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一、寧楽の京

 むかしむかし、人の住まう地に、天から火が落っこちたのだと。いくつもの世界の境界(へだたり)を突き抜けて。ただの火なんかじゃない、とっても特別な力を持つ、火の形をしたなにかだった。

 火は人にはよくない災いをもたらすとも、神さまにも等しい力を与えるとも言われておったそうな。だから、人の手に渡る前に天の火を元の場所へ戻さなければならなくなった。それに、天の火が落ちた時に出来た穴のせいで、人は人の住めないはずの場所へと行けるようになってしまったからだ。まだある、人以外のものが人の世界へやってきたりと、あちらとこちらの境目があやふやになってしまったんだ。

 人の世と冥府もつながってしまったために、事を正すための責任をゆだねられたのは、閻魔さまだった。

 そうして、閻魔さまが手下たちにお命じになったのは、穴をふさぐ事と、天の火をきちんと元に戻す事、だった。

 だけれども――穴はどうにかなったとはいえ、きちんとはふさぎきれなかったし、一番悪いのが、天の火はもう二度と人の世界から動けないようだ、という事だった。

 火を無理矢理にどうにかしようとするのは、危ない。閻魔さまがお決めになった事には、天の火を守り誰の手にも渡らないようにする事、ふさいでもすぐに亀裂に変わってしまう穴をその度に直すという事。

 さて。このために今でもどこかから人ならざるものがやって来るのだという。

 法螺(でたらめ)だろうって? 何分、話はむかしむかしに遡るから、そう思うのは無理もない。

 ただ、人の多く集まる場所には、“それ”が居るっていうけれどね。どこかからやって来た人ではない存在と、穴をふさぐ人間たちが。

 そう、たとえば今のみやことか――。




   :::::




 時は天平(てんぴょう)六年。大唐国(だいとうこく)を模した平城京は、碁盤の目のように道が整然と整えられており、朱雀大路(すざくおおじ)では植えられた柳が立派に立ち並び葉を揺らしている。平らに(なら)された土の道は非常に歩きやすく、固い。人の手できれいに端を揃えているという意味では、真にきれいな場所だった。しかしその実、平城京では区画された土地のあちこちに家の建たない草原があり、貴族たちの生活とは比べ物にならないくらいの赤貧を味合わされている庶民たちが多く存在する。

 そんな様子を覆い隠すかのように、裕福な者たちは豪勢な漆喰の白壁、朱塗りの柱、青緑の連子窓(れんじまど)の中に住んで、華やかな景観を(みやこ)に提供していた。確かに、この寧楽(なら)(みやこ)は大唐国の技術を小さいながらも再現出来るほどの力を持っていた。

 春日山の上に、胡粉色(ごふんいろ)の昼の月が、端をかすれさせて飛んでいる。似た色の雲を領巾(ひれ)のように周囲にはべらせて、静かにこちらを見ているようだった。目が合った気がして、(みささぎ)ときは(・・・)は首を持ち上げたまま、しばらく動けないでいた。

 少女が一人、寧楽の京の外れたところ、羅城門(らしょうもん)を出た場所で足を止め空を見上げていた。手には打毬(だきゅう)の打毬杖。小ぶりな鼻に、溌剌とした大きな目。やや黒茶(くろちゃ)を帯びた黒檀(こくたん)の髪は後ろ頭に束ねられ、ゆるく輪を作って毛先を上に向けている。簡素な小袖に裳袴(もばかま)という、あまり裕福でない者がする、ありふれた民草の格好をしている。

「……はあ……」

 まるで音にしたかのようなそれは、しかしときは(・・・)の吐いた息。今の状態に満足してないだろう表情の少女から吐き出されるには、似合いのものだった。その顔を見もせずに、彼女の少し前を歩いていた青年が、腰に()いた剣をかちりと鳴らしながら振り返る。

「何を立ち止まっているの。早く歩く」

「……それは走れと言いたいの?」

 不満をしわに変え目元に集める少女は、そのどちらもしたくない、という主張をしていた。そうしておきながら、仕方がなしに青年の提案に応じる。既に背を向けて、こちらに歩幅を合わせようともしない兄に、いつもながら自分の調子を崩す事がないなと見上げた。小袖に四幅の指貫(さしぬき)、こちらも一般的にあまり裕福ではない民が着るような服装。しかし、その顔立ちを見ればこの青年がただの庶民とは思えないかもしれない。整った顔立ち、そして涼やかな目には人を少し高いところから見下ろすような色。まとう空気には隙がない。着る物が違えば、宮中にて政敵を蹴落とす算段をつけていてもおかしくない男だと、思う者はあるかもしれぬ。

 ときはは、兄の左手にかかる瑠璃(るり)の手首飾りにちらと視線を寄せた。紐に一つ、大まかに魚を模した瑠璃をつなげてあるだけのものだが、翡翠色の光を反射する瑠璃は、以前よりずっと彼女の気を集めていた。そんな瑣末な興味を断ち切るかのように、兄は有無を言わせぬ口調でときはに問いを与えた。

「今日の仕事は?」

泉穴(せんけつ)御綱(みつな)を結って、見廻(みまわ)り」

「そう。たったそれだけでも、ゆっくり立ち止まっている時間はないって、理解出来ている?」

 ときはの「わかってるよ」との返答は、拗ねたような口調で理解出来ているとは見なせない。それを分かっていながら、清人(きよひと)は妹の言動に口を挟む事はなかった。彼は、妹といえどときはの考えが如何(いか)なるものか、さして興味がない。自分と彼女に与えられた仕事をこなす妨げにならなければ、それで良いのだ。とはいえ、どうも最近の妹は清人の目から見ても上の空だ。

「お前は神名火守(かむなびもり)としての才はあるけれど、女なのだから、ちゃんとしないと陵の家を出る事になるよ」

 清人の一言は、とても効果的だった。ときはにとって“家を出る”というのは“他家へ嫁ぐ”事を指すのだから。ときはは兄を追い越して先を駆ける。彼女が手にする打毬杖をひょこひょこと上下に揺らしながら。

 (みやこ)の外に、それはある。ときはたちの目指す、見守るべき場所が。彼女は、家業ゆえにそれを数日のうちに一度は視界に入れなければならない。その名は泉穴(せんけつ)

 雲も少ない平穏な空に、悲鳴が響き渡った。顔を見合わせるべき兄が近くにおらず、ときはは半ばうろたえた。もしかすると、彼女の家業に関わる事件が起こってしまっているのかもしれないのだ。

「何してる、来い!」

 しかし清人の一喝で、ときはの傍らより遠くへ行こうとしている兄を、追いかけるはめになる。清人の背中を追って、ときはは息を弾ませる。羅生門を入ったところに、四五人の民がわめいていた。一人の女が、そうしないと殺されるとでも思っているかのように、しきりに金切り声を上げている。そこには、肌が紫色の人の形をした“なにか”がいた。

夢生(いめおい)……!」

 唸り声をあげ、ほとんど人の声には聞こえない。目は黄色に濁っており、やせ細ってあばら骨を紫の肌に浮きたたせている。ぼたぼたと、紫の生き物は口から唾液をこぼした。ときはの手は我知らず、震えそうになるのを堪えるために打毬杖を強く掴んでいた。

 ときはが気がついた時には清人はもう紫のそれと対峙していた。先の尖った木片のようなものを投擲する。真剣な清人の瞳が、素早く飛び上がって木片を避ける生き物の姿を映し出す。

 不恰好な見目に、俊敏な動きに、何も知らぬ女は「何よ、あれ」と震える声でおののいていた。叫ぶのを止め静かになった彼女を見て、ときははつい余計な事を口にしてしまう。

「あれは、夢生。六道(りくどう)を越えて来たの」

「いめおい……?」

 少女には他者が知らぬ事を自分は知っている、という優越感もあったのかもしれぬが、不気味な存在に詳しい人間もまた、奇妙に見えてしまうとは知らないのだった。女はもう口を挟もうなどと思わなくなってしまった。自分より背の低い少女に距離を置くくらいには、ときはを奇妙だと感じていたのだ。ときはのような神名火守は高名(こうめい)ではない。ひた隠しにしているわけではないが、人の口にあえて上る必要もないという考えの下、京では知る者こそ少ないだろう。女がときはの言葉を理解しきれないのも、無理はないのだ。

馬酔木札(あしびふだ)は小さ過ぎるのが本当に難点だ」

 突っ立ったままの妹を通り過ぎた清人はひとりごちた。夢生をどうにかするには、素手では駄目だ。特殊な馬酔木(あしび)で作られた札を夢生の身体に突きつけなければいけないのだが、それにしても馬酔木はか細い枝しか持たぬ木だ。いっそ武器のように長くあってくれればよいものを、精々手の平に収まるくらいの大きさにしか作れない。

 慌ててときはも兄と夢生を追った。夢生、人にあらざる肌の色を持ち、人に似通うがその実まったく異なる存在。夢生の皆が獰猛で人を見境なく人を襲うわけではないが、大概が先に人間が怯えゆえに物を投擲し、反撃に出るように夢生は人を襲う。そのためにまた、夢生は人の世にあってはならぬのだ。

 夢生の事を思うたび、ときはは憂鬱になる。何しろ、夢生は見目が悪い。全て等しく紫の肌をしているわけではないが、今のあれよりももっと目を背けたくなるような外見をしている事もある。まだ十と少しの少女にとっては、気分を悪くさせるだけのものであった。だが、あれをこの寧楽の京に野放しにしてはおけないと、確かに思える。だから内心では不満をこぼしながらもときはは夢生を追うのだ。

 紫の夢生が、()れた喉で吠えた。耳朶に痛いほどの、うるさい叫び。顔をしかめたときはの目には、ある一つの線が見えていた。夢生は今、一つの三角形の中に入ってしまっている。清人が地面に突き刺した馬酔木札により作られた三角だ。

「――(いまし)が目に映るは此岸(しがん)(いめ)なり。(われ)は神名火守、(あめ)の火を掠め取るは禁なりと示教(しきょう)せん」

 清人の投げた馬酔木の木片が、三角の中心に届く。馬酔木札は夢生に触れもしなかったが、しかし夢生は動きが止まってしまった。青年のよく通る声が、響く。

()く、(さか)りゆけ」

 夢生は聞き苦しい金切り声を上げた。耳をふさぎたくなるような音だった。徐々に、夢生の姿が薄れはじめる。まるで身体が砂へと変わっていくかのように崩れてゆく。

 刹那、目が合ったような気がしてときはは視線を逸らした。胸が悪くなりそうだ。あまりにも哀れな目だったように思えて仕方がない。

 か細くなった声は、姿と同時にぶつりと途切れた。消えた奇声に、辺りは一気に静寂に満ちる。紫の生き物は、もうどこにも居ない。何が起こったのかを理解できていない者もいるだろう。少なくともときはは理解しているが、この時の自分が何も出来なかった事まで分かるために、顔をしかめずにはいられなかった。

「消えた……」

「おい、あんたたち、なんなんだ? 今のは一体……妖怪(あやかし)か?」

 実のところ、ときはは困惑する彼らに何かを説明しようとは思ってはなかった。ただ、清人に言葉をつむがせたくなくて、弁明するかのように舌を動かした。

「あれは妖怪なんかじゃないわ。言ったでしょ、夢生だって。違う世界から来たの。あたしたちはあれを元の世界に還す仕事をしている、神名火守――」

「ときは」

 びくり、少女の身体が跳ねて口が閉じられる。ときはは打毬杖を握りなおした。青年は黙したままに数人の見物客を帰らせようと、冷めた権力者のような目をしてみせた。突如現れた奇っ怪な存在、そしておかしな行動を取ってそれを消してしまった人間――賢明な判断をするならば、この風変わりな青年と少女とは、関わりあいにならない方がいいだろう。そう判断出来た者は、静かにこの場を後にした。

「やる気がないのなら、取り返しのつかない事をしでかしてしまう前に、やめた方がいい」

 平素、清人の表情(かお)は比較的穏やかで、柔和そうな笑みが浮かべられている。穿った見方をするものは、裏で何かを企んでいそうな笑顔と考えるかもしれないが、それでも今の彼の顔よりはましなのだろう。肉親に対する感情など微塵も持ち合わせぬ、人形か何かのような瞳の中に、真実ときはの姿は映っていなかった。背筋に寒気が上るのは、彼の言葉が(まこと)であるからだろう。ときはは、今のように夢生を元の世界に還す事を仕事としているはずなのだ。まだ見習いとはいえ、神名火守。だから、清人に任せきりでいいはずがない。

「……だって」

「御綱を結うくらいは、一人で出来るね」

 兄は、そう言うと自分だけで朱雀大路を上りはじめてしまった。言い訳など一言も許さぬ清人の、取り付く島のない様子ときたら、ここ最近では一番だろう。さすがにときはも自分に恥ずかしくなった。

 だって、先に動いて夢生に標結(しめゆい)を施したのは、そっちじゃない。などと、言い訳だ。自分がそうされる前に機敏に動けばよかったのだ。身軽さならば少しは自信があるつもりだ。それなのに動けなかったのは、ときはの心が定まっていないからだ。しかしながら、たとえ彼女が悪いのだとしても、素直に受け入れるなど到底出来そうになかった。心の内では、だってだってと、もうここにはいない清人への弁明ばかりがあふれ出す。気味の悪い夢生とも僅か視線を交わしてしまうし、少女の胸はずしりと重くなっていた。

 不満を顔いっぱいに表わしたままに、ときはは目的地へと足を向ける事にする。空はうっすらと朱色に染まりはじめ、地上では影が伸び始めていた。

連子窓(れんじまど)……細長い材木を一定の間隔をあけていくつも縦に取り付けた窓。

打毬(だきゅう)……今でいうホッケーのような遊戯。打毬杖はホッケーでいうスティック。

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