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消えたユーリウス(1)

 まだ色あせたままの芝生に、石畳の小道が二重の円と二本の直線を描いている。所々に規則的に置かれた石には、古い文字や図形。その全貌は大空を舞う鳥たちにしか見ることができないが、巨大な魔法円を模してあった。

 円の外側には、百年以上昔に建てられた三階建ての石造りの建造物が、東西南北に正確に配置されていた。

 その北の建物の中庭に面した扉が軋みながら開き、中から、古ぼけた茶色の上着を羽織った少女が出てきた。小さくなり丈がつまった上着の裾から、大きなひだが折られた紺色のスカートと、寒々とした膝小僧がのぞいている。胸には赤紫色の半透明の丸い石を細い針金でぐるぐる巻きにした、一風変わったペンダントが揺れていた。

「もおっ! ザビーネ先生ったら、何度やったって同じなのに。もう七年目なんだから、いいかげんあきらめて欲しいわ」

 ティルア・キーリッツがぶつぶつぼやきながら、魔法円が描かれた中庭に出て行った。右手の親指と人差し指で柄をつまんだ白い鳥の羽をくるくると回している。

 彼女は、魔術の国として名高いアンスフォルデ王国の、王立上級魔術学院の第一学年に所属する十七歳の少女だ。

 長く真っすぐな漆黒の髪と、太陽を拒むような白い肌、赤みの強い紫色の瞳は神秘的で、黙ってさえいれば、この学院の誰よりも魔術師らしく見える。しかし、彼女をこの学院一の有名人にしているのは、この容姿のせいではなかった。

 ティルアは、他の生徒たちと同じ十歳でこの学院に入学して以来、ずっと第一学年から進級できないでいる超落ちこぼれだった。一年生歴はなんと七年にもなる。

「これでも入学したときは、百年に一人の逸材かもしれないって、期待されてたんだけどなぁ。今となったら、なんの冗談かと思うわ。でも、おかげで食いっ逸れはないけど」

 ティルアは指を差し込んで黒髪をかきあげると、青い空を仰いだ。

 この学院には、一学年に五十名程度の生徒がおり、学費はもちろん生活費まで、すべて国が負担している。この国の子どもたちは、九歳のときに魔術学院の選抜試験を受けることが義務づけられており、合格者は出自に関係なく、魔術のエリートとして育成される。

 孤児院育ちのティルアも、八年前に選抜試験を受けた。魔力などほとんどないと思われていた彼女は、その日、すべての課題を完璧にこなし、消去呪文デイレでは最高難易度と言われる林檎の消失を成功させて、試験官たちの度肝を抜いたのだ。

 しかし、自在に魔術を操ることができたのは、後にも先にもこの日だけ。入学後、彼女が唱える呪文は、ほとんど発動しなかった。まれに、突拍子もない現象を引き起こすことがあったが、周囲の笑いを取る程度にしか役に立たず、今では「百年に一人の落ちこぼれ」と呼ばれる始末だ。

 それでもティルアはあまり気にしていなかった。

 選抜試験に起きた奇跡のおかげで、困窮していた孤児院の口減らしに貢献できたし、こんなに落ちこぼれても、今のところ退学にされていない。毎年、小さな同級生たちの面倒を見ているうちに、「このまま魔術が使えなかったら、学院の寮母として残ってほしいわ」と、もう七年の付き合いになる一学年の担任のザビーネ先生に言われている。魔術など使えなくとも、将来はそれなりに安泰なのだ。

「でも、消去呪文ぐらいは使えたらいいんだけどな。何かと便利だから」

 手にした小さな羽に、ふっと息を吹きかけながら、魔法円の北から南へと続く小道を歩いていると、南校舎前の一角に上級生たちが大勢集まっていることに気付いた。

「ああ、もう、こんな季節なのか」

 足を止めて、毎年恒例の光景をしばらく眺める。

 この学院に入学した者なら誰もが憧れ、入省の栄光を掴みたいと競い合う、この国の魔術関連の最高機関、魔術統括省。その来年度の新入省者名簿が、あの人だかりの向こうに貼り出されているはずだ。

「ああ、だめだったー!」

 がっくりと肩を落とす、いかにも優等生風の生徒。同じ台詞をおどけて言っているのは、もともと見込みのなかった生徒だ。

「きゃあぁぁ! 私の名前があるっ!」

 大声で叫んだ後、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった女生徒の周りには、祝福の言葉をかける級友たちの姿があった。

「けっ。やっぱり、あいつが筆頭かよ」

「先月の魔術錬成術師上級試験も、大人たちを押さえて首席で合格していたから、当然の結果じゃない?」

「なんか、むかつくよな。ちびのくせに」

 そんな声も聞こえてきたから、ティルアにもその一覧の筆頭に、誰の名前が書かれていたのかを予想できた。そうでなくても、誰もが容易に想像できることではあったが。

「誰が筆頭でも、あたしには関係ないけどね」

 ティルアは早々に興味を失くし、上級生集団の横を足早に通り抜け、南校舎の裏口に向かった。そこで、入ろうとした扉から出てきた、少年とすれ違う。

 金色の髪、意志の強そうな明るい緑の瞳。小柄で華奢な体格。

「今のは……、ユーリ?」

 彼の名はユーリウス・オスヴァルト。掲示板の前に集まっている生徒たち間で、さっきからさんざん取沙汰されていた人物だった。

 彼は青年という呼び方がしっくりとくる年頃の上級生たちの中で、一人だけ少年に見える。それもそのはずで、「十年に一人の逸材」と呼ばれる彼は、三回の飛び級を繰り返し、まだ十五歳だというのに最高学年の第八学年に在籍していた。

 魔法統括省への入省資格は十五歳からだから、彼はこの秋、最年少での入省を果たすことになる。

「きゃあ、ユーリ。魔術統括省への入省、おめでとう!」

「あたしたち、絶対、ユーリが筆頭に選ばれると思っていたのよ。さすがね!」

 この学院きってのエリートをめざとく見つけた女子生徒たちが、声をかける。

「お前、やっぱ、すげぇな!」

「さっすが、十年に一人って言われるだけあるよな」

 さっき、「むかつく」と言っていた同じ声が、彼をおおげさに誉め称えた。それに続いて、あちこちから祝福や賞賛の言葉が投げかけられる。

 しかし、女子生徒の高い声音には媚を売るような響きがあり、男子生徒には冷え冷えとした陰険さがあった。

「……あぁ。当然だ」

 ユーリウスは、自分より年長の級友たちをちらりとも見ず、傲慢な台詞を吐くと、無表情のまま掲示板に向かって歩いていく。

 そんな彼に、身体の大きな級友たちは左右に分かれて道をあけた。

「相変わらずね、あの子も……」

 一年生を七回も繰り返しているティルアは、第八学年の一部を除いたほとんどすべての生徒と同級生になったことがある。彼女にとって年下の級友は妹や弟のような存在で、彼らが進級や飛び級で上級生になった後も、そんな気分は抜けなかった。

 ユーリウスとも、彼が飛び級するまでの三ヶ月ほどの期間、同級生だった。

 その頃から生意気で傲慢だった彼は、ずば抜けた魔術の才能への妬みも加わって、クラスの中では浮いた存在だった。それは五年たった今も変わらない。いや、以前より悪い方向にレベルアップしているようだ。

 ティルアは軽くため息をつくと、上級生たちを尻目に南校舎に入っていった。

 廊下を横切って建物の表に出ると、色とりどりの可憐な草花や、いかにもと思える毒々しい色や奇怪な形をした植物が、所狭しと栽培された植物園がある。

 季節は春になったばかりであるが、植物園一帯は魔術で温度管理がされている。四季の花々が競うように咲き乱れる様には、季節感がまるでなかった。

「暑いわね」

 制服の上に重ね着していた上着を脱ぐと、傍らのベンチの上に置き、その隣に腰を下ろす。そして、手にしていた白い鳥の羽をスカートの膝の上に置いた。

 一年生が基礎として取り組む鳥の羽の消去など、難しいはずがない。現に、入学して半年にしかならない十歳の級友たちも、すでに全員成功させたのだ。

「よしっ、今度こそ成功させてやるっ!」

 ティルアは深呼吸して心を落ちつかせると、白い羽を右手の人差し指で指差した。小さな羽を睨みつけ、呪文を唱える。

「デイっ——!」

 声を上げかけたそのとき、膝の上を細長いものがさささと走り抜けた。スカートの上に感じる、ばらばらに動く四つの手足と、ひきずる尻尾の感触、残像として目に焼き付いた鮮やかな緑色。

 全身の肌が粟立ち、血液が一気に凍った。

「きゃぁぁぁぁっ! トカゲ! 早くどこかに行ってー」

 ティルアはベンチから飛び退ると、両手両足をばたつかせて大嫌いな爬虫類を追い払った。

 するすると地面に下りたトカゲは、間抜けな魔術師を馬鹿にするかのように、ちらりと振り返って長い舌を見せると、悠然と土の上を歩いていく。

 その気色悪い姿が紫色の茂みの向こうに消え、しばらく時が過ぎるまで、ティルアはペンダントを握りしめ、その場で固まっていた。

「あぁ……。怖かった」

 しばらく忘れていた息を大きくつき、額の冷や汗を手の甲でぬぐった。

 小さな鳥の羽は、今のどたばたで、どこかに吹き飛ばされてしまったらしく、行方不明だ。

「今日はツイていないから、練習しても無駄ね」

 すっかりやる気を失くしたティルアは、自分の部屋に戻ることにした。

 校舎を通り抜けて中庭に戻ると、上級生たちはまだ、掲示板の前で騒いでいた。

 しかし、さっきとはどこか様子が変だ。

 全員があたりをきょろきょろと見回しながら、困惑と興奮が混ざり合った声を上げている。

「消えた……? マジで?」

「そんなのありえないわ! ひとが消えるなんて」

「いや、あいつのことだから、新しい魔術を使ったのかもしれないぜ。なにしろ、魔術統括省期待の最年少新人なんだからな!」

「ユーリ! どこにいるの。ふざけないで出てきて!」

 聞こえてきた台詞を総合すると、どうやら、ユーリウスの姿が見えなくなったらしい。しかも、「消えた」と表現されるほど、一瞬に。  

「おい、君たち。何があったんだ。かなり大きな魔術の波動を感じたが」

 同じ校舎の三階から、魔術理論の若い先生が顔をのぞかせた。

 他にも同じ波動に気づいた教師や生徒が、不安げな顔で校舎や寮の窓からのぞいている。興味津々に、中庭まで走り出してきた野次馬もいた。

 ティルアはトカゲに気を取られていて気付かなかったが、大きな魔術が発動したことは間違いなさそうだ。

「ユーリが、ちょっと変わった魔術を使っただけでーす。なんでもありません」

「そうか。じゃあ、心配ないな」

 一人の男子生徒が軽いノリで答えると、教師は学院一の優秀な生徒の名前に安心して、顔を引っ込めた。野次馬たちも一斉に「なんだ」といった様子を見せて去っていく。

 窓が閉まる音が聞こえると、さっきの男子生徒が大げさに肩をすくめた。

「凡人には思いもよらない方法で、ここから抜け出したんだろうさ」

「どうせ、夕飯のときにはすました顔して、食堂にいるんだぜ。きっとそうだ」

「それにしても、見事な術だったわ。どうやったらあんなことができるのかしら」

 生徒たちはそれぞれが勝手な解釈をして、一人、二人とその場を離れ始めた。

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