思い出
翌朝…ー
「…み、ミルフィリア…その、本当に悪いと思っているよ…だ、だけど…」
「悪いと思っているのなら、二度と顔を見せに帰って来ないでほしかったわ。あなたのことは、もう兄とは思っていないし、私とリクが必死に牧場を守っている時も、どうせギャンブルとかしていたのでしょう?父さんも亡くなる前に、アリのことはもう息子とは思っていないって言っていたわ」
「っ……」
「今回はアオが手を差しのべてくれたから、あなたは首と銅が繋がっているの。あなたが昔、いじめていたアオにね」
「ミルフィリア…」
「名前で呼ばないで。私は、あなたを見損なったんだから。今日は離れで寝て」
「そんな!僕の部屋、あるだろう?」
「もうないわ。あそこは、リクの部屋になったの。アオが明日から、ここで暮らすのならば客間を使わせるから。あなたは離れ」
「っ……」
兄は、悔しそうに唇を噛んで項垂れているが、ミルフィリアは話は終わりとでも言うように、家の扉を開け出ていく。
ミルフィリアは広大な草原の中の、一本の木の下に、幹に背中を預け一人座っていた。
牧場と言っても、直径数百キロ程だ。父が亡くなる前は、山も所有していたのに亡くなってからは、山も手放してしまった。
けれど、アオが取り戻す手助けをしてくれるのならば、甘んじて受けよう。
牛や羊も伸び伸びと育て上げられるし、何より今は出産ピークだ。子供がたくさん産まれてくるので、母親にとっては良い環境だ。
でも…夫婦となるには別問題だ。私が14歳の時、アオは18歳だった。祖父が行き倒れていたアオを、助けたのが二人の出会いだった。
アオは、少年ながらも美しい顔立ちをしていた。深海のように暗い青の瞳は、何を考えているのか分からず、いつも無表情だった。
そんなアオを卑しいと言い、兄はアオに雑用やいじめを繰り返していた。ミルフィリアにとっても、良い兄ではなかったが血は繋がっているので、どこか憎めなかった。
しかし、アオに陰湿ないじめを繰り返していたため、ミルフィリアは怒りアオをかばっていた。
そこから、何となく二人の距離が縮まり、牧場の手伝いや、二人で馬に乗り遠乗りをしたものだ。
アオも表情がコロコロ変わるようになり、よく笑うようになった。
ある日、アオが牧場の中心にある一本の木の下に、ミルフィリアを呼んだ。
何かと思えば、アオはミルフィリアに付き合ってほしいと告白したのだ。ミルフィリアには、付き合うという意味が分からなかった。
何せ、町までには馬で数十キロ程あり、学校も行っておらず親しい友人もいなかったので、男女の関係について疎かったのだ。また、母もリクを産んで亡くなってしまい、女がミルフィリアしかおらず、父や祖父には聞けなかった。
意味が分からないまま、ミルフィリアは良いよと頷いた。今までと同じように、馬で遠乗りをしたりする意味なのだと思っていたのだ。
しかし、ある晴天の日二人で馬で遠乗りをした時、アオはミルフィリアに顔を近付けてきた。何?と尋ねる間もなく、アオは口付けをした。
ミルフィリアは驚き、アオの頬を引っ張たいた。アオも驚き、ミルフィリアに恋人はこういうことするものだよ、と言った。ミルフィリアにとって、恋人の関係が分からず、ただただ困惑して訳も分からずに、泣いてしまった。
アオもオロオロと戸惑い、何度もごめんと謝ってくれた。
それから、アオは付き合うのを止めようと言い、その三日後に姿を消してしまったのだ。
突然のことで、ミルフィリアは何か大切なものを、身体の一部をなくした錯覚を覚え、何日も泣いた。しかし、祖父や父はいつまでも泣いている娘を許さず、無理矢理牧場の手伝いをさせ、次第にアオのことは忘れるようになった。
けれど、頭の片隅にはアオを思い出さなかった日はなく、寝られない日もあった。
でも、昨日あったアオは10年前よりも端正な顔つきになり、無表情は相変わらずだが目元は優しくなった。
声も男らしく色気を含み、思わず鳥肌が立ったほどだ。体つきもがっしりとし、一匹の羊は持てるんじゃないかと思えるほどだった。
何故、アオはミルフィリアを妻に望んだのだろう…。都会の女性の方がもっと色気もあって、きれいなのに…。
ミルフィリアは胸元まである、茶色のたっぷりとした巻き毛を三編みに、茶色の瞳で、体つきも細くも太くもない、標準体型だ。だが、服装はシャツにジーンズだから、色気も女らしさもない。
ミルフィリアのように牧場一筋の女を妻に望むなんて、アオぐらいのものだ。
だけど、アオに会えた喜びは隠すこともできず、昨日はミルフィリアらしくない行動を取ってしまった。
ちょうどお昼時になり、ミルフィリアが木の下から腰を上げた時…ー
「ミル!」
遠くから、叫ぶように大きな声が聞こえた。ミルフィリアが振り向くと、アオが愛馬に乗ってミルフィリアの元にやってきた。
「こんなところにいたのか。家にいないから、探したぞ」
「…ごめん。ちょっと気分転換」
「おいで、帰ろう」
アオは馬に乗ったまま、ミルフィリアに片手を差しのべる。ミルフィリアは一瞬戸惑い、片手を伸ばすとしっかりと握られ、ふわっと持ち上げられる。そのまま、アオの前に乗せられ、ミルフィリアの身体の両方から逞しい腕が、ミルフィリアを支えてくれる。
ミルフィリアの背中にはアオの厚い胸板が密着し、耳元にはアオの息遣いが感じられる。
ミルフィリアは赤面するが、アオには分からないようだ。
「ミル。これからのことで色々話したい。いい?」
「……うん」
アオの低音が、鼓膜を震わせミルフィリアは身体をピクッとさせた。しかし、アオは気付いておらず、勢いよく馬を駆け出した。