終
花びらをかたどった布が空を舞う。空に放たれる蓮の花びらには、美しい紗や高価な絹地が惜しげもなく使われ、とても綺麗だった。
六年前に始まった大仏造立はこの春、一つの節目を迎えた。巨大な盧舎那仏は一部完成の姿には至っていないものの、その瞼の下に瞳を描く開眼会が行われた。
その壮麗さは過去に例を見ぬ程で、集まった人の数の多さときたら、果てしなかった。盧舎那仏の間近にいる帝や要人たちを始めとし、多くの民草が大仏の姿だけではなく奉納される楽人の音色や舞踊を楽しみに参列している。
「久しぶりだね、もう何年にもなるか」
散華された花吹雪の中姿を現わしたしたのは、懐かしい顔。変わらぬどこか含みのある笑みに、ときはは口元をほころばせた。
「君たちは、相変わらずだね」
相手の視線がときはの傍らに立つ者に向けられていたから、ときはよりも佳耶の方が変わらず、と彼は言いたいのかもしれない。なんとなくそう思った。最後に清人に会ったのは本当に何年も前だから、尋ねたい事はたくさんあった。
「桃緋とは最近どうなの? 育ったところに帰ったって言ってたっけ」
「不思議な事に、父上からの文ならたまに返すみたい」
大仏殿前庭の舞台で雅楽や伎楽などの舞楽が行われており、時折大きな歓声がもれる。ときはたちの居る場所からでは、全体が見えないために一体どんな素晴らしい舞が披露されたのかが分からない。
「そっちは、どうなんだ」
珍しく佳耶の方から問いかけた。清人は少し意外そうになる。
「何事もなく、平穏無事過ぎているさ」
造り物の花の舞い散る中、三人は他愛もない事を話し続けた。神名火守は相変わらず何とか生き延びているとか、清人は宮中の立場の方が重要になってきただとか。清人の両親にも目立った変化はないだとか。折角寧楽の京に戻ってきたのだから、この後は浅葱とさゆきに会いに行く話だとか。
話すうちにときはは、ふいに誰かに見られているような気がして顔を上げる。斜め後ろを振り返っても、誰もときはに注目はしていない。開眼会の人混みの中で、偶然ときはの方角を注視している者がいてもおかしくなかったが、確かに誰かに視線を注がれたような気がしたのだ。
「どうかしたか」
佳耶の声がしても、ときはは顔を周囲に動かすのをやめなかった。
しかし視線の主は見つけられなくて、ときはは顔を元に戻す。清人までもがときはの様子を伺っている。
「ううん、なんでもない」
なんとなく、桃緋のような気がしたが――きっと、ただの願望だろう。
十代のときはが関わっていた人々とは、いつしか交流が減っていった。こうして何か催し物でもなければ会わなくなる程に。
ただときはが望めば、再び顔を合わせる事は出来る。
もうそろそろ、雅楽寮の演奏が始まる。海を遠く離れた大陸からやって来た楽器も使われており、不思議な音色にときはは意識を奪われていた。
遠くから聞こえる楽の音に瞼を伏せるときはを眺める瞳がただ二つ。
風が花びらを巻き上げ、空高くに運んでいた。
天平勝宝四年、開眼会はまだ始まったばかり――。