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二人の空  作者: 蒼久斎
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ラウル・スヴェンソン


 基本的に、北欧諸国は、どの国も人口が一千万人に到達しない、小国ばかりである。スウェーデンは、そんな北欧の中では最大の国だが、それでも人口は、七百万人に過ぎない。最小のアイスランドに到っては、総人口三十万人である。

 そんな国々では、すみずみまで目の行き届いた、細かな施策が可能である。高負担・高福祉で知られる、北欧の手厚い社会制度は、目の行き届く小国ならではの行政とも言えるだろう。

 インフラ整備も、非常に進んでいて、インターネット環境も、非常に発達している。

 私は、スウェーデン滞在期間を延長することにして、何度もスケートリンクに足を運んだ。

 何度目か、そろそろ数えられなくなった頃、私は、アリと、もう一人、背の高い男性とが、一緒にバス停に立っているところに出くわすこととなった。

 アリは私を見ると、顔をほころばせた。これだけ追っかけていると、さすがに彼にも、私が彼のスケートに、心底魅了されているということは、伝わったものらしい。

 彼は、コーチをしてくれている養父だと、傍らに立つ長身の男性を示した。名を、ラウル・スヴェンソンと言った。

 ラウルは、養子のアリとは逆に、いかにも北欧系という感じの、色素の薄い男性だった。白い肌に、短く刈った金髪。薄い青色の目には、少し警戒するような色が浮かんでいたが、アリが、おそらくスウェーデン語と思われる言葉で何かを話すと、硬かった表情はほぐれて、柔らかな笑みを見せた。

「アリのファン、なのですか?」

 アリよりも訛りの少ない、聴き取りやすい英語で、ラウルはそう言った。

 私は、ええ、と、ほとんど咳き込むように頷いた。そうして、最初に出会った大会で、とても感動したことと、そしてそれから、ずっとアリの出場する大会を見るのを楽しみにしていることとを、時々舌をかみそうになりながらも、可能な限り早口で言った。

 ラウルは私の熱意に、少し気圧されたようだったが、アリは相変わらずの人懐こい笑みで、今度は私にも分かるように英語で、養父に話しかけた。

「人の少ない小さな大会にも来て、一人で十人、二十人分の拍手をくれるんだ」

 少し照れたようなアリの表情は、また、十五歳のもののように見えた。

 ラウルは微笑んで頷いて、それから黙って、応援するように、アリの肩を軽く叩いた。

 バスが来て、私たち三人は、それに乗った。私がアリと、最初に出会った、あの日の大会が行われたスケートリンクへと、向かうバスだ。

 バスに乗ってしばらくして、ラウルがアリに、英語で話しかけた。

「3・3・2に、挑戦しないか?」

 相変わらず、専門書には目を通すことなく、ただ滑りを楽しんでみているだけの私にも、ラウルの言葉が何を意味しているのかは分かった。

 三回転、三回転、二回転の、コンビネーションジャンプに挑戦してみないかと、言っているのだ。

 アリはミスなく演技をこなすことを最重視して、難易度の低い技を中心にプログラムを組む。その基礎点の低さが足を引っ張り、芸術点の高さを削って、表彰台が遠のく。

 ラウルの提案に、アリはしばらく黙って考えるような目をしていたが、やがて、視線をふいと私によこして、それから笑って頷いた。

「わかりました。跳びます」

 ラウルは、どこかほっとしたように息を吐き、それから私の方を、微笑んで見た。

「跳べるのに、跳ばなかったんですよ。失敗が怖いからと言って……本当は、もっとレベルの高いプログラムを組むこともできるのに、冒険をしない」

 もったない、と言うように、ラウルは苦笑する。

 私は、練習中のアリを見たことがないので、彼が本当はどのくらいの大技まで成功させられるのか、知らない。

「それなら、一度で良いから、練習中のアリの滑りを見てみたいものですね」

 私は正直に、そう言ってみた。

「私はアリの滑りそのものが好きですが、アリが大技を決めるところにも、興味がありますから」

 そう言うと、クラブは部外者は基本的に入れませんよ、と、アリが苦笑混じりに言った。

「取材許可をもらえば、話は別ですけれども」

 そう彼が付け足したので、私はにやっと笑った。

「じゃあ、クラブに取材許可を取れば、練習中の君を見られるんでしょうか?」

 ラウルが、少し驚いたような目を見せる。

 私は、自分が一応、文章を書く人間であることを、身分証を見せて示した。

 それでラウルは、ああ、と、納得したように頷いた。

「でも、アリのことを書くなら、もっと息の長い取材をしたいと思います。アリには、ずっと追い続けるだけの価値があると、私は思いますから」

 だから、あんまりせっかちに、取材許可を取りに行くのは、やめておきますと、私は付け足した。それから、また一言、付け加える。

「もちろん、無断で記事を書くような真似はしませんから、そこはご安心ください」

 そう言って差し出した名刺を、ラウルが受け取ってくれたことが、私はとても嬉しかった。

 その日の大会で、アリは3・3・2のコンビネーションジャンプを成功させて、表彰台に登った。



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