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幼形成熟

ふと筆が止る。自らを死に至らしめるこの冬虫夏草をどうやったらモズは愛せるのか、と考えた。しかし、どう考えてもモズが冬虫夏草を愛する理由が見当たらない。冬虫夏草を身に宿し、蝉になれず、歌も歌えず、空へも羽ばたけず、太陽の光を知らない。その悲しみに包まれたまま死なれては作者の私としては困るのだ。だが、私はどうしてもモズに冬虫夏草を愛してもらわなければならないのだ。


ノートパソコンを睨みながらそのことを考え、また別の思考が頭をよぎった。「筆が止まる」という言葉が面白く感じる。通常、こうやってキーボードを打ち、文字を書くのが主流だし、脳で思考した文を電脳が再構成し澱みの無い文章を書く技術もある時代に、もう絶滅した文房具の筆という単語を使い、文章が書けなくなることを「筆が止る」という。結局、人は筆の段階で進化を止めているのかもしれない。


私は立ち上がり玄関の郵便受けに新聞を取りに行く。新聞を開くと何百光年へと人類の新天地を目指し旅立った船が三世代かけて地球と変わらない環境の惑星を見つけ、百億の人類を受け入れるべく開拓しているという記事が一面に大きく報道されていた。


ほら、もうこんな時代なのだ。けれど我々はまだ「筆が止まる」という言葉を使っている。我々が進化をするのはまだ先の話だ。けれど科学技術は日進月歩に先行していく。我々はそれ従って文明を発展させてゆく。


以前、読んだ本にこんな話があった。人類は猿の幼形成熟ネオニティーだという話だ。確かに人類は猿の幼児に似て体毛も少なく、樹に登る筋力もない。ただ猿の幼児のように好奇心旺盛で知識を吸収し頭脳ばかりを肥大させてゆく。つまりこの文明を作ったのは進化を止めてしまった猿の幼形成熟ネオニティーなのだ。樹を登る筋力を失った幼形成熟は太陽系外へ行く頭脳を得た。


そんな幼形成熟の百億人もの猿たちを三世代もかけて宇宙を旅させれば大きな問題が起るのは目に見えているような気もする。新天地へは光の速さを超える技術で新天地へ向かわせなければならない。少人数ではすでに可能だが、億単位の人を移動させることはできるのだろうか、と新聞に食い入るように読むと「技術的には可能。エネルギーを多く使う星間航法にはおそらく木星資源が使われる可能性が高い」と専門家の意見が懇切丁寧に述べられていた。文明も科学技術もさらに進む。けれど人は幼いままでいいのかもしれない。その幼さが科学を発展させているのだろうか。きっと百年先の人類の物書きもこことは違った太陽の下で「筆が止る」と言うのかもしれない。いや、むしろそうであって欲しいと思う。人類は成長せず常に幼く若くあるべきなのかもしれない。




   ○



新聞を畳むと外へ出た。

早朝の濃霧は嘘のように晴れ渡り、白鷺の立ち迷っていた水溜りに太陽の光が煌いていた。家の脇に着けてある車に乗り町へと走らせる。車窓からは電柱がどこまでも均一に続く舗装道路とこの月の大地に百年以上かけて大気をもたらしてくれた空気草エアプラントたちが生い茂る広い草原が見える。この草々たちも地球化の維持管理が外されれば生きていけない環境になるのだろう。けれどそんなことなどお構いなしに太陽の光を受け、更なる大気を作るべく青く萌え、呼吸をしていた。その真っ直ぐな生命力を見ていると、もしかしたらこの月の地球化の維持管理を全て外されたとしてもまだ彼らは生き残るのではないのか、と思ってしまう。そんな逞しい青さが眩しく羨ましい。


私が町へ着く頃には太陽は中天へと差し掛かり、真夏の光を容赦なく照り付けていた。

タオル生地の手巾ハンカチをポケットから取り出し額の汗を拭いつつ一軒の店へと入った。

購入するものは決まっていた。私の足腰が立たなくなった時用の車椅子だ。できれば全自動式で性能のよいものであればあるだけよい。そして座り心地を最優先に考えていた。もしそこで死んでもいいようにゆったりと座っているうちにすとんと眠りに落ちれるような揺り篭を感じさせるようなものがいい。


寂れ年老いた町に唯一活気のある介護用品専門店に入ると私よりやや年の若いと思われる額の秀でた店員が現れ、私に「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶をしてきた。私は「車椅子が見たいのだが」と言うと「今はご存知の通り地球との交易も少なくなってきておりまして品数も少ないですが」と断った上で数点の全自動式の車椅子を店の奥から出してきた。しかし、そのどれもが私の満足できるものではなかった。全自動式なのはいいが性能は限られていて車に乗る際苦労しそうだったり、階段の昇降もできないものもあった。座り心地に置いて満足できるものはあったが、性能は低くただ平面を走るだけというものだった。


そのことを店員に言うと「用件が多すぎます。そんな高性能のものは地球に行かなければなりません。通販で地球から取り寄せるという手段もありますが、かなりのお金がかかりますし」と私の用件に親身になって悩んでいるようだった。

「ここの者のほとんどはあと数年で地球に帰ろうとしていると聞く。そしてここに最後まで残る人はすでに用意はできているらしいな。私はどうやら乗り遅れたようだ」と私は通帳に記載された金額を思い出しながら地球から通販で車椅子を買おうと頭の中で算盤そろばんを弾いた。

その時、ぽんと店員は手を叩いた。

「やや欠陥品ですが中古のアンドロイドはどうでしょう。今ある車椅子とアンドロイドなら地球から取り寄せるより低価格になります。それに一人暮らしでは何かと家事も大変でしょうからアンドロイドなら、その辺もカバーできます」

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