火の用心
六時間目が始まりました。 相変わらず花薫くんは授業を真面目に受けてません。 睡眠を邪魔された花薫くんは、ちょっとセンチになったりならなかったり。
六時間目の授業中、ぼやーっと空気を肌で感じている。 そんな俺の脳内では、アリスをモチーフにした少女が、姉と二人談笑している様を想像していた。 姉と楽しげに話す姿は、俺の求めているものだ。
生まれつき病弱で、ろくに学校も行かず、外に出ることもなかった俺は、自分で言うのも恥ずかしいが年相応のコミュニケーションが取れない。 証拠に、今のクラスでまともに会話したやつなんていない。 ましてや、変人の流刑地なら、俺と波長が合うやつなんて、見つかる気がしない。 ・・・・・・見つける気もないが。
ファンファンファンファン・・・・・・。
耳障りな警報が耳を劈く。何かあったのだろうか。 地面は揺れていないから、火災か不審者だろう。 俺は走れないから、逃げ遅れるかも知れない。 誘導するならさっさとしてほしいものだ。
「・・・・・・火災発生。 火災発生。 発火場所は・・・・・・」
ざわざわというあちらこちらからの雑踏で、放送がかき消される。
「静かにしろ! 何言ってるか聞こえねえだろ!」
鶴の一声・・・・・・にしてはやけに震えているが、その教師の言葉で教室は声を失う。
「火災発生。火災発生。 発火場所は、一階、女子トイレからです。 速やかに避難を開始して下さい。 繰り返します―――――――」
・・・・・・。
生徒達が校庭にぞろぞろと集まる。 訓練ではないというのに、予想以上に緊迫感のない事態に、欠伸をしながらダラダラ動くやつが目に留まる。
どうやら、大袈裟な炎や煙を出すことなく、消火活動が終わったみたいだ。 ざっと見た感じ、学校にも目立った損害もなさそうだし。
「・・・・・・なあ、なんで学校も生徒もなんともないのに、火災警報なんかでたんだ?」
「ああ、なんかまた・・・・・・らしいよ」
「また、か」
また、とはなんなのだろうか。 俺が首を捻ると、俺の担任が、目に飛び込んできた。 何やら、教頭やほかの教員にペコペコと頭を下げている。
「またか、君の生徒が・・・・・・」
「・・・・・・申し訳ありません! 厳しく言っていたのですが」
「脅迫の次は、不審火ですか。 随分とお転婆ですこと」
・・・・・・学校を灰にしてしまう行為を、お転婆で済ますことなのか。
哀れな教師の背中を眺めていると、集会を始める旨を伝えるメガホン越しの教頭の割れた声が、風に乗って校庭に吹き抜けた。
「えー、ただいま、生徒全員の無事を確認いたしましたので、これより緊急集会を執り行いたいと思います」
「まず、今日の避難についてお話したいと思います。 今日の皆さんの避難は、きちんと命の大切さを理解した上での行動と見受けることが出来る生徒が、大半でした」
「しかし、残念なことに、避難をまるで、ゆっくりと帰る下校のような雰囲気で、危機感のない生徒もいました」
「先ほどの火災は、訓練ではありません。 あなた達の行動で、誰かが命を落とすことだってあります。 充分な避難を完遂するべく、避難活動を行ってください」
そんな大切なことが語られているとはつゆ知らず、スマートフォンやら本やらに視線を落とす奴らは、この先生きていくことが出来るのだろうか。
なんだか、こんなクズが言うのもアレだが、こいつらとまともに馴れ合うと、俺まで染まってしまいそうだ。 そう思い、俺はそっと心の中に大きな壁を築き上げたのだった。
「・・・・・・そして、火災の火元についてですが、一人の生徒の煙草が原因でした。 皆さん充分おわかりだと思いますが、あなた達は未成年であり、この学校の生徒です。 人としてやってはいけないことがあります。 生徒としても、すべきではないことがあります」
「その生徒は、その両方を犯してしまいました。 ですが、決してそれを、非難してはいけません」
「その生徒は、悔い改めようとしています。 心を入れ替えようとしています。 みなさんがするべきことは、人を許し自分も周りも、間違いを犯さぬよう、日々生きることであります」
・・・・・・生きる事が、楽だなんて思ったことなんかない。 でも、死ぬって、案外楽なのかも知れない。 一語一語受け止めるように聞いていたが、ぼうっとそんなことを考えていると、教頭の声は俺に届かなくなった。
三十分ほどあとからやってきた校長の、愛も何も無いような説教、もとい愚痴がダラダラと続いた。 額に冷や汗をかくと、目眩で世界が歪み始めた。
立っているのが辛い。 五月は暖かい日差しで俺たちを包んでくれるが、風という厳しい一面も見せる複雑な時期だ。 しゃがもうと膝を曲げると、頭が揺れる振り子のように、勢いよく地面と仲良くごっつんこした。
「・・・・・・花薫くん!! 大丈夫?!」
女性教師が駆け寄ってくる。 華奢な手が背中に触れると、暖かさがじんわりと伝う。 これは、宍戸先生の手だ。
結婚指輪の硬い感触が、頭を撫でた時にわかった。 俺よりも小さいはずの先生は、その体よりも大きな愛で包み込むような、不思議な先生だ。 俺の担任だからという理由ではなく、人が倒れたから、という理由で駆け寄る先生は、人としても美しい人なのだろう。
「花薫くん、今担架くるからね・・・・・・」
意識はあるが、喋るほど余裕はない。 吐き気が言葉を飲み込んでゆく。
あの気持ち悪い浮遊感に襲われて、俺は授業で起こされたぶん、思いっきり寝てやろうと開き直った。 この様子じゃしばらく動けない。
ちょっと具合が悪いくらいじゃ、普通に振る舞うが、ここまで来ると、諦めた方が賢明だ。 あとは先生に任せよう。
大丈夫、いくら病弱と言ったって、死にはしないさ。
そうして、俺は担架で運ばれながら、もう一眠りと行くことにした―――――――。
キャラ紹介
宍戸沙穂・・・・・・ししどさほ 女 花薫のクラスの担任。未亡人。 背は低く、病弱である。
こうやって見てみると、花薫くん大物ですね汗
ちなみに、ルビは作者が寝起きの頭で読み間違えそうだったな〜を基準に振っています。