティルアにはぴんとくるものがあった。

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