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仲違い、そして(1)

「ねぇ、ティルア。もう部屋に戻ってもいい? 夕食までにもう少し勉強したいから」

 会話が途切れたことで、話は終わりだと思ったらしく、クリスタがベッドから腰を浮かせかけた。

「忙しいのにごめんね……って、まだ、勉強するつもり? 朝早くから図書館でずっと勉強していたんじゃないの? 今日は休日なんだし、そんなに無理しなくても」

「それじゃ、だめなの」

「どうして?」

 今朝ははぐらかされてしまったから、どうしても聞き出したい。

 クリスタの両肩に手を置いて強引に座らせ、瞳を覗き込むと、彼女は困ったように俯いた。そして、しばらく迷うような様子を見せた後、決心したように顔を上げた。

「あのね……ティルアだから言うけど、実はわたし、この秋に卒業するの」

「は? 卒業? この秋に?」

「だから、もう時間がないの。もっと勉強しないと」

『マジか!』

 あまりに思いがけない告白に呆然としていると、ユーリウスの驚いたような声が聞こえてきた。三度の飛び級をし、現在最高学年に在籍する彼の目から見ても、七年生の彼女が半年後に卒業しようとするのは無謀だと感じるのだろう。

「そんなの、無理に決まってるじゃない。どうして、そんな無茶なことを考えるの?」

「大丈夫、無理じゃないわ。わたしはちゃんと卒業できるから、心配しないで」

 頑な言葉に確固たる自信が見えて、ティルアは息を飲んだ。

 幼い頃から知っている彼女は、おとなしくて、自分の意見を主張することのない女の子だった。自分に自信がなかったから、こつこつと勉学に励み、結果として優秀な成績をおさめていたが、人の影に隠れてしまうような性格は変わらなかった。

 それなのに、これほど強い自信と野心を見せるなんて、何が彼女を変えたのだろう。

 彼女の変化は、本当なら好ましいもののはずだが、妙な不安を覚えて仕方がなかった。これまで何でも話してくれた妹分が、たくさんの秘密を抱えているように感じることが、よりいっそう不安をかき立てる。

「理由を教えて。どうして早く卒業したいの? そもそも、七年生が半年後に卒業するなんて無理でしょ?」

「ごめんね。もう行かなくちゃ。時間がもったいないないもの」

「待って! もうちょっと話を……」

 クリスタは引き止める言葉を振り切り、教科書を抱えるとばたばたと部屋を出て行った。

「クリスタ!」

 ティルアの目の前で、大きな音を立てて扉が閉ざされる。

『無理だろ。さすがに』

 彼女が出て行った扉を見つめたまま立ち尽くしていると、ユーリウスが呟く声が聞こえた。振り向くと、腕組みをした彼が、すぐ後ろに立っている。

「……無理だよね?」

『ああ、無理だね。七年生で一人だけ、魔法統括省の名簿に載った奴がいるだろ? そいつなら、学院がバックアップするから卒業できるけど、そうじゃない限り絶対無理だ』

「だけどクリスタったら、どうして急にあんなことを言い出したんだろう」

『どうせすぐに現実にぶちあたる。最上級生の授業がどれほど厳しいか、彼女は分かっていないんだろう。この時期じゃ、卒業どころか飛び級の許可すら出るはずがないから、放っておけばいい。俺らには他にやらなきゃならないことがあるんだから』

「それはそうだけど……」

 彼女は真面目すぎるから、無理をして体を壊さないか心配になる。今日だって、朝早くから、図書館に詰めていたに違いないのだ。

 ティルアは枕を引き寄せると、両腕で抱きしめた。

『まさか、呪詛系の魔術薬だとは思わなかった。だけど、彼ほど魔力の強い魔術師ならプライドも高いだろうに、邪道な呪いなんて利用するだろうか。俺だったら、もっと……』

 頭を切り替えた彼は、なにやら物騒なことをぶつぶついいながら、狭い部屋の中を歩き回っている。

「ねぇ、ユーリはその本を読まなかったの? クリスタと一緒にいたはずなのに」

『魔術薬関連の書架は全部調べたけど、役に立つ本は何もなかったんだ。そのうち、彼女は近くの棚にあった、全然関係のない本を読み始めたんだよ。それでいらいらしていたところに、下の階から強烈な魔術の波動が届いたんだ』

「ああ、あのとき……」

 駆けつけた彼は、そのままティルアと一緒にいた。そこにクリスタが戻ってきたのは、かなり時間が経ってからだ。

『多分、『高貴なる魔術の一匙』なんてふざけたタイトルだったから、別の書架に紛れ込んでいたんだ。クリスタは俺がその場を離れた後に、その本を見つけたんだろう』

「そっか。だから、ユーリは知らなかったんだ」

『ったく、あんたのせいだ』

「ええっ? どうして、あたしのせいなのよ?」

『だって、そうだろう? あんたがあの時、魔術を誤作動させなかったら、俺は自分の目で、その本を読めたんだ。そうしたら、クリスタよりもっと細かいことにも気付いたはずだ』

「呼んでもいないのに勝手に下りてきたのは、ユーリじゃない」

『あんな強烈な波動が届いたら、心配するだろう!』

「心配? あたしを?」

 思いがけない言葉を聞いた気がして聞き返すと、彼は一瞬言葉に詰まった。

『……そ……そんなはずないだろっ! また、誰かがあんたに消されたんじゃないかって、心配したんだ。これ以上、事態がややこしくなったら困るからだよ! あんたの心配をしたんじゃない! 周囲への被害を心配しただけだ!』

「……なんだ」

 彼の猛烈な否定に、なんとなくがっかりすると同時に、ふて腐れた気分になる。

「だったら、すぐ戻れば良かったじゃない。誰も消されていなかったんだから!」

『あんたが妙なことを言い出すから、戻りたくても戻れなかったんだよ!』

「妙なことって何よ! あたしがフリードリヒの声を聞いたってこと、疑ってるの?」

『そうじゃないけど、後で話したって良かったんだ。俺が大事なことを調べていたことは分かってるんだから、それくらい気を使うのはあたりまえだろ。あんたのせいで、俺は貴重なチャンスを失ったんだぞ』

 どうやら彼は、どこまでもティルアが悪いということにしたいようだ。

 本当は、偶然が重なっただけで、どちらが悪いという話ではないのに——。

 ティルアはこれ以上反論できなくなり、むっと黙りこむ。けれども口を閉じると、むかむかが身体の中に溜まっていき、苦しくて仕方がない。

「なによ! ユーリのばかっ!」

 抱えていた枕を力いっぱい投げつけると、驚いた顔をした彼の腹部をすり抜けて背後の壁にぼすりとぶつかった。それが無性に悔しくて、なぜか悲しい。

 そのとき、夕食の時間を告げる鐘が聞こえてきた。

「ご飯、食べてくる」

 すっくとベッドから立ち上がり、扉を開けて廊下に出た。

『おいっ! ティルア、待てよ!』

 そんな声が扉の向こうから漏れ聞こえたが、無視して歩き始めた。

 二つも年下の生意気な子ども相手に、こんなにムキになって馬鹿みたい……。

 そう自分に言い聞かせて、目頭に溜まった水分をぐしぐしと拭った。

 休日だから帰省している生徒も多く、寮の中は普段より静かだ。惨めな気分でとぼとぼと廊下を歩いていると、同じように食堂に向かう生徒たち数人が、後ろから追い抜いていった。

 寮から中庭に出ると、遠くの時計塔が目に入った。

 鐘が鳴ったばかりだから、辺りはまだそれほど暗くない。しかし、西陽の名残を受けた塔の裏側に黒々と張り付いた影は、死者の世界へと続く隙間のように見えた。

 「しまった」と思ったが、恐怖で地面に縛り付けられた足は、もうそれ以上動かなかった。

 庭の中ほどを歩くさっきの女生徒に追いつけば、食堂までたどり着けるかもしれない。けれども、すくんだ足は一歩も踏み出せなかった。喉が張り付いて声をかけることもできぬまま、彼女たちの背中が遠ざかっていく。

 あっという間に、魔法円が描かれた中庭に一人取り残された。

「どう……しよう……」

 ティルアはその場にへなへなと座り込んだ。

 遠くの時計塔の影が、こちらをじっと見つめている気がして、怖くて仕方がなかった。

「誰か、助けて……」

 身を縮めて震えていると、すぐそばを誰かが通り過ぎる気配がした。

 この人についていけば、大丈夫かも——。

 はっと顔を上げると、思いがけない人物が目の前をゆっくり歩いていた。そして、ティルアから十歩ほど離れた場所で立ち止まる。

「え? ユーリ……」

 両目をごしごし擦ってもう一度よく見てみたが、男子の制服をまとった金色の髪の華奢な後ろ姿は、やはり彼だった。

 フリーデル・プラネルトの事件の後遺症で、日が落ちた後、時計塔の近くを通れなくなってしまったティルアを、彼は毎日食堂まで送り迎えしてくれていた。

 もともと不機嫌だった彼に、枕を投げつけた上に、あんな捨て台詞を吐いた。だから彼が今、目の前にいることが信じられなかった。

 慌てて立ち上がると、彼の三歩ほど後ろまで近づいてみた。

 すると彼は背を向けたまま、また、ゆっくりと歩きだす。ティルアを導くように——。

 並んで歩く勇気はさすがにないから、ティルアはそのままの距離を保ってついていく。

 ティルアがすぐ後ろにいることは分かっているはずなのに、彼は何も言わない。振り返りもしない。けれど彼の華奢な背中は、自分を守ってくれる盾のように見えた。

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