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七、天の火を掠める者

 兼直の思考の中では、家の外にいては問題を必ず起こすために、ときははしばらく兄や木鳥の見張りの下で神名火守の教えの基礎を覚え直すべきだというところに帰結した。更に家の中から出る事も厳禁とされた。そんな罰を与えられた少女の顔つきがしわのたくさん入ったものになるのも無理はなかった。つまるところ、“もっと頭を使え”と言われているような気がしてならない。それに座学はときはにとって非常に退屈なものでしかない。しばらくはうんざりした生活しかないのだ。

 味気ないが毎日やらねばならぬ事のある日常を続けていると、少し気がかりだったあの面の少年の事は、記憶の片隅に押しやられてしまった。そうしてときはは日々を過ごした。

 屋内から薄い白藍(しらあい)の空が見える。まばゆいばかりの太陽の明かり。目に痛いほどの白磁色の雲。遠い空。平城京は北に奈良山丘陵、東に春日山、西に生駒山と、四方を山に囲まれている。西に面したこの(へや)からは生駒山を目にする事が出来るが、ときはの思いはもっと遠くにあった。平城京を超えた向こうでも、海の外の大唐国でもない。胡人が住む異国でも、そのもっと奥にあるという地でもない。

 浅葱の事だ。今、彼を思い出すと地上のどこの土地よりも遠い場所に行ってしまったように思えてならない。ひどく遠いのだ、浅葱が。最後に見た顔は覚えていないのに、ときはを拒絶するような表情しか脳裏に描けない。嘘をついていたという後ろめたさがそうさせるのだろう。こうして静かにしていると、ときはは暗い気持ちにばかりなってしまう。

「漢学の師範(せんせい)が来てるよ」

 神名火守の仕事についてだけではなく、ときはは貴族として当然学ぶべき漢学も教えられている。それの師範が来ているというので清人がわざわざ足を運んできたのに、妹は返事ひとつ出来ない。

「ときは」

 兄に名前を呼ばれてはじめて、ときはは地上に自分の意識を引き戻す事が出来た。慌てて清人に向かって顔を回すと、彼は常通りの思考の読めない表情をして、しばし微笑を消した。

「何を考えてるか知らないけどね、結局行動したものの勝ち、って事もあるんだよ」

 まるで励ましの言葉。浅葱の事で悩んでいるときはに、ならばまず動け、と言っているかのようだ。兄からそんなものがいただけるとは思ってもおらず、ときはは言葉の意味すら図りかねた。

「つまり漢学のお時間にまず行きなってこと。ほら、早く」

 やはり、清人が激励なんてまともに口にするはずがなかったのだ。背中を押されてときはは移動する事になった。




 清人の言葉に刺激された訳ではない。いずれしなければならない事を先延ばしにしていたと彼女は知ったのだ。彼に会わなければ。

 父の兼直がときはの身勝手を許さないのは自明の理だが、彼が終始彼女に監視をつけているという事はない。木鳥に様子を見させているが、だからといって四六時中の事ではないなら、抜け穴があるのだ。ときははじっとしていられなかった。とにかく、浅葱に一度会って話しをしたい。そればかりに頭を支配され、彼女の気持ちは家の外の遠い場所にあった。周囲によく注意をすれば、誰にも見られずに出かけるのはあまり難しい事ではない。そうしてときはは家を抜け出した。

 この日、ときはが家の外に出なければ事態は変わっていただろうか。

 一つ言えるのは、契機になったのはこの日であっただろうという事だ。


 訪れた場所は、何度も何度も訪れて見慣れたはずの場所だった。質素だけれども手入れのされた九曜家の住まい。今は、どこよりも入りづらい場所となっていた。帝の前に出るのだってこんなには緊張しないに違いない。

 中に入ろうか、帰ってしまいたくなる気持ちに揺れながらときはは唇を噛んだ。せっかくここまで来たのに、情けない事に足は萎えたみたいに動かない。このままだと、足が動いた瞬間に踵を返してしまうかもしれない、いや、そうした方が正しいのだとまで信じそうになった時、顔を出したのは浅葱だった。どこかへ出かけるところだったのか、突然の来客に目を丸くしてから――眉根を寄せた。

 歓迎されてない。ときはは一瞬で理解した。ここから逃げ出したい。夢生も恐ろしいけれど、誰かに嫌われるのは一層こわかった。少年はときはと視線を合わせるのを避けるように通り過ぎて行った。挨拶の言葉もない。

「待って!」

 逃げ出そうとしていたはずが、咄嗟に口をついたのは呼び止める声だった。そんな風に避けられるくらいなら、責められる方が幾分ましだ。立ち止まった浅葱は、顔こそこちらに向けないものの話を聞く気はあるのか、一度だけ視線をときはの足元に動かして、また自分の足元に戻した。

「浅葱……ごめんね、黙っていて」

 相手の顔は厳しいものではなかったが、ときはを歓迎しているようにはとても見えない。感情を表に出さないように努めているかのように、硬い表情だった。ときはの方に視線を向けずに、彼女からは片方の頬しか見えない場所にいた。

「どうして、黙っていたの?」

 詰問するような口調は、少女に顔を向けないままで放たれた。

「だって、その……あたしの身分が分かったら、な、仲良くしてもらえないかと思って……」

 本当は違う言葉を使いたかった。それなのに子どもみたいな言い訳じみたものがあふれ出るのみ。嫌われたくなかった。それがときはの真実。しかしどうしてだろうか、本心であるというのに誰かに嫌われたくないと口にするのは、ひどく恥ずかしい事のように思えるのだ。俯いたときはの近くに人の気配。正面に、一人の男の子がいた。今はこちらを見ている少年。

 浅葱は困ったような笑みを浮かべる。優しいさゆき(あね)のする表情に似て、本当に姉弟なのだなと感じさせるようなもの。普段はそういった顔をしないというに。

「まいったなあ。そう言われちゃあ、怒ることも出来ない」

「やっぱり怒った?」

「ちょっと衝撃的だったしね。でも、ときはときだって、今思った」

「浅葱……」

 “とき”という愛称でまた呼んでくれるのか。また、笑顔を向けてくれるというのか。少女の胸にじんわりとあたたかみが広がっていく。照れ隠しのように抱きしめていた包みを一気に前に突き出す。

「これ、嘘のお詫び」

 常々ときはは感じていたのだ。この貧しい兄弟に何か出来ないかと。せめて少しでもいいから腹いっぱい食べさせてやりたいと。蓮の葉に包み込んだ結び飯、ただそれだけではあるが、抱えるほど持ってきた。少しではあるが、彼女の好きな()と唐菓子。

 これをどう受け取るべきか浅葱は迷った。友人の好意としてならありがたく思えるのだが、相手が富める者と判明した今、そっくりそのまま両手を差し伸べるほど子どもではなかった。

「お詫びなの、あたし、嘘ついて、ひどいやつでしょ? 物で許してもらうなんてもっとひどいと思うけど、思いは目に見えないから、せめてもの……」

 ここにきてときはは“物で釣る”という自分の行為に気づいてしまった。そんなつもりはなかった。日ごろより九曜姉弟には何かの形で世話になっている礼もこめて物を送りたいと思っていた。ときはが生活に余裕のある家に住んでいるから思う事ではあったが、物の溢れた場所から物の少ない場所へと物を移動させるのはさほど問題ある行為だとは思えないのだ。むしろ平衡が取れてよいのではないか。しかし物を与えるから許せよというのでは、幼い子ども相手でもあまりにも単純すぎる。

「……これ、置いておくから。よかったら食べてね」

 相手の動きがないためにときはは拒絶される前にと退却する事に決めた。だが置いておこうとした包みを奪われて、ついとその行方を目で追った。

「分かったよ、ときは。ありがとう」

 少年は口角を上げていた。困惑交じりのものではなく。友人の好意に応えての笑顔にしか見えず、ときはは頬に熱が集まるのを感じていた。それじゃあ、とお互いきちんと手を振ると、別れの挨拶を告げた。

 よかった。大丈夫だった。

 一時はなくなってしまったと思ったものが、まだ消えてなかったのだ。きっと浅葱の方ではまだときはには壁を感じているところもあるだろう。ときはもだ。だがそれも長い間ではないだろう。そう思わせるほどに、浅葱の笑顔は優しかった。

 よかった。これでいいんだ。

 抑えきれぬ口元のほころびを少しも隠そうとせず、ときはは足が軽くなるのを感じていた。




 自身の住まいに身を収めた少女を、ひたと見据える瞳があった。ただ二つのその目には常人には見られぬほどの強い感情が込められている。暗闇で輝く炎のような、闇に潜む狂気のような、森にひそむ獣の双眸のような瞳。

「……ふふ……」

 ときはとはひどく違う質の笑みを浮かべ、暗い音をつむいだ。

 一つの人影がさっと飛んだ。左京へ向けて、日暮れ間近の京の中を急ぐ者など多くある。誰にも気に留められずに。

 ふうわり、ふうわり風が吹く。平城京には目には見えない空気が吹き付けていた。




   :::::



 

 宗家の最刈是川(もがりこれかわ)が神名火守の年長者を集めた。年はじめでもないのに滅多にない事だった。訪れた者はそれぞれに疑問を抱いてはいたが、全く有り得ない事ではなかったから、何か重要な談論があるのだろうと予想して渋面を作ってやってきた。口を開いたのは是川の補佐役である男。

「事態は火急である」

 神名火守の間では静かに深刻な事態が進行していた。ひとところに集められた人物たちは総勢で九名。半数が宗家最刈の者で、残りは陵家だった。神名火守の事実上の頂点である是川(これかわ)は部屋の一番奥まった場所にて目を伏せている。

「考えられる限り、この上がないような悪い状況と言わざるを得ない。真実であってはならぬとも。だが、起こってしまった事実はもう動かぬ」

「早う眼目(がんもく)に入りゃ」

 老いた男がぴしゃりと叩きつけた。白髪の爺に胡坐をかいて言われたのでは、話を遮られた方もいい顔を出来ない。しかし最刈広成(もがりひろなり)は一度自分の中で不満を嚥下させるように目を閉じ、眉を寄せると、息を吐いた。

 厳かに聞こえるように努めて――一息に。

「“(あめ)の火”が掠め取られた」

 放たれた言葉にすぐさま対応出来た者はほぼ存在しなかった。“天の火を掠め取る”その一節は日常的に使う、それが彼ら神名火守だ。あまりに身になじみ過ぎて、元来の意味が分からぬかのようだった。

 天の火は、神名火守が守るべき最たる存在。これを守る事が神名火守の真の目的、そのために神名火守が存在する。それが失われた、というのか。言うなれば帝を失った近衛隊。太陽を失ったも同然の事態いに、我が耳を信じられないのも無理ない事。

 男が一人、首を左右に振った。聞きたくない、とでもいうかのように。有り得ない、と判じているかのように。

「そんな事が……」

「馬鹿、な……。第一、天の火なんて本当に存在するのかも疑わしいのではないか?」

 天の火を目にした事があるものはかなり少ないと聞く。この場に集まった長寿の男たちでさえ、誰が天の火をその目で確認したか分からない。存在すると主張され続けているからそう信じているのであって、誰もが見られるところでお披露目されていない事は事実だ。

 若輩者が、と年配者はやっと口を利いた陵の若い男をねめつけた。しかし彼もまた信じられぬ面持ちをせぬよう心がけねば、動揺を表に出してしまいそうだった。老獪な男の感情さえも波立たせる事態――。

「何があったのです」

 陵の当主が、黙して動かぬ当主是川に向かって追求の言葉を放った。その瞳は相も変わらず深淵の底のような暗がりを見せていたが、それでもこの兼直は事態を正確に捉えようとしている。

「我等の間でも天の火を見た者は少ないであろう。だが確かに天の火は存在する。いや――存在していた(・・・・)というべきか……。最刈の安置する場からあれは消えてしまった」

 答えたのは広成ばかりだった。はっきりと実のある内容を告げられて、場はしばし水を打ったような静寂に襲われた。

「なんと……」

「おれは見た事ないぜ、天の火なんて。これまでにだって本当にあったかどうか怪しいじゃないか」

「最刈の怠慢じゃないのか?」

「何だと?」

 賑わう空間において、しかし神名火守の長はこの場に誰もいないかのように、精神の統一をはかっているかのように目を伏せたまま。天の火の存在事態が疑わしいというのは、誰もが抱ける疑問の一つだ。何しろ神名火守の当主のみに天の火に関する事象が任されているのだから。すべてを握るのは、当主是川のであるのに彼は補佐役にばかりしゃべらせて語ろうとしない。問題は、そもそもが存在しようとしまいと、天の火そのものが消失した点にある。というのに、一同の口の端に乗るのは原因究明の言葉ではなく責任問題に移り変わり、互いに罪があると押し付けあうまでに至ってしまった。

「陵の方こそ掠めたのではないか?」

「何という(そし)りか!」

冤枉(えんおう)だ」

 神名火守の存在意義は、天の火を守り夢生(いめおい)をあるべき場所に還す事。その二柱のうちのひとつが折れようとしているのだ。いや、もう修復は不可能なところまで来ているのかもしれない。

 騒ぎは止まない。黙ったままの男はほんの僅か。黙っていては事態が悪くなるとでも思っているかのように誰もがさざめいて、これではとても年長者たちの集まりに見えない。下らぬとさえ判じられる、こんなものは早急に終いにしてしまうのが最良だ。兼直はひっそりと唇を開いた。

「如何なされるお心算(つもり)か――是川殿は」

 口論よりも今後の対応、今はそれが必要だった。にわかに口火を切った男を、皆が見据えた。兼直は続ける。

「天の火を守る事は我等神名火守が至上の使命。失われたままでは立ち行かぬ」

 何よりも天の火がどこぞへと流れ、徒人(ただびと)の手に渡ればどうなるか、より良い前途など形作れない。誰もが当主の言葉を待った。神名火守の頂に座す者は、一体どう収拾をつける心積もりか。聞きたくないものなどは存在しないだろう。

 視線が是川にのみ集ったためであろうか、彼はやっと重い瞼を持ち上げた。やつれ、荒んだような兼直の持つ鋭さとは異なる瞳の鋭利さ。叡智の宿る目をしている。確かに是川はひとつの集団をまとめるに相応しい泰然とした空気を手にしていた。年は四十になったばかりだったが、それより年上のうるさ方などに比べればよっぽど是川は落ち着いていた。

「無論、探し出して取り戻す」

 覇王のような力強い声。彼が望めばその通りになると信じられる、力ある言葉だった。そうだ、と場の面々は思い知った。取り戻さねばならないのだ。天の火がなくては彼らは親を失った子も同然。探し出して、取り戻すのだ。

「天の火と、下手人を見つけ出すのだ」

 集団の頂点に相応しい態度で是川は広い(へや)に命令を行き渡らせた。補佐役がひとつ頷くと、交代だというように再び口を開く。そしてまた是川は無口な当主へと戻っていった。

「此度、皆に集まってもらったのは他でもない、天の火探しと下手人捕縛を頼むがゆえだが、よいな、この事は他言無用だ」

 広成の言に、場の半数の神名火守は怪訝になった。他言無用であれば今この場の十人ほどで探し出せというのか。かなり難しい作業になる。

「天の火がなくなった事は伏せておけというのだ」

 是川が口を挟んだ。神名火守の行く末がかかっているというのに、一族皆に伝えないというのはいかにもおかしな事かもしれなかったが、余計な波風を立たせて一族中を混乱に陥れるのは、宗家当主の望むところではなかった。これを危急存亡の(とき)などにせず、起死回生に変えるのが当主是川の役目だ。最悪の事態になど、してはならぬ。他言を禁じるのも、彼の意気込みゆえ。いや、そうするという確固たる意思。

 彼が言うと、広成よりも説得力がある。だのに、彼は必要以上に冗長になったりはしない。だからこそ当主是川の言葉には力があるのだろう。

「ただ堂に何者かが侵入した形跡があるゆえ手配しておる、と」

 それだけの事でも由々しき事態だ。誰もが躍起になってその侵入者を探すだろう。広成はその他に幾つかの文言を述べたが、とどのつまり各々が公にしないままに下手人捕縛に尽力せよというのが主たる目的だった。そして、この場にいる面々だけでは連絡をするようにと、天の火か盗人を見つけ次第当主に知らせるようにと、そういう話だった。

 皆が静かに家に戻り、何の用事だったかと家人に問われたとしても、それぞれに言い訳を考えて口にするだけだった。




   :::::




 一度抜け出しはしたが、まだ外出を禁じられた身のときはは、兄の清人による懇切丁寧な勉学の時間によって疲れた頭を休ませていた。長時間座っていたためにときはの脹脛(ふくらはぎ)は腫れたようにむくんでしまっている。痛いというのではないが、足の違和感にはすっきりしないものがある。この足をほぐしがてら、また浅葱に会いに行きたい。そう願うが、本日のお目付け役は実兄清人だ。木鳥と異なり、彼は目敏くてときはに脱出の機会を与えないだろう。しかしいつこの外出不可能な状態は解かれるのだろうか。同行者ありでもよいので、少しぐらい屋敷の外に出たい。浅葱のところまで行けなくたって、市にだって行きたい。

 無駄と分かっていながら、提案がしたい時ぐらいある。ときはは決意した。

「兄上? 父上のことでお話が……」

 まず清人の姿を探した。強敵である父よりも、まだ比較的ときはには人間らしさを見せてくれる兄ならば、接するのは容易い。大きな声で兄を呼ぶのだが、屋敷を回っても兄は返事もせず姿を見せもしなかった。いないのだろうか。少し前まではときはにものを教えていたというのに。あまりない事だが、眠ってしまったのかもしれない。宮仕えをする役人は日の昇る前から出仕せねばならないのだ、眠気に襲われたとしてもない話ではない。

 となると、今ときはの見張りはすぐに出てこられる状態ではないのだ。ちょっとそこまでというほどに近い浅葱の家ではないが、家の外ぐらいなら出られるだろう。こっそりと少女は笑んだ。女嬬たちに見つからないように、怪しまれないようにと気を配って、そっと門の前まで行く。何故かほんの少しだけ楽しかった。父が確実に不在というのが分かっているからだろうか、誰にも知られないうちに戻れるという自信があるからか。

 悪い事をしている気分になって、でも高揚した気持ちのままでときはは門の外に出た。普段簡単に出入り出来るはずの場所なのに、何故こうも慎重になっているのだろう。自分の行動におかしさを感じつつ、さてどこまで行けるかと首を回す。

 うろうろと、狭い距離を移動する数人の男たちを通り過ぎた。何だろうか、少しは気になるが首を突っ込むほどではない。南下しようとときはは歩を進めるが、予告もなく肩を掴まれた。振り返ってみると、そこには不躾にときはの顔を見下ろす男がいる。何なのだと彼女が声を上げる前に、男は指を指した。

「やっぱり。この娘です、この娘が(あめ)の御堂に入っていくのを見ました。おそらくこの娘が下手人でしょう!」

 下手人。事件の張本人。一体何をもってこの男はときはをその言葉と結びつけるのか。

 目を剥いたときはにとって、男の言葉は異国(とつくに)のそれと変わらない、意味の通らぬものだった。その上、“天の御堂”といえば宗家が管理する立ち入りが厳粛に制限されている場所である。堂の中に何があるか正確には知らないが、当主でさえ滅多に出入りしない場所と聞いている。

「……確か君は、分家の……」

 少女を指差した方の男ではなく、もう一人の男性がつぶやいた。彼はどうやら陵家を知る家の者、神名火守なのだろう。ときはは相手の顔を覚えてはなかったが、どういう事だと問いただそうとする。

「何のこと……?」

「我々のところに来てもらおう」

 男の口調は言い開きを許さぬもので、心当たりがなくとも焦ってしまいそうになる。最初にときはの肩を掴んだ男がそのまま彼女の腕を引いて歩かせる。

「ちょっと、待ってよ」

 男たちは三人居たが、その誰もがときはには注意を払わず目的地へと進んでいる。当惑の中でも、ときはは三人相手では逃れられないと分かってしまい、唇を噛んで足を動かすしかないのだった。

眼目(がんもく)……ある物事の最も重要な点。

冤枉(えんおう)……無実の罪。ぬれぎぬ。

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