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二人の空  作者: 蒼久斎
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四回転ジャンプ


 男子のフリーの演技、ショートプログラムを二位で終えたアリは、最終組の滑走である。

 アリからの電話が切れた後、私はラウルに電話をかけ直して、アリが四回転を跳ぶつもりでいると、私に話したことを伝えた。どうやら、ラウルは聞かされていなかったらしく、ひどく驚いていた。

 ラウルは私に言った。

「今までにない兆しが現れたのが、良いことか、悪いことかは、まだわかません。けれども、四回転に挑戦してくれることを、コーチとしては嬉しく思います。これで、また一歩成長することができるのなら、私はアリを、横で支え続けるだけです」

 それから、独り言のように、アリはずいぶん、あなたになつきましたね、と言った。

 私はそれを聞かなかったことにして、問うた。

「アリが四回転を跳ぼうと言い出したきっかけについて、ご存じですか?」

 ラウルは、ほとんど間をおかずに、知ってはいませんが、見当はついています、と言った。

「女子に、イスラエルの選手がいたそうですね。彼女のせいではないんでしょうか?」

 さすがに、鋭い、と思いながら、私は答えた。

「そうです。ショートプログラムの前に、ちょっと衝突があったようなんです。それで、意地でも勝ちたいと思うようになったそうです」

 驚いたことに、ラウルは笑った。

「今までに、アリが抱いたことのなかった感情ですね」

 そう言うラウルに、それはそうですが、と、私は困惑を隠し切れぬままに、言葉を紡ぐ。

「氷の上でインティファーダをやるつもりですか。私は彼の、あのおおらかな演技が好きなんですよ」

 そう私が言うと、ラウルは、ええ、と言った。

「でも、いずれぶつかる問題だったと思います。アリは、スウェーデン人であるよりも、パレスチナ人であるということに、アイデンティティを見いだしている節がある。もちろん、スウェーデン人だとも思っています。それでも、彼の中には、パレスチナが強く根付いているのです。スケートでその問題と直面するとは思っていませんでしたが、でも、避けられない壁だったんです、いずれにせよ。それが来ただけです。そして、その時が来たら、精一杯支えてやろうと、私は思ってきた」

 そう言って、それから、ラウルはまた言葉を続けた。

「氷の上を、ただの復讐の場にするほど、アリは愚かな子ではないと、私は思っています」

 ラウルのその言葉で、私も腹を決めた。

「わかりました」

 私はアリのファンですから、精一杯応援するだけですよと、そう付け加えると、ラウルが受話器の向こうで微笑んだのが、見えたような気がした。

 そうして、客席で、私はいつもとは違う緊張を抱えて、リンクを見つめていた。

 各選手の演技を楽しみながら、心のどこかで、不安に似た感情が、うずくように存在を主張していた。

 最終組の、五分間練習が始まった。

 ヨーロッパ系の外見の選手ばかりの中、アリの中東系の顔立ちは、ひときわ目立つ。

 赤を基調にした衣装を纏ったアリが、加速するように氷を蹴った。

 四回転ジャンプ。

 決意を示すようなそのジャンプは、見事に成功した。客席から拍手がわき起こる。私も拍手をした。

 それから彼は、得意技になりつつある、三回転のコンビネーションジャンプを決めた。

 着氷の時に向きの変わる、半回転つきのアクセル以外は、相変わらずよく分からない。ルッツとか、フリップとか、サルコウとか、ループとか、トウループとか、名前は知っているのだが、何がどう違うのか、二年も見ておいて、相変わらずである。さすがに、そろそろまずいだろうか。

 五分間練習が終わる。

 私は、祈るような気持ちで、アリの滑走を待った。

 本番の四回転ジャンプ、彼は着氷を失敗して、転倒した。この減点が響いて、彼は僅差ながら、惜しくも一位を逃すこととなった。

 キス・アンド・クライで、ラウルの横で唇を噛む彼の姿が、スクリーンに大写しになる。それを、私はじっと見つめていた。

 アリは総合二位で、初めての国際大会を終えた。

 今までの彼なら喜んでいただろう。

 けれども、アリは悔し泣きに泣いていた。

 さあ、いよいよ、女子のフリー演技だ。



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