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六、迦楼羅面の少年

 闕腋袍(けってきほう)を着たその人物は、面さえとって頭巾(ときん)を被せてしまえば、その辺の役人と変わりないように見えた。大人というにはまだ背の高さが足りないから少年だろうが、それにしてもまだ若いだろう彼に朝服(ちょうふく)が似合いには見えなかった。腰には何故か、太刀や刀子(とうす)の代わりに黒い杖のようなものが吊るされている。

 迦楼羅面には口がなく(くちばし)があしらわれ、耳の先は尖り、頭には鶏冠(とさか)に似たものが生えていた。奥には人間の目があるだろう面のそこには、ぽっかりと黒い穴があいているだけだった。眉が目の近くに寄せられて、面それ自体が他者を睨み据えている。伎楽(ぎがく)は海の外よりもたらされた楽舞(がくぶ)で、声の伴わない劇で仮面を使う。

 こちらからは向こうの顔など見えないというに、ひたすら自分を凝視し続ける相手に、ときはは居心地を悪くする。睨まれている自覚だけではなく、彼は値踏みするかのようにときはに視線を注ぎ続けているのだ。

「は、嘘だろ……、お前……?」

 鳥の嘴からもれ出たのは、少年の声だった。かすかにかすれた声。子どもにしてはやや低い声で、ときはの気分は落ち着かなくなる。面で顔の中身は見えないとはいえ、今この少年はときはの事をつま先から頭のてっぺんまで観察を続けているのが分かる。

 どうしてか、この面の少年がまとう空気は、浮世離れしているように感じる。いってしまえば兼直の方が死人みたいな気を放って見える。だのに、この少年は何か違う。常人と何かが、絶対的に違うのだ。明確な言葉にすらならないのに、ゆるやかに彼女に滑り落ちるのは、警戒心。

「まさか、こんなすぐに……」

 少年の声は自分の言葉に疑問を抱いているかのようだった。距離をつめる迦楼羅面から後退しようとするときはの腕が捕まった。引っ張られた自分の腕を目で追い、面にたどり着くよりも早くときはの口は動いた。が、それを聞こえないかのように少年は自分の意思を放つ。

「来い」

 自分より相手の膂力(りょりょく)の方が勝るので、ときはは言われるままに少年に身を寄せて歩みを速めさせられる。だが彼女の意思でではない。強い反論をこめて少女は自分の足を二本、地面に突き立てた。「放しなさいよ!」と声を大きくする。少年の、僅か鉄紺を帯びる黒髪の後ろ頭、あちこちへはねる短い髪を引っ張ってやりたいときはであった。しかし引っ張られて声を上げたのは彼女の方だ。黙れとでもいうように、相手は一際強くときはの腕を圧迫させる。「痛い!」思わず上げたものは、今まで以上に少年への不満を強く主張したもの。

「うるせえ」

「なんなのよ、あんた! 衛士(えじ)を呼ぶわよ」

 少年は迦楼羅の鼻で笑ったようだ。

「何言ってんだ、お前。(あめ)の火を盗もうとしているくせに」

 ときはは盛大に顔をしかめた。天の火を盗む、あるいは掠め取る、これの意味は神名火守の間では、夢生が人の世を移動する行為を指す。いわれはこうだ。六の道を行き来するという行為は、天の火を掠め取るに等しい危険な行為ゆえに――夢生は“天の火の盗っ人”とも同義。天の火とは神名火守の生まれる原因になった、地上のどこかにあるというそれだ。天の火を奪う行為、あるいはそれに類する行為は脅威でしかない。夢生の存在自体も世の均衡を崩す原因となる。天の火を掠め取る、これが示すは普通、夢生が人の世にいる事を指す。今ではほとんど本来の意味では使われない――天の火などとは誰も見た事がないからだ。管理している宗家の人間だとて、夢生を還す時以外、頻繁に口にはしない。

「……あんた、誰?」

「お前こそ、何なんだ?」

 少年は面の向こうから問いに問いで返す。投げた鞠が思いもよらぬ速さで返ってきたような気分。それすら気に入らなくて、ときははひそめた眉を深くする。

「あんた、なんで空から落ちてきたのよ? なんで神名火守の事知ってるの? それから、あたしの事をなんで知ってるの? それに……そのお面、とりなさいよ」

 腕をつかまれたままのときはだが、反対の自由な手を迦楼羅の面に伸ばした。瞬間、はじまる、攻防。お互い手と手を掴みあって、取っ組み合いの一歩手前だ。通りがかりの男性には子どもの喧嘩かと微笑まれる始末、しかし彼らの表情は逼迫したものだった。

 まだ少年の膂力は大人並みとはいえず、必ずしもときはの不利は歴然とはいえなかった。何度か彼女の爪の先が少年の面を掠る。

「何を騒いでいるのだ!」

 ときはは視線を与えたが少年は全く声が聞こえてないかのように振舞う。現れたのは衛士の二人組で、口をきいた方はまるで自分の顔を見れば万人が道を開けるとでも思っているかのような顔をしている。もう一人は早く家に帰りたいというような眼差し。子どもの喧嘩に最初に口を挟んだのは前者の男だ。目尻の下がったこの男、他者を睥睨するような態度をとっているものの、幾分か迫力に欠けた。

「子どもとはいえ、我ら衛士のいる往来での揉め事はやめてもらおうか!」

 本当、面倒ごとはごめんだよ……隣りの男のつぶやきもかき消すように、たれ目の男はときはたちの元へとずいずいと歩を進める。

「その面は何だ、この桐山古麿(きりやまのこまろ)の目が黒いうちは寧楽の京では怪しい人物など闊歩させぬぞ!」

「……このって言われても」

 名のられても、全く相手の事など分からない。それくらいに名門の生まれではない事が分かる。どうやらこの無闇に尊大そうな態度の男は、自分の名が持つ効果は偉大なものだと思いこんでいるらしい。ときはは自分の気が抜けていきそうになるのがわかる。

「は、この桐山古麿を知らぬとはどこの田舎者だか知らぬがな、そっちの子供など顔を隠すとはよっぽどやましい事があるのだな!」

「あたし、生まれも育ちも寧楽の京なんですけど」

 ときはの対応が気に入らなかったのか、古麿と名のる衛士は頬を引きつらせた。彼にまったく注意を払わない迦楼羅面の正面をねめつけながら、衛士は続ける。

「瑣末な事はどうでもよろしい。小娘、小僧、諍いの種を育てるのはやめるのだな。そして面を外せ」

「自分で自分の事瑣末って言っちゃった」

 古麿の背後に立つ男が余所を向き口元を押さえたのを、古麿は見逃さなかった。「瑣末という言葉はこの古麿自身にはかからぬわ!」などと口論がはじまるうちに、ときははいつの間にかまた腕を引かれて歩かされていた。面の少年は、彼らの注意が余所から自分の元へと戻るのを待つつもりはさらさらないのだ。

「ちょっと!」

 奇妙な二人組のせいで忘れかけていたが、ときははこれまた奇妙な迦楼羅面の少年と喧嘩まがいの事をしていたのだ。そしてその前は、彼に引きつれられていた。一体彼は、ときはをどこに連れていこうというのだろうか? 再びの焦燥感に、手汗がにじむ。

「待てい! いい加減にしろ、大人しく身分を明かせ!」

 少年は、自分に迫る気配になどとうに気づいていた。相手の“やる気”も理解していたため、仕方なしにときはの腕を放す。振り払うように自分の手を放り出され、いささか不満を抱いたときはも、古麿の険しい顔が間近なのを見て慌てて後退した。少年は観念したかのように、古麿に向き直る。

 先に動いたのは古麿だった。体格差がある分、古麿は子どもなどすぐに自分の手中に収められるだろうと信じていた。大仰な迦楼羅面も視界の邪魔になるだろうと。次の瞬間に古麿の背に衝撃が訪れ、胸が詰まった。何をされたのか、反射的に振り返って後に、面の少年が自分の背後に回りこんで蹴り上げたのだと理解した。古麿は本能的に少年から距離を取った。

(この、小僧……!)

 あまりに、素早い。その上に視線の先を読むのに必要な瞳が見えぬため、次にどこに行くのか予測出来ない。認めたくなどはないが、古麿は相手が自分より小さな子どもだというのに簡単には捕らえられない相手だと感づきはじめた。

「ふん、この桐山古麿を本気にさせるとはな」

 言いながら、古麿は内心で冷や汗をかいていた。迦楼羅面がある分、少年の表情すら読めなくて、考えすら分からない。不気味だ、ささやかな恐怖だったが一度抱いてしまったものは消せなかった。

「おっさん、邪魔」

「おっさ……?! おれはまだ二十だ!」

 古麿は自分の顔が実年齢より老けて見える事を気にしていた。振るったのは槍、その勢いは敵の面ごと叩き割って彼を昏倒させるかと思えるほど。ときはは我知らず息をのんだ。

 しかし空を切った古麿の槍、それを支える右腕はいつの間にか少年の腕に巻きつかれるようにして掴まれていた。がん、と頭蓋にほど近い場所で砕けるような音がした。古麿の意識は一度失われかけ、何が起こったのかも分からぬうちに背中から地面に倒れこんだ。半身を起こすが顔を殴られたためか頭が上手く働かない。手の中から失われた槍は、少年が手にして古麿の眼前に突きつけていた。衛士は言葉を失った。

 古麿を牽制し、ひたと視線――迦楼羅の瞳は木彫りで何の感情すら読めないが――を古麿の仲間に与える。

「で、あんたもやんのか」

 古麿と共に現れたもう一人の衛士、田尻八束(たじりやつか)は、まるで人の家に無断で入ってきて排便した野良犬でも見るような目で迦楼羅面の少年を見下ろした。

「……面倒だな、俺、面倒事は嫌いなんだよね」

 はー、と八束は息を吐いた。その辺に転がっている古麿の心配もせずに彼は自分の手の中の槍を見つめた。

「でも、不審人物放っておくともっと面倒になるんだろうな……」

 八束は仕方がないとでも言わんばかりに自身の槍を少年に向けた。ひょいと少年は顎を上げる。来るなら来いといわんばかりの、相手を見下す笑みが見えそうな仕草だった。ときはには、小憎たらしい少年の笑みがあの面の下にはあるのだろうと推測できた。

 今度は八束が槍を構えたままにして動かない、様子を伺うような少年もまた、ざりざりと地をその場で蹴ってはもはや牽制する必要のない古麿に彼の槍を放った。古麿は手のすぐ横に刺さったそれに目を剥くが、自分に刺さらなかった事に安堵した。だが少年は何故槍を放り出したのか。

「得物もなしに何を……」

 少年が自分の腰に手をやったのを、周囲の誰もが見ていた。真っ黒なそれは、棒状であったはずが、少年が手をかざして一気に引き抜くと太刀に変わった。目を疑う光景だった。鞘と思しきものは依然として真っ直ぐな棒のように腰からぶら下がっているというのに、少年が手にしていたのは鞘よりも長く湾曲した太刀だったのだ。その刀身は鞘に倣ってかこれもまた黒檀のように黒く、闇を固めたかのようでありながらその鋭さで今にも光だしそうだった。

 それは異様な光景だった。一見して本当に太刀か分からないそれは、次の瞬間には目が離せなくなるほどの人を惹きつける何かを持っていた。いや、力を発していると言っていいかもしれない。

「あれは……何?」

「あんたはけっこう出来そうだから、さっさと片付けさせてもらう」

 ときはの疑問に答えるものはなく、それどころか少年は不遜にも取れる言葉を吐く。八束はというと、自分の能力を買いかぶられているとも否定しなかった。彼は平素より怠け癖がひどく、仕事をしなくていいのなら自分の能力などないものと見なされる事が好きなのだが、見破られている今はもう何を言っても意味がないのだろう。

 とりあえず様子見だと、先ほどの古麿には本気のほの字も出さなかっただろう相手の力量を見極めようと、八束は右足を踏み出した。

 正直に、何が起こったのか八束は理解出来なかった。確実に空を飛んでいる事だけは分かった。そう長い間の事ではないが、本当に吹っ飛んだ。

 今度こそときはは、大きな口をあんぐりと開けたまま動きを止めてしまった。

「……やっぱり他所じゃ加減が分かんねえな」

 彼が太刀を一振りして、それが八束に届くか届かないか分からないうちに男は弾かれるように放り出されてしまったのだ。少年からかなり離れた場所に転がる八束を見れば、先ほどの光景はまったくの絵空事ではないと、信じられるような気がするのだが、やはりそう簡単には納得出来そうにない。ぽかんと開いた口が動かせないまま、ときははゆっくりと八束から少年に視線を動かしていた。

 ざくざくと少年の歩く音が聞こえてくる。びくり、とときはは身を竦ませた。今更ながらに少年の迦楼羅面が異様に映ってくる。鳥を模したのだから当然なのに、人にあらざる顔が薄ら寒く見えた。まさか自分にまでその武力を振るうつもりではないだろうと思いながらも、身構えてしまう。何度目か、少年の手がときはの腕を捕まえる。

「お嬢さんにから離れなさい」

 割り込んだのは、木鳥の声だった。彼の長身は他者を威圧するには充分で、さすがに少年も迦楼羅面の下で驚いたようだ。木鳥の背後で、彼よりは低い身長であるのに異様なほどの圧迫感を与える兼直がいる方が、ときはには恐ろしかったが。嫌な汗が彼女の背中を流れるのが分かる。彼らの元を逃げ出したのを、見つかってしまったのだ。

「父上……」

 少年は舌打ちをした。ぶつぶつと自身に語りかけるように少年は面の中で物を言った。それを聴き取ろうとするかのようにときはは彼に意識を集中させようとした。が、もうすぐそこにまで木鳥が迫っているのを警戒してか、少年はときはの腕を放す。そして意識を逸らした間に、いなくなってしまった。

「え?」

 確かに消えたのだ。人ごみに紛れたのでもない、少しだけ目をはなした間に、見えなくなってしまった。そんな事があるのだろうか。呆気にとられるのはときはだけではなかったが、とにかく諍いの種をまく人間がいなくなったのは、兼直や木鳥にとって悪い事ではなかった。

 最後まで少年は面を取らずに、素顔を見せる事なく立ち去ってしまった。一体、彼は何だったのだろうか。

「お嬢さん、今の者は……?」

「わからない」

 木鳥、と名だけを呼んで兼直は命じた。それだけで理解出来る木鳥が素晴らしいといえよう。木鳥はときはの腕を引いて歩き出した。当然行く先は陵の家だろう。彼らについていくときはを見るでもなく、地面に転がった古麿は瞬きを繰り返していた。


 結局、ときはは説教を延々とされる事になる。不幸中の幸いはその気になれば父よりも長時間のお説教をする事が出来る清人が居合わせなかった事だろう。

 長い説教にすっかりときはは疲れてしまっていた。それこもれもすべて、あの仮面の少年が悪い。何も語らずに、勝手にときはの腕を引き、どこかへと連れようとした。何の目的があってあんな事をしたのだろうか、そして何故あんなにも突然に姿を消してしまったのだろうか。疑問に思う事はあるものの、それでも少女の怒りは少年が登場した事すべてに遺憾を感じていた。

「今度会ったら、打鞠の杖で殴ってやる」

 ときはがすぐに思いつく武器はそれだった。きっと避けられるだろうがそれでも打鞠の先に頭をぶつけさせてやる。想像の中でそれを実行したら、少しだけ胸のうちが晴れた気分になった。

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