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三十五、閻魔とヤマ

 ヤマの眼前に、自分と同じ顔をした青白いものが迫ってきた。否、彼の持つ剣の切っ先が。空を蹴って避けると、まるでそれを読んでいたかのように閻魔はヤマから離れず追いついた。金色の瞳が何も移さずヤマを捉え、鋭利な刃物を差し込む。簡単にそれを受け止めるつもりは、ヤマにはない。身を沈めるとそのまま地上へと高度を下げる。

 地上へ近づいたからだろうか。閻魔はすぐにはヤマを追わなかった。それが刹那の迷いだとしても、ヤマが見逃す事はなかった。背を反らすと、左手の槍を閻魔めがけて投擲した。直線に伸びた槍は、距離にしても時間にしてもあっという間に閻魔に届くはずだった。閻魔はそれを細い針でも叩き落とすように払うと、ヤマの槍は弾けて消えた。

 一時的ではあるが得物をなくしたヤマを追おうとした瞬間、閻魔の全身に影が差した。首を上げて見上げる間もなく、巨大な炎の塊が閻魔を丸ごと飲み込んだ。ヤマは、自らの手で生み出した炎の塊を握りつぶすかのように左手の拳を強く握ったが、抗し難い力によって阻まれていると知った。ヤマの額のしわが、より一層深まる。

 突然、炎の中から細長いものが飛んでくる。それを視認するよりも早く、ヤマは避けるべしと身を翻した。ヤマの気が削がれたその一瞬をついて、炎の塊が弾けて閻魔が飛び出した。閻魔王は傷一つない姿で、火傷一つなく衣服も煤けて黒くなっていない。感情を消し去った顔を少しも変えず、閻魔は右手を体の前に差し出した。暗雲から降りてきたのは、龍のように細長い体をした雷だった。まるで意思を持っているかのように、その雷光はヤマへとまっすぐ向かって来る。一瞬で間合いをつめると、吠えるように雷は光を放ち、槍を手にしたヤマの体を通り過ぎ、かと思うと細長い体で円を描いた。雷の体を切り裂くヤマだが、触手のような龍の尾はそれより早くヤマの首に伸びていた。全身を龍に絡め取られ、身動きを封じられてしまう。

 ヤマは顔を歪めて舌を打つ。力を蝕む雷龍(らいりゅう)に太刀打ち出来ない訳ではないが、これを操る根源を叩いた方が早い。もう間近まで閻魔が剣を手に迫ってきていたが、構わずに自分も龍を作り出す。それは先程生み出したような、炎の龍だった。

 しかしヤマの炎の到達よりも閻魔の刃の方が早く鋭く訪れた。正面から受け取る手はない。ヤマは右手で顔面を庇う。ヤマと閻魔の剣の間にはわずかな空間が生まれていた。空気の盾のようなものでもって、ヤマは寸でのところで閻魔王の剣を受け止めていた。

 閻魔は眉を細めた。自分とかつての自分が相手では、互角になるのも無理はないと分かっていても、こうも互いに手傷を負わせられないとは。そう思っているのが、ヤマには分かる。彼も全く同じ事を考えていたからだ。

「背中ががら空きだ」

 傲岸に口角を上げるヤマが示唆する、既に背後に迫る炎龍(えんりゅう)など、閻魔にとっては敵ではなかった。(あぎと)を大きく広げたヤマの龍は、しかしわき腹を雷光の龍に噛みつかれて、鋭い牙に閻魔を引っ掛ける事が出来なくなってしまった。

 後顧の憂いなど何一つない。どころか、眼前にしているヤマですら鼠一匹よりも価値のないものだと見なしているような閻魔の瞳はひどく冷徹だった。黒い雲り空では朱色と月白(げっぱく)の龍が舞うように戦っていた。その度に、地上に火の粉と雷光が落ちる。

 力の拮抗していたヤマの眼前から、閻魔は剣を離す。この瞬間を、ヤマは待っていた。左手から伸ばしたのは、黒く長い縄だった。閻魔が予備動作に行動を移すその時こそが、ヤマの反撃の好機だった。縄を鞭のようにしならせ、閻魔の右手を絡め取る。その隙にヤマは自分に巻き付く雷光から抜け出した。反撃には応じないとでもいうかのように、閻魔は腕を振り払うだけでヤマの黒い鞭をぶつ切りにしてしまう。

「無意味です」

 雷龍の呪縛から抜け出したヤマは、距離をとろうとしていた我が背に迫る、巨大な雷の矢の気配を察っした。黒い縄で防ぐには心許なく、槍を召喚するには時間がかかりすぎた。なんとか鞭で受け流そうとするものの、それは叶わず大きく雷の矢に弾かれる。方向を逸らして巨大な矢は空に飛び続けた。たどり着いた先にはヤマの炎龍の腹があり、風穴を開けて炎は空中に霧散してしまった。邪魔者のいなくなった雷龍は、一目散にヤマを目がけて空を飛ぶ。ヤマは牙を剥いた雷光を、生み出した暗黒色の槍でもって切り裂く。

 その隙に、閻魔王はもう次の攻撃の支度を終えていた。右手の剣を高く掲げたその先に、あまりに膨大な量の力が集まり、青白く発光していた。あれを放たれたら、ヤマはひとたまりもないだろう。もちろんそのまま受け取るような愚かな真似はしない。

 もう遅いと分かっていても、閻魔の生み出した質量と同じ量の力を集めて――放つ。

 その時、ほとんど同等に近しい量の(エネルギー)が引き合うように端から中心へと飛び、衝突した。




 遥か上空で爆発が起こった。

 ひとところに集められ凝縮された力が二つぶつかり合い、寧楽の京の上空で四散した。巨大な力の残滓を四方に解放しながら。その影響で強風が地上に叩きつけるように落ちて、小石ほどの小さなものが人々の上に落下した。それは触れるとひどく熱く火傷を負ったかと思うほどなのだが、飛んできたものはどこにもなく、火傷もしていなかった。

 ほんのしばし、寧楽の上空には静寂に似たものが訪れた。暗雲と、落ちてこない雷を思えば普段どおりの曇り空かのように。

 服の端をいくらか焦がしたが無傷の閻魔は、爆発の収まった空から辺りを睥睨していた。自分と同じ程の高さに居るだろうはずの相手を探す。が、意識を研ぎ澄ましてみるとヤマはもう空には居ないのだと知った。見下ろす先は、碁盤の目の平城京。寧楽の人々が住まう中心地だ。ヤマは地上に降りたのか、衝撃で落ちたのかは判然としないが、地上に居るのだ。

 閻魔は見下ろすその先にあるものに、いささか顔をしかめた。仮にも冥府の王である彼が、人の歩く高さまで降りて力を放出するわけにはいかない。相手はまさか、それを狙ったのだろうか。それどころか、ヤマは人道を憎んでさえいなかったか。京が危ない。閻魔は、地上へと降り立つ事に決めた。

 “あれ”を、早く始末しなければ。

 緩やかに下降を始めた閻魔王の顔は、他者を憎む人の顔だった。




 上空を仰いで、これまでかろうじて視認出来る場所に居たはずの影の不在を告げる佳耶。先ほどまで鳴り止まなかった雷鳴も止み、雷光すら見えない。

 戦いは、終わったのだろうか。そう思えるほどに空は静かだった。

「閻魔王様……」

 独自の方法で人道にやって来た征崖は、目を凝らして自分の主の姿を探そうとした。だがどうにも既に彼らは上空には居ないように思える。巨大な力の気配を空の上には感じないのだ。今はあの二つの力がなりを潜め互いの様子を伺っているかのようだ。彼らが何処に居るのか、何方(どちら)の居場所も分からずに、征崖は額に深くしわを刻む。

「貴方には冥府の留守を頼んだつもりでしたが」

 その声は、神にも等しいものだった。はっとなって征崖は背筋を伸ばす。其処には征崖のよく見慣れた閻魔王の顔があった。浮遊していた体を地上におろし、とんと足を着ける。

 人間離れして見える程美麗な顔立ち、白銀にさえ見える整った髪。閻魔の姿は僅かに汚れた衣服以外、冥府に泰然と座っていた時と少しも変わらない。違うといえば、その怜悧な瞳に暗い影を落としているという事だろうか。その眼差しに見つめられれば、征崖ですら金縛りにあったように身動きが取れなくなりそうだ。絶望の淵に立たされているのに、安堵できるような真綿のやわらかさ。じわりじわりと首を絞められているのに気がつけない。征崖は久方ぶりにこの閻魔王の事を恐ろしいと感じた。これは、人の形をした、全く異なるなにかなのだ。喉元を掴まれ、屠られ、四肢をちぎられても少しも気がつけないに違いない――。

 ふいに閻魔は顎を少し持ち上げた。

「こうしてはいられません。貴方は人道への被害を少しでも減らすよう努力をしてください」

 周囲の事を考える余裕はまだあるようだ。不躾ながらも征崖はそんな事を思っていた。あんな風に一目散にヤマを追った閻魔王の姿を見た後では、周りが見えなくなっていると感じてもおかしくはないはずだ。今にも閻魔は何処かに潜伏しているヤマを探しに飛び立ちそうだった。征崖はせめて何かを言おうと口を開く。

「ま、待ってください!」

 自分の跡継ぎと目をかける少年の声に、征崖は途方に暮れそうになった。どうして佳耶が人道に――。六道全てへ向かう門は残らず閉じきったはずだというのに。

「佳耶……」

 振り返った先に居る佳耶は一人ではなかった。ときはの周辺を調べた時に顔と名だけを知った陵清人もついて来ているではないか。もっとも彼は彼で自分の目的があってそうしたのだろうが。この場に一番不似合いなのは冥府と何の関わりもない清人だ。平静そうな顔をしてはいるが場の状況を把握しようと眼球が動いているのが分かる。人道にて神名火守をしているという事を考えれば全くの無関係ではないが、ともかく。

「どうやって人道(ここ)に」

 後ろめたそうに顔を逸らした佳耶に構っている暇はなかった。突然閻魔が目を見開いた。彼が目を細める事や眉宇を寄せる事があってもそんな風に驚きを露わにする事など征崖は見た事がなかった。閻魔に遅れて巨大な気配に対する本能が働く。ぞわりと浮き立つ総毛。征崖が見たものは、佳耶の背後に立つ――ヤマ。少年の背に槍が突き立てられ、あと少しでその服と皮膚を突き刺してしまえる。清人が驚きと苦悶を含んだ表情をしていた。

「油断したな、閻魔」

 声も放つ気もヤマそのものだったのだが、今の姿は陵ときはそのもの。黒檀の髪に少し大きな瞳の少女は、空虚に嘲笑った。ヤマはときはの姿をして、地上に紛れ込んでいたのだ。

「いくらお前でも無辜の民を死なせるような事は出来ないだろ?」

 ときはの顔をしたヤマは佳耶を建てにして閻魔の動きを封じるつもりだ。閻魔王の眉間が小刻みに震える。顔を顰めたいのを全力で抑えているのだろう。

「――その槍を下ろしなさい、ヤマ」

「なんて、こんな事しなくとも盾はもう一つあるがな。この身の肉が」

 少女は自分の胸に手を当てわらった。気味の悪い笑みだった。ただ口角を上げ歯の色を見せ、目を弓なりにして眉を八の字にしただけでこうもおぞましくなるものかと不思議になるくらいに。

「……貴様」

 愉悦に歪んだヤマに反して、閻魔は徐々に自身を抑えられなくなり、顔の中心にしわが集まっていく。

「さあどうする? どっちを取ってもいいんだぞ」

 ヤマの声で、くつくつと笑われても、閻魔は反論を口にする事は出来なかった。

「一体、何が……」

 こらえ切れずこぼしたような清人のつぶやきも、今は誰の耳にも入らない。

 空はまだ厚い雲に覆われたままだった。だというのに、閻魔王が黙り込んだだけで世界は静かになった気がする。

 閻魔が薄い唇を開いた。

「致し方ありませんね」

 硬い声だった。

「余計な犠牲を増やす前に、その肉ごとあなたを葬り去ってあげます」

 銀の瞳が、(あやま)たずときはの顔をしたヤマを貫く。ぴくりとときはの眉が動いた。

 閻魔王はときはどころか佳耶を人質にとられ、最後の手段に出ると言ったのだ。いわく、ときはの体を乗っ取ったヤマを滅ぼすためにときはと共に滅すと。

「待てよ!」

 声を荒らげたのは佳耶だ。既にヤマは佳耶という盾に興味を失った。ヤマの槍の切っ先は佳耶から逸れ、地面に近くなっている。

「どういうことだよ、あのヤマってやつ殺すためならあいつも死んでもいいってのかよ?!」

 少年の激昂に、澄ました顔で閻魔は返す。

「あれを放っておけば今以上の災難が人道に降りかかります。上空(うえ)で私が肉体ごと殺めてしまわなかったのが間違いでした」

「ふざけんなッ!」

 怒号は間髪入れずに飛ばされた。

「あいつはヤマじゃねえ、陵ときはだよッ!」

 平素とは打って変わった表情をする少女の顔を指さし、佳耶は唾を飛ばす。

 佳耶にはこの場で自分以外の誰もときはを庇おうとしない事に憤っていた。そして他ならぬときは自身にも。勝手に他者に主導権を握られ、勝手に顔を奪われ、勝手に自身の生死を他者にゆだねている、陵ときはに対して強い怒りを抱いた。

 そんな程度だったのか。ときはの意思は。あの時佳耶が、枯茶(からちゃ)の瞳に見たものは。新しい可能性に溢れ、その全てを味わって楽しんで知り尽くしてやると意気込んだ、生命力に満ち満ちた少女の力だった。大きな力の差があるとはいえ、それを誰かに叩き落とされていいのか。

「何度言わせるんだ、寝ぼけてんじゃねえよ、ときはッ!!」

 目を覚ませ。ヤマにではなく、その中でまどろんでいるはずの少女に激昂した。

 どくん、ヤマの体が大きく脈打つ。否、ときはの心臓が動いた。

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