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三十、急転

 体の奥で、何かが鳴動した。

「どういうことなの、ねえ」

 言葉を繰り返しても意味はない。分かっていながら口が勝手に動いた。

「あたしが、陵の子供じゃないって、言ったの……?」

 確かに彼らはときはの聞いている間は主語を口にしなかった。だが藤という継母を持つのも清人という兄を持つのもときはでしかない。

 もっとも、彼らの言葉が真実ならばときはには兄など持っていなかった事になる――。

 マガイモノは、あたしだった。

 佳耶も征崖も反論しない。その分かえって雄弁に映った。

 ときはは征崖の事はあまり知らない。だが佳耶は違う。自分でも先程、信用していると思った。その佳耶の言う言葉と、嘘を好かない彼の慌てた態度が何よりの証拠だった。

 彼らはときはが血の繋がりのない相手と暮らしていたと語った。

「ときはくん、落ち着いて聞いてほしいんだ」

 道理で、父だったはずの兼直はときはにはひどく冷たい――夢生に怪我をさせられた時も容赦がなかった。自分の、血を分けた子供ではないから。

 道理で、継母の藤はときはに興味を持たなかった訳だ。自分の夫となった人の子ですらない、自身となんら関係のない相手だったから。

 道理で、清人はときはに兄として親しみをもって接してはくれなかった。最初から、自分の妹などではないと知っていたから。

 全部、ときはだけが知らなかった事。

 信じられない、信じたくないが、家族のよそよそしさを思えば納得がいく事。

 何処かで聞いた声が、囁く。

 あたしの手に押し付けられていたもののすべてが、みんな、まがい物だったと知った。

 聞き覚えのあるそれは、少女の声をしていた。

 その声が、いつか聞いた声と重なる。

『邪魔よ。わたしたちの間にある因縁を知らずに生意気な口を利かないで』

 一瞬ときはの中で何かが繋がりかけたが、それすらどうだってよくなる。

 どっと溢れるのは、泥のような徒労。

 とくとくと、脈動するような熱が体の奥に溜まる。

 なんだ。最初っから、人道に居場所なんてなかったんじゃない。

 今更戻っても、彼らにはときはは必要ない。自分たちの家族じゃないから。

 だったら帰る必要なんてない。最初から望まれていなかった。ときはは、あの場所にはもう戻れない――。

 誰かの呼ぶ声が聞こえる。でも今はどうでもいい。

 自分の生きてきた十数年間が否定された気がする。無駄だったようにすら思える。

 あれだけ長い間生きてきたと思ったのに、こんなにも簡単にひっくり返される。お前の生は無意味だと言われた気がした。

 どういう気持ちで兼直は血の繋がらぬ娘を見ていたのだろう。清人は。藤は。正統な娘ではないときはがどうして稼業である神名火守の見習いをさせられたのだろうか。それとも、最初から見習いの身分だけを体験させて、後は別な理由を付けて他所へやるつもりだったかもしれぬ。あの日、天の火を盗んだと見なされたのも、ときはが本当の神名火守の、陵の娘ではなかったから。そうなのだ。浅葱も、それを知ってときはに嘘をついたのだ。ときはが本当の貴族の娘ではないから――。

 ときはを取り巻く(しがらみ)の全てが、作り物のように思えた。作り物の身分を与えられていたのは自分の方だというのに。

 何もかもが嘘のように思えて、ときはは全てを否定したくなる。

 一番否定したいのは、自分が知らずのうちに拠り所にしていた場所が消えた事――。

 ときははもう陵の姓を名乗れない。

 物心ついた頃から陵家の人間として育ち、それを自覚のないままに自分を形作る一部としていた。一部どころか、もっと大きなものかもしれない。

 半身を失ったような感覚。

 あってはならない。

 みんな、まがい物だったと知った。

 何を思えばいい?

 どう感じればいい?

 どんな風に自分を嘲ったらいい?

――だめだ。これ以上考えたら

 これ以上何を臆するのか?

 何を隠そうというのか?

 何があるというのか?

 全ての過失が、自分にあるように思えてくる。自身を否定し続けるのは疲れる。

 だから――

 あたしを取り巻くすべてが、消えてしまえばいい。


 誰かが、口を三日月に曲げて笑った。


 その通りだ、お前の目に見えるものは全て、消してしまわなければならない。

 そのためにはほら此方へおいで。

 望むものをあげよう。


 呼ぶ声が、聞こえる。

 幾度も聞いた事のある声だ。

 体の奥底に眠るような熱い何かが、それに引き寄せられるように呼応する。

 その熱はまるで喜んでいるかのように、声に応じる。

 呼んでいる。

 だから行かなくちゃ。

 今のあたしには青い目の抑止力もない(・・・・・・・・・・)

 だからあなたを助けてあげられる。

 助けてくれるのはあなただった?

 もう何でもいい。

 扉を開けた先に何が待っているのか、知っていた気がした。

 ときはは指先でそっと触れると、一息にそれを開けた。




 信じられないくらいの膨大の量の記憶が、ときはの中に流れ込む。黒い感情と共に。

 たったの弾指(だんし)の間だけで、ときはは何千年も昔の記憶を教えこまれた。

 春だった。夏が来て、秋が訪れ、冬になる。

 男は、一人命を終えた。それから一人、違う世界へ行った。そこでは彼が一人、最初に訪れた人間だった。それから、人は増えるようになった。最初に来ていた男を、皆が頼りにするようになった。一番はじめにその世界にやって来たのは、彼なのだから。その世界の事は、男が一番よく知っていた。だから、彼はその世界の主となった。人を裁く仕事をした。苦難を共にする仕事だった。彼はかつては人間だったから、情に動かされて公正な裁判をするのが難しくなる時もあった。

 そんな仕事に疲れて彼はある日、かつて自分の住んでいた世界に足を運んだ。たわむれだったはずの行為が、思わぬ結果を生み出した。一つの世界を束ねる王は、違う世界の女性(にょしょう)に想いを寄せるようになってしまった。

 彼は人間だったのだ。死して尚、公正な裁判を必要とする立場にあって尚、ただの人間だった。男だった。懸想した相手に、何度も会いに行くうちに彼はどうにも耐えられなくなり、彼女を自分の世界へと招こうとした。だが、死んでもいない人間を連れる事がどれだけ危険か、彼はきちんと理解していなかった。

 不幸は起こった。彼女は死んだ。殺したのは、男のせいだ。

 男は慟哭した。天にも届きそうなくらいの悲哀だった。だが、誰も女を蘇らせようとはしなかった。

 嘆きのあまり、彼は正気を失った。彼はその身に備えた力でもって、愛しい人を蘇らせようとした。しかしそれを許さないのが、彼より上の存在。

 そこまで執着を見せる彼に、まるで見せしめのように、“彼ら”は愛しい人の魂魄すら、破壊しようとしたのだ。


 お前の居ない世界なんてどの世界も必要があるはずがないのだ。

 あってはならない。

 すべて消えてしまえ。

――だめだ。それだけは

 これ以上何を臆するのか?

 何を隠そうというのか?

 何があるというのか?

――言うな

 すべて、すべて、すべて、必要などない。要らない。存在すべきではない。

――あれ、は……まさか……

 何をしたのだ、あいつら。

 許さぬ。

――それだけは許さぬ。

 あんなもの! 許さない。許してなるものか。

 あれもこれもどれも全部(みんな)

 壊れてしまえ――


 泣き叫ぶ子供の声。聞く者の神経をすり減らすような泣き声。耳を塞ぎたくなるような感情。

 あまりにも強すぎる思いにときはは絶望した。絶叫した。

 これは何だ。

 こんなものは望んでいない。苦しい。痛い。辛い。やめてほしい。

 最後に男が見たものが人道だったとも気づけずに、ときはの意識は落ちてゆく。

 人道に、行かなくては。

 あの人がいる人道に。

 あの人を殺した人道に。

 あの人のいない人道を、壊すために。

 どうあっても人道を意識せずにはおれないときはの思いも未だ、人道(そこ)にあった。

 意識のないままに、轟々と吹き荒れる嵐のような音に、ときはは同意をしていた。

 人道に。

 行かなくては。

弾指(だんし)……きわめて短い時間。

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