moon.
―今日も月は見えない。
いや、もう“ずっと”見てないや。
ここは静かな場所。
世界の喧騒から隔離された、
私とあなただけが存在する場所…。
熱帯魚の跳ねる音だけが響く部屋。
AM1:45、
漆黒の闇に光が灯る時間。
「ただいま。」
「あ…おかえりなさい。」
うとうとしていた私の頭を、
あなたが笑顔で優しく撫でる。
それが心地よくて自然と笑顔になる。
「起こしちゃったな、ごめん。」
「大丈夫だよ! 帰ってくるのが待ち遠しかったから…。」
私が笑顔でそう答えると、 急に寂しそうな目をして私の首輪に触れた。
「いい子にしてた?」
「うん。」
「なに…考えてた?」
「あなたのこと…かな。」
「他には?」
「あなたのことしか考えてないよ。」
いつからだろう?
あなたが私を拘束するようになったのは。
初めは軽い束縛だった。
勝手に携帯を見て、アドレス帳から男性の名前を削除したり、
今日は誰と遊びに行くか答えるように求めたり。
好きだから心地良かった。
好きだから従っていた。
でもそれは段々とエスカレートしていき、
私が外出することを許さなくなった。
ゴミ出しでほんの数分、
家から出るだけで怒るようになった。
「どうして俺から離れようとする?」
「離れないよ…。」
「ずっと俺のそばにいて。」
「ずっとは無理だよ…。 仕事があるでしょ?」
「……君は俺が嫌い?」
「好きだよ。どうしてそういうこと言うの?」
「君がいなくなりそうで怖いんだ……。」
「剛?泣いてる…の?」
「お願い…俺だけのものになって。」
そうして私は拘束された。
心だけじゃなく、
カラダも。
首輪、手錠、足枷…。
だけど、 鍵は常に食卓の上にあった。
逃げようと思えばいつでも逃げられたんだ。
そこまでは束縛しない優しいあなた。
それさえも、 私にとって全て愛おしさに変わっていた。
「今日はなにしてたの?」
「テレビ、見た。 あなたの出てた番組…。」
そう言うと、 あなたは黙ってしまった。
なにか悪いこと…したかな?
不安に襲われる。
「あの……んん!」
突然、私の口をあなたの唇が塞いだ。
乱暴なキスに抵抗をしようとするけど、 拘束されたカラダではどうすることも出来なかった。
苦しさで涙が滲む。
窒息しそうなくらいの激しさに頭がクラクラした。
ーー唇が離れる。
「は…ぁ。」
「どうして俺だけを見てくれない?」
「…泣かないで…。」
「どうしたら俺だけを見てくれる?」
「あなたしか見てな」 「嘘つくな!」
いきなり怒鳴るあなたに、 私は恐怖心からただ謝ることしか出来なかった。
「自分でもわかってる…。 俺、おかしいんだ。
テレビの自分にも嫉妬するなんて…。」
ああ、
嫉妬だったんだ。
急にあなたが愛おしくなる。
「毎日君は俺を見てくれてるはずなのに…。
君が好きなのはテレビの中の、俺なのかなって…思っ…たら。」
「もういい、わかった。 わかったから泣かないで…。」
「ごめん…ほんとごめん…。 君だってこんな生活もう嫌だよな? こんな俺なんか…嫌いになったよね…。」
「嫌じゃない! 全部私が望んでしていることなんだから、 あなたは悪くない…。」
拘束器具のせいであなたの涙を手で拭えないから、 そっと舌で拭う。
あなたと目が合う。
泣きながら少し微笑む。
「…君は優しいね。 いつでも君は優しいんだ。
でも…無理しなくていいんだよ。 鍵はいつでもそこにあるんだから逃げてもいい。 俺はもう大丈夫だから。
君がいなくても大丈夫だから…。」
え?
今なんて言ったの…?
頭が混乱する。
ワタシガイナクテモ、
ダイジョウブ―――?
「君には幸せになってもらいたい。 俺なんかといたら…ダメになる。」
「私はあなたがいいんだよ。」
「……」
「ねえ、もう私に飽きたのかな? いらなくなったかな? あなたがもう私に飽きたのならしょうがない。 でも私のカラダは、心は、もうあなたにしか反応しないんだよ。 あなたしか見えないし見たくない。
あなたのそばにいたい…。」
溢れ出てくる言葉に、
感情に、
涙が止まらなくなる。
「泣かないで…。」
それはいつも私があなたにかける言葉。
ズルいな、
もっと涙が止まらなくなる。
「でも俺は…君を壊したくなる。 このまま一緒にいたらもっと欲が出そうになるんだ。
君を……殺したくなる。」
「私を…殺す?」
「君のことが好きで…好きすぎて辛くて…憎いんだ。 俺だけを見て欲しい。 俺の声だけを聞いて欲しい。
君に触れていいのは、 悦ばせたり傷つけていいのは俺だけだ。」
嬉しさでおかしくなりそうだった。
ああやっぱりこの人しか見えない。
この人しか愛せない。
「ねえ…私を殺して?」
「…なに言って」
「好きな人に、あなたに殺されるなんて…。
これ以上の至福はないよ。」
「………」
「ねえ、 私をあなたの、あなただけのものにして。」
あなたは泣きそうな笑みを浮かべて、 私を強く抱きしめた。
いつもより痛くキツく。
私はいつかあなたに殺される。
あの日からあなたは私を激しく求めるようになった。
首を絞めて、
体中に噛みついて、
骨が折れそうなほど強く抱きしめる。
最後の一線を越えるか越えないかのギリギリ。
だけどそれが幸せ。
今日も私は漆黒の闇であなたを待つ。
熱帯魚の跳ねる音を聞きながら、
あなただけを考えながら。
あと10分。
今日も月は見えない。
あなただけしか見えない。