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三十六、清人

 少女の握っていた長い槍が地に落ち、弾けるように砕け散り、霧散した。少女は虚ろな瞳をして、地面を眺めたまま動かない。

 清人の目には、その少女がときはにも見え、全く別の誰かにも見えていた。陽炎(かげろう)のように少女の姿が揺れると、男の顔になったりときはの顔になったりするのだ。まるで風に吹かれる度に裏地が別の色をした布をはためかせているかのごとく。

 性格もあろうが、清人は若いながらに昼は宮仕え、生家は特殊な稼業というだけに自分を狼狽させるものは多くないだろうと思っていた。

 だがこうも何の説明もなしに次々と話を進められたのでは、さすがの清人も思考をまとめられない。あの、異様な程美しい顔の明らかに人とは異なる気配をまとう男性は何者か。彼ほどまでとはいかぬが、何とはなしに只人とは違う雰囲気のある壮年の男も、清人より年下の少年も、ときはの顔をした誰かを一心に見つめている。

 あの少年と出会うまで、清人は夢生の標結(しめゆい)をしていた。運悪く夢生に出くわした人々は悲鳴を上げて逃げて行ったというのに、一人の少年が向かってくるのが気にかかった。天が光ったあの後、少年が駆けて行く方角に清人も駆けつけたのは、妙な胸騒ぎがしたからだ。理屈では説明出来ないような何かが起こっている。

 その先にあったものは、妹のような顔をした誰かが男たちに対峙して剣呑な空気を作り出しているという事。一人が少女を殺すと言い、一人がそれを制止しようとしているようだが、あれは本当にときはなのだろうか。

 当然――いま邸に居る“ときはと同じ顔をした娘”はときはではないと、清人は気づいている。故に目前の少女がときはであると言えそうなのだが、姿形はともかく表情も放つ気も異質過ぎる。

「おい、あんたあいつの兄貴だろ、何とか言ってやれよ」

 ヤマが口を挟んで来ないとはいえ、ときはらしい顔も見せない。佳耶は焦れたように清人を振り返った。ときはを一人の人間と知る清人(あに)の言葉があれば状況は変わるのではないか。佳耶は思ったのだ。

 突然ときはが顔を上げ、清人を向く。狼狽えたような、憎むような、大切な何かを失ったような悲愴な顔をしていた。

「そんなやつ、本当の兄じゃない……!」

 ひくりと背を一度震わせると、胸が痛むのかときはは前傾姿勢になる。

 今、あの娘は何と言ったのか。清人は眉を顰める。まさか自分の出生の秘密を知ってしまったとでも? 絶対に知られぬようにひた隠しにしてきた訳ではないが、敢えて口にしなかったのは幼いうちは真実を受け入れられないだろうと踏んでいたから。

 目で訴えるような清人に、佳耶が少し視線を逸らして応じる。

「……あいつがヤマに体を乗っ取られたきっかけが、養子って知った事にあるんだ」

 手短に説明をしても清人に理解出来るかどうか。そう思っているだろう佳耶の困惑具合が清人には分かった。

 考えれば自分が養子だと知って衝撃を受けるのはときは以外あり得ないだろう。清人にはどういう理屈かは分からぬが、ときはの中にはその他のものが入り込んでしまったらしい。

 ふいに背筋をぴんと伸ばして、ヤマは唇を舐めた。

「だ、そうだが?」

 再びヤマの顔をしたときはに、佳耶は苦虫を噛む。一時、佳耶の呼びかけでときはが戻った気がしたのに、また振り出しだ。自分と家族が血の繋がりがないと知った事で狼狽しヤマに体を奪われたときはだ、兄という存在はかえって逆効果なのか。

 早く次の手を考えないと、ときはが少し顔を見せた事で様子見に徹している閻魔王が、また彼女ごとヤマを滅すと言い出してしまう。しかし他にどうしたらいいかなんて佳耶には分からない。

 家族の声を諦めた佳耶とは反対に、清人は口を開いた――。

「君がはじめてうちに来た時の事を、覚えているよ」




 一番はじめにあの子供を見た時の事は覚えている。誰かに似ていると感じたがそれが誰かまでは思いつかなかった。それがだんだんと“誰か”に似てくるようになるまでは、分からないままだった。

『お前の妹だ』

 父がそんな事を言い出したので、ついに脳みそを亡き伴侶のところへやってしまったのかと感じたほどだ。どこかからつれてきた子を奉公人として引き取るだけならまだしも、自分の養子にしようというのか。

『お前の妹だ、面倒を見よ』

 妹がいたことはない、正確にいえば、亡き母が生きていれば妹か弟の顔が見られたかもしれないが、彼女はいない。この子供は清人とは血のつながりなどなく、妹だと思えるはずがなかった。どこまで本気か分からない父の言葉は、しかし翌日よりの彼の対処の具合で本気なのだと理解する事になる。

『妹といわれても、兄弟がいたことがないのでどう接したらいいか分かりません』

 父に抗議をしに行ったら、彼は事も無げに言ってくれた。

『家族にするように対処すればよい。あれを妹と思えば対応など限られてくるだろう』

 家族というと兼直ぐらいしかいないのだが、父との距離は既に広がっていた。そしてこの頃にはもう家族というあり方の一般的な像が、自分の家には当てはまらないのだと清人は気がつきかけていた。父にするように接したら、妹だという子供には大した事をしないだろう。

 どんどんと面倒になってきたため考えるのを放棄して、清人は相手の出方を見てから考えようと問題を先のばしにした。あの子供がどう出るかが、問題だ。子供がいるはずの部屋に行くと、そこには誰もいなかった。まだ自分も子供とはいえ、陵家の次期当主としての自覚を幼い頃より促されてきた清人は、幼子がじっとしていられない事を忘れかけていた。

『……あの子どもは』

『それが、私どもも探しているのですが……目をはなしたらあっという間にいなくなってしまいまして』

 使用人に声をかけるとそんな返事がかえってきた。

 清人はもう十歳目前の年であるが、ほかの子供よりも大人びていた。そのために幼子のする行為が理解できないでいた。どうしてどこかへ行ってしまうのか、言いつけられたことも出来ないのか。そこまで幼いのか。相手はまだ三歳だというのに、清人は半ばやる気を失いながらもその子を捜した。

 それでも背丈の低い子供の目線が分かるので、清人はしばらくの後に子供を見つけた。

『何してるの』

 家の外で見つけた子供は高い塀によじのぼろうと無駄な努力をしていた。声をかけられてびくりと身を縮めたが、そのまま聞こえなかったかのように小さな踏み台を作っては塀にすがりつく。

『何してるのって聞いてる。耳がないのか』

『かえる』

『え?』

『かえる。うちにかえる』

 この子供は、自分の帰る家があるのだ。それを、どういう事情か知らないが、兼直が無理に引き取ったのだろう。我が親ながら、意味のわからない事をする。この子をいっそ帰してやった方が、世のためなのではないか。

『……菓子でもやるよ』

 だが、父がそれを許さないのだろう。面倒ではあるが足止めくらいは清人がするべきかもしれない。また、意外にも行動的な子供にいささかの興味がわいていた。

『かし?』

 子供は振り向いた。ものをもらえるからというのはいかにも現金だが子供らしい。しかし、その瞳に何をもらえるのか分かっている様子はない。まだ小さな瞳、小さな鼻に小さな口。ちんまりとした全身。この子供の何が父の興味を惹いたのだろう。この矮小な存在が。

『ほしい? おいで』

 子供は訳が分かっていなさそうなのに、手招きをするとためらいながらも歩いてきた。清人の半分しかない身長は、蹴飛ばしたらそのまま転がってしまうだろう。さっきまで帰るなどと主張していたわりには、すぐに意見を翻す、その子供の浅はかさがわずか清人の苛立ちをかった。同時に、面白くもあった。この子供は疑う事を知らないのだろう。

 先導するように歩くと、子供はちまちまとした動きで後についてきた。このまま、どこへ行くかも告げていないのに、清人が大極殿に入ったとしてもついてくるのだろう。ばかな子供だな。幼さに、笑えた。

 けっきょく、自分の後をひな鳥みたいについてくる様がおかしかったので、清人は(くりや)に赴き、提案した通りに菓子をくれてやる事にした。()があったからそれを子供の手に落とす。きょとんとした顔は、蘇が何かも知らないと雄弁に語っていた。

『食べ物。食べていいよ』

 子供は食べるのが好きだ。例に漏れずこの子供も、食べる事が好きのようですぐに顔を明るくした。

『おいしい!』

 目をきらきらさせて、顔を上げたので、子供が蘇に満足している事が分かった。「そうよかったね」清人はどうでもよさそうに返事した。

『うん、ありがとう』

 意外にもこの子供はきちんとしつけをされたようだ。お礼がいえるとは思ってもみなかった。

 くしゃり、伸ばした手が子供の髪の毛を混ぜた。子供が怪訝そうに見上げてくる。何だ、その目は。清人は、相手が礼を言えた事にそれでいい、というつもりでいたのに、何故こうしてしまったのだろう。ただ、幼子の髪はやわらかく、手触りがよかった。ぐりぐりと撫でると、子供はくすぐったそうに笑った。


 清人は、餌付けをした気分だった。子供は、自分の後をついてくるようになった。年の近いものもいなく、拾ってきた父親(ほんにん)が対応をしないのであれば、清人くらいしか、ときはの視界に入るものはいないのだろうから、それは自然な流れかもしれなかったが。自分が三歩歩けば、あちらも小さな三歩を踏み出す。目前の少年が歩を休めると、あちらも倣う。奇妙な気分だった。このまま自分についてきてほしいような、ほしくないような。じっと子供を見下ろすと、ふいと視線をそらすくせに、すぐにそろりとこちらを向いたりする。

 一定の距離を保ったまま、子供はついてきた。

 このままであれば、清人の興味も他所へ移っていただろうが、二日もした頃、子供は早朝より大声をあげた。うるさいほどの、泣き喚く声は、邸宅には不似合いだった。

『何事だ』

 さすがに兼直も篭りがちの自室から出てきた。想像は出来たが、子供が真の我が家にいないのであれば、最初からこうなってもおかしくない。

『父上の連れてきた子どもが泣いてるんですよ』

『ならば“兄”のお前が何とかせよ』

 “父”のあなたは何もしなくていいのですか、などとくだらぬ問いかけは空気に触れず清人の脳髄の中で消え去った。偽者の家族に、ときはが泣くのも訳ない事。だが、清人と兼直とて――とても家族とはいえないではないか。今更何を求めるのか。それは清人自身の事ではなく、兼直の望み。あんたが何を与えてくれたよ、父上。

 ときはのためにあてがった部屋に行くと、うるさい声は大きくなった。母やら父やらと呼んでいる。本物の家族が恋しいのだ。どうなってるかは知らないが、彼女の訴えは当然のもの。

 それにしてもうるさい音だ。清人は騒音が嫌いであり、この騒ぎの元凶には一刻も早く立ち去ってもらいたいという思いが強くなった。

『ねえ』

 ぎゃあぎゃあわめく声で清人の声はかき消される。

『おい、うるさい』

 清人の存在にやっと気づいたときはは、それでも尚、大きな声を出すのを止めない。目から鼻から口から涙やら何か分からない水分が出ている子供。

『おい、お前。家に帰してやるよ』

 びゃあびゃあ泣いて、人の話を聞いていない子のために苛立ちを抑えながらも、清人はもう一度だけ声を荒げた。

『お前の元いた家に帰してやるって言ってるんだよ!』

 声を大きくした事で、ときははそれ自体に驚いた。ひくひく息をつまらせながら、やっと清人の存在に気が付いたかのように視線を向ける。こちらを見ていても、いなくても、苛立つ子供だ。清人はその辺にあった布で子供の小汚い顔を拭った。見ているこちらが気分が悪い。

『父上に見つからないように行くよ』

 何を言われているのか分かっていない顔で、子供は鼻をすすった。それを勝手に了承と受け取って、清人はときはの手を引いた。


 お腹がすいたなどくだらない事をほざくので、子供の左手には唐菓子を握らせた。右手には清人の手だ。平城京をあちこち歩く事はあるとはいえ、清人とてもこの京をすべて知るわけではない。その上、手がかりの子供は記憶力がよさそうには見えない。だが、この子供の家に行くのだ、本人に聞かないで誰に聞く。

 なんとかときはの断片的な言葉を頼りに歩き続けると、ひどく貧しいものの町にたどり着いた。普通ならばここには小さな子供を連れてきたいと思わないだろう。現に清人自身、身なりのよいために不躾な視線をいただいている。

『あ、ここだー! ここが東野おじさんの家で、もう少しでときの家!』

 清人は顔をしかめた。子供を一人残すのはよろしくなさそうだが、それにしても少しだけ確認したい事があった。

 どうして、兼直は子供を両親から引き離せたのか。考えられる可能性は三つある。ひとつは、逆らうも叶わず無理やりに引き離した場合。次は、娘を渡すのと引き換えに何かを与えた場合。最後のひとつは――

 子供が見えなくなったので、清人は首を回した。そう苦労もなくすぐに少女を見つけると、一軒の粗末な家屋の中に座っていた。

 室内の一点を見つめる瞳は幼い子どもにしては一心で、声をかけるのも躊躇われた。

 両親はもういないのではないか。なんて言えなかった。推測でしかないし、子供に聞くにはあまりにもひどい言葉だと思ったから。それでも、今日一日ここにいれば現実はわかってしまう。彼女の両親が戻ってくるかどうかは。


 夕方になってしまった。小さな子供の両親は顔を見せない。今度こそ諦めて、清人は立ち上がった。子供がまだ動き出そうとしないのを見て、一人家を出る。

 近所に住む人間に聞けば話は早かった。

『……ああ、ときはちゃんね……かわいそうに、両親を亡くしてねえ』

 やっぱりか。

 ため息をついて、清人はときはのいる家の前で立ち止まった。あの子は知っているのだろうか。そうでないのなら、自分が教えるべきなのだろうか。(いや)な仕事だ。

 どうするかは成り行きで決めようと、清人は家屋の中に足を進めた。

 子供は暗闇の中で眠っていた。待っているのが疲れたのだろう。

 ああめんどくさい。

 何で自分がこんな目に。清人は顔をしかめた。


 自分だとても子供の癖に、清人は小さな子供を押しつけられてうんざりしていた。しかし彼女はこの世にたった一人きりで、自分を引き取ったはずの(かねなお)ですら彼女を顧みない。清人が放っておいたらどうなるんだ。他に人がいなかったから、清人はそう思う事にした。

 自分がときはの面倒を見るのは、誰もしないから。自分がときはに泣くなと躾けるのは、そうするしかなかったから。自分がときはのために神名火守見習いをさせてはどうかと父に進言したのは、そうでもしないとまだ何も知らぬ子供は何も出来ないから。清人の後をしつこくついて来る子供に、ほだされた訳じゃない――。




「おれはどうにも天邪鬼のようだから、友人に“お前は妹には甘いな”と言われたら、今度は父に対するように接してしまったけど」

 甘やかすのではなく厳しくした方が今後の妹のためにもなると思った事もある。

 最近のときはの様子がおかしいと兼直は気づいていないが、清人はすぐに分かった。天の火を盗んだ下手人と見なされたというのに外を出歩いていた妹を一先ず邸に連れて行ったまではよかったが、明るい処でよく見れば別人だったなんてお笑いだ。本人が戻ってくるまでの代わりになればいいと思って、清人は彼女をときはとして受け入れた。だがときはとほぼ同じ顔をした娘がときは本人でないのは分かっていた。

 本物が帰って来ない事は非常に気がかりだったが、世間的にはときはは陵の邸に居た。すぐに人をやってときはの捜索を始めたが芳しい報告はなかった。清人は家に居る少女が何者なのかを調べる事にした。何かがおかしいと思った。それで見つけ出したのは、鄙にある村に移り住んだ陵家のかつての召し使い。此方も人を使って探させたが、残念ながらその者は死んでいた。しかしその者は陵家のしづという女性に仕えていて、ある日突然乳飲み子を抱えて村に来たという。清人の中で何かが繋がった。

 清人の本当の母、死んだ陵しづは生んだ子を召し使いに託し鄙に住まわせたのだ。

 陵兼直としづのもう一人の子供が、今邸に居る娘――桃緋という訳だ。

 普通に考えれば、赤の他人のときはではなく本当の兄弟、血の繋がった妹が帰ってきた事は喜ばしい事なのかもしれない。

 しかし清人にはあの娘がただのときはの空似に思えて仕方がなかった。

 真実を知って、真の妹を目の当たりにした後でも、清人は。

「お前を妹のように思っていたんだよ、ときは」

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