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オークの大樹の下で(1)

 ユーリウスがティルア以外の人々の前から姿を消して、十日以上過ぎた。フリーデルの事件からは五日になる。

 薄情なことに、一人の生徒が突如行方不明になっても、さらに別の生徒が時計塔から転落して命を落としても、直接関わりのない生徒の間では話の端にも上らなくなった。学院内は、時計塔を大きく迂回する生徒が増えた程度で、すっかり落ち着きを取り戻していた。

 今日は十日に一度の休校日だ。ほとんどの生徒が、休日の朝をベッドで楽しんでいるらしく、早朝の校内はひっそりと静まり返っていた。

 カーテンを開けると、薄暗かった部屋に柔らかな陽の光が差し込んできた。今日は、お天気の心配はなさそうだ。

「早く準備しなきゃ……」

 もっと早く起きるつもりだったのに、昨晩も夜遅くまでユーリウスにしごかれていたから、ついつい寝坊してしまった。

 大慌てで、袖や丈が少し短くなってしまった青いワンピースに着替え、まっすぐな黒髪に櫛を通す。そして、机の引き出しからありったけのお金を取り出し、ポケットに入れようとしたとき。

『おい! 起きてたのか』

「ひっ」

 いきなり声をかけられて、思わず悲鳴を上げそうになった。ポケットに入れそびれた硬貨が、床に散らばり音を立てる。

 嫌というほど聞き覚えのある声に、恐る恐る振り向くと、ユーリウスが扉をすりぬけて入ってくるところだった。

「もぉっ! 女の子の部屋に入るときは、ノックぐらいしてよ!」

『どうやって?』

 扉の前に立ったユーリウスが意地悪く目を細めた。手の甲で扉を叩く動きをするが、彼が手首を返す度に、手が扉を突き抜けてしまう。音なんか鳴るはずがない。

 こっそり抜け出そうと思ったのに……。

 がっくりと肩を落としていると、彼が不機嫌な顔で、部屋の中にずかずかと入ってきた。

『ノックして欲しかったら、早く俺を元に戻せばいいだろ』

 それができたら、こんな苦労はしないのだ。

「なんでこんな朝早くから来るのよ」

『あんたの部屋のカーテンが開いてるのが見えたんだ』

「ああ、まさかそんな罠があったなんて……」

 ティルアは頭を抱えて唸った。

 彼の制服の二つのポケットがぱんぱんに膨らんでいる。きっとそこに、見えない鳥の羽がたくさん詰まっているのだ。彼が、一日中、魔術の特訓をするために来たことは明らかだ。そんな人に捕まってしまってはたまらない。

『なんだよ、この金』

「お、落としただけよ」

 彼が視線を落とした床から、慌てて硬貨を拾い集めてポケットに納めると、素知らぬ顔でコートを取った。

「ねぇ、ユーリ。あたし、今日はこれから出かけなきゃならないから」

 すると、彼はぎろりと睨んできた。

『そんな暇があると思うのかよ』

「だって、この間の休みは、ユーリを消去しちゃった直後だったから、バタバタしていて行けなかったんだもの。今日こそ行かなくちゃ」

『どこへ行くんだよ』

「いいじゃない、どこだって。たまには息抜きも必要よ」

『何が息抜きだ! 俺が優先だ! 待てよ!』

 彼が通せんぼをするように伸ばした手は、ティルアを捕まえられない。

 ティルアは身を翻すと、扉を開けて廊下に出た。

「お昼頃には戻るわ。魔術の練習はその後いくらでもやるから、いい子で待ってて!」

 扉の隙間から顔をのぞかせてそう言うと、まだ眠っている寮生たちを起こさないように足音に注意しながら廊下を走り出す。

『くそっ……。なんだよ、あいつ!』

 扉をすり抜け廊下に出たユーリウスは、忌々しげに顔を歪めてティルアの後ろ姿を見送った。



 王立上級魔術学院の正門は、南校舎前の植物園を抜けた場所にある。学院の敷地は、大きな石を積み上げて築いた高い石塀で取り囲まれており、外部からの侵入者と、こっそり抜け出そうとする学生を阻むための強い結界が施されている。唯一学外に通じる正門も、事前に申請をした者しか通ることができなかった。

 ティルアが近道をするために、南校舎を通り抜けようとすると、廊下を歩く女子生徒の後ろ姿が見えた。

 朝食の時間にはまだかなり早い。しかも、休日だというのにきっちりと制服を着込んでいるのが奇妙だ。背中の真ん中で、ゆるやかにウエーブがかかった赤毛が揺れている。身長から考えて上級生のようだが、はっと目を奪われるほどの美しい後ろ姿だというのに、ティルアには全く見覚えがなかった。

 この学院に、あたしの知らない生徒がいたなんて……。

 興味を覚えたティルアは、彼女の顔を見てみようと、後ろから追い越してみることにした。

 早足で近づき、数冊の教科書を胸の前で抱えて歩く少女の、すぐそばを通り抜ける。そして、驚いたように立ち止まった彼女の顔を、追い抜きざまにちらりと見た。

「あ——」

 見知らぬ女子生徒の意外な正体に、ティルアも驚いて足を止めた。

「ティルア。ど、どうしたの? こんな朝早くに」

 辺りをきょろきょろと見回し、少々挙動不審な様子を見せたのはクリスタだった。

 一方、ティルアは、普段とは違う妹分の華やかな様子に、言葉も出なかった。彼女の頭てっぺんからつま先まで、視線をさまよわせる。

 幼い頃から知っている彼女は、いつもきつく編んだ三つ編みを下ろした、どちらかというと地味な目立たない女の子だった。今のように、髪を解いた姿も見たことはあるが、こんな艶やかさは知らない。

「クリスタこそ……どうしちゃったの? なんだかすごく、いつもと違って見える」

「そ、そう? まだ朝早いから、三つ編みにしていないだけなんだけど」

 そうは言うが、寝起きの髪にこんなに綺麗なウエーブがついているはずがない。前日から入念に準備したことが分かる髪だ。よく見ると、頬にあるはずのそばかすは薄く隠され、唇にはほんのりと赤い色が乗せられている。

「誰かに会うの?」

「う……ううん。図書館に勉強しに行くだけよ」

 南校舎の廊下をこのまま通り抜けて外に出ると、目の前に時計塔があり、その後方に図書館の入った管理棟がある。教科書を胸に抱いているところを見れば、勉強をしに行くというのは嘘ではないかもしれない。

 だけど、本当にそれだけだろうか。

 休日の早朝にきっちりと制服を着用し、ティルアでさえ見たことがない華やかさを纏い、そわそわと落ちつきのない様子を見せている彼女には、違和感しか覚えなかった。

「朝食前のこんな朝早くから? お休みなのに制服を着て?」

「そうよ。だって、ほら……朝の方が勉強がはかどるし、制服を着ていると、気持ちが引き締まるでしょ? だから……」

 そんな説明も、言い訳にしか聞こえない。

「クリスタは成績がいいから、そこまで勉強しなくても大丈夫じゃない」

「だめよ。もっと勉強しなくちゃ間に合わないもの」

「え? 何に?」

 学院内の定期試験はまだずっと先だ。学外の資格試験や認定試験も予定されていないから、今の時期はみんなのんびりとした学院生活を送っている。だから、彼女が何に焦っているのか、全く分からなかった。

 ティルアの反応に、クリスタは余計なことを言ってしまったと思ったのか、慌てて両手で自分の口を塞いだ。彼女の足元に、抱えていた教科書がばさばさと落ちる。

「な、何にってことはないんだけど……。ほら、勉強はしておいた方がいいに決まってるでしょ?」

 クリスタはあたふたと廊下に散らばった教科書を拾い集めた。そして、これ以上の追求をさせまいとしてか、身を翻す。彼女の美しく整えられた見事な赤毛が、ティルアの目の前にふわりと広がった。

「ごめんね、ティルア。わたし、急ぐから!」

「あ、待って!」

 彼女は引き止める声に振り返ることなく、廊下をぱたぱたと駆けていった。

 ティルアは数歩、追いかけたが、自分も急いでいることを思い出して足を止める。

 お昼頃には戻ると、ユーリウスに約束しているのだ。約束を違えたら、どれほど嫌味を言われるか分からない。

 ティルアは彼女が消えた方向に背を向けると、ため息をついた。

「クリスタったら、どうしちゃったんだろう……」

 彼女が、何かを隠していることは明らかだ。孤児院で一緒に育った妹分との間に、見えない壁ができたようで寂しかった。

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