紅茶
「私が故障したのは貴方の前の主人のお世話をさせていただいている時のことです。その方はお年を召した女性でした。若い頃、火星で歌手をしていました。たいした歌は歌っていない、と自ら言ってましたが、火星で一世を風靡した方です。名を言えば分かるかもしれません。けれど亡くなった彼女のことを思うとそれは言わない方がいいと思われますので、ここでは言いません。
彼女はよくアルバムを開いて私に彼女自身の昔話をしてくれました。その分厚いアルバムはまるで図書館の奥にある一般人は決して手にしない専門書を私に連想させました。多くの著名人と一緒に写った写真と三回ほど結婚と離婚を繰り返したらしく、その三回分の家族との写真がありました。きっと若い頃は素敵な歌手で多くの人をその歌声で魅了させ、その名声と富が彼女にとって幸福と不幸を人の何倍ももたらしたのではないか、と思わせました。そんな経験からか常に人を寄せ付けない独自の雰囲気を身に纏っていました。別に不快なものを感じさせるとか、言動が不適切だとかではないのです。普通とは違うのです。それはねじれに似た雰囲気でした。多くの経験が彼女の内面を修復不能にまでさせたのかもしれません。そのせいで人は彼女に近づこうとしません。もっとも彼女自身も人というものを好んでいながら、人に不快な思いをさせないよう自ら人を避けているようでした。五十三歳の頃、この月に独りで移住してきてから、とある月資源会社の社長が使っていた私を中古品ということで格安で購入しました。私を購入した後、私の仕事、所作、言動について多く指導をしてくれました。今の私の全ては彼女から学んだ、と言っても過言ではありません。
彼女は常に一人でした。あれだけ彼女のアルバムの中に人がいましたが、そのどなたもこの月に訪ねてきません。彼女の人生はそのアルバム中で全て終わっており、この月で独りで暮らしている生活は彼女の人生の余りでした。想い出の中で生き、その想い出の外で生活することを苦痛に思っているようでした。私はその苦痛を和らげるお手伝いをさせていただきました。彼女の話を聞き、歌を聴き、時には彼女から歌を教えていただきました。しかし、和らげることができても彼女の苦痛は完全に癒されることはないのです。そして彼女の一番の不幸は長生きしたことです。百十歳まで生きました。想い出の中で人生は終わっていたような人がその想い出より長く生きたのです。
彼女は私にいつも朝の目覚めに紅茶をベッドまで運ばせました。その習慣は一日たりとも欠かさず五十七年と十ヶ月行われました。彼女は寝ている時に老衰からくる心不全で亡くなっていたのです。しかし私は彼女が死んだことを理解できず、朝、決まって彼女に紅茶を出していました。そして一日中、彼女の脇で目覚めるのを待ち、また朝になると紅茶を卓上に置いていました。寝覚めない彼女に彼女から習った歌を歌ったときもありました。今にしてみれば理解できません。私の眼の前で動かず、物言わず、ただ腐っていく彼女を見ながら私は彼女がいつか目を覚ますものだと思っていたのです。
そんな壊れた私と亡くなった彼女を投資の話に来た銀行員が発見してくれました。彼女はお金は多く持っていましたので。その後はまるで訪ねてこなかった三人の元夫や彼女の子どもたちが次々訪ねてきて、彼女の遺産に関して言い争っていました。彼女は遺書は書いていませんでした。かなり揉めたと思います。その後あの家がどうなったのか分かりません。私はあの店へ売り払われてしまいましたので。
つまりご主人、私は貴方が亡くなったとしてもそれに気付かないかと思われます。それが私の欠陥のです。不都合でしたら返品されるのをおすすめいたします」