赤き星の花
モズの死期は迫っていた。もうすでに肌は暗く沈んだ死相を帯びていた。ただ彼から伸びている冬虫夏草はモズとは逆に若い生気を帯び、彼の全てを吸い地上へとその身体を伸ばしてゆく。その様を逐一書き止めていると、モズはじっとこちらを見て、貴方は誰の死に際に対して冷淡ですね、と目で語りかけてきた。私はそうかも知れない、と答えた。モズは他に何か言いたそうだったが目を閉じた。痛みは超えたか、と私が問いかけると、うっすらと目を開け瞳を鈍く光らせて、痛みを超えることはありません。おおよそ生きている限りは痛みを感じ続けるものです。最後の一瞬まで、細胞が全て死に絶え神経が起こす僅かな電気信号を脳が受信ができなくなるまでそれは続きます、と言った。その答えに、ではあの時、舌を噛んで果てればよかったのにな。もうその力もないのだろう。死ぬと言う事はどうだ。怖くは無いか、と話してみた。モズは静かに首を振る。私は信じているのです。死ぬと言う事はどういうことか、などと問う貴方には分からないかもしれない。ただ私は貴方がおおよそ信じられないものを信じているのです、と語った。その信じているものに裏切られたらどうする、と私は言った。彼は、裏切られると思うということは信じていないということです。私は裏切られても一向に構いません。期待もしていません。ですが信じます。その言葉に、矛盾だな、と私は静かに言い切った。確かに私は冷淡かもしれない。この死はただの私の想像だからだろうか。もしかしたら悲しみという感情をあの時、全て出し尽くしてしまったのかもしれない。私の回顧など気にせず、モズは遂に目を閉じ言った。矛盾ではありません。ありのまま信じています。嘘でも構いません。他愛のない慰めでもいい。ただ望んでいるのです。いや、望みでもないかもしれません。叶わなくてもいいのだから。これはたぶん祈りです。そして長い長い吐息のあと遂に彼は動かなくなった。何の祈りか、私の声にやはりモズは動かずただ生気のない身体を横たえているばかりだった。
○
少し寝ていたらしい。疲れがたまっていたのか。それとも臓器が弱くなってきて薬が効き過ぎてしまったせいだろうか。
テレビから聞こえる沸き立つ歓声に私は目覚め、再びテレビを見た。そこには太陽系外の新天地へと向かう船とその船に乗る船員の姿が映し出されていた。移民は数十年かけて行われる。第一陣の船はもう既に木星でのエネルギー補給を終え、後は出発の日を待つばかりであった。その出発の前に船員へのインタビューが放送されていた。インタビュアーの質問にリラックスした表情を浮かべつつ冗談を交えて答えている。しかしその瞳は燃えるような使命感を帯びていた。
私はテレビを消して外へ出た。
夜の気温も暑くなってきた。サンダルを突っ掛けて歩くと道端に生えている草に当たって気持ち良かった。その感覚のせいか足が海へと誘われて海へと降りて行く。そこで私は足を温んだ海に浸し、海を見た。
その水平線の先には地球が青く輝き、静かにたゆたう海と私を青白く照らしていた。あの大洋の造船所で今、太陽系外の新天地へと向けた第二陣の船が完成しつつある。その甲板が太陽を反射した光ももしかしたらこの青い光の中にも含まれているかもしれない。地球も人類もまだ若い。幾多の過ちを繰り返したが何度も立ち直って、ここまで来て、さらにまた歩を進めようとしている。
その希望を眺めながら私は静かに終わろう。海から足を出し、家へ戻ろうとした時、ズボンのポケットから何かが海へと落ちた。私が下を見ると青いビー玉が海水の中で煌いていた。それを思わず拾い、いつかラムネを飲んでビー玉を出してみたことを想い出した。そのビー玉だろうか。それにしてもそんなに長い間このズボンの中にあったとは思えなかった。それは意図的に入れられたもののような気がして、ふいに夕子のことを想い出した。
夕子とはほとんど一年過ごした。彼女との別れに妻との別れにも似た悲しみがあった。機械に対してほとんど人間と同様……しかも最愛の人と同様の高度な愛情が蟠っていることに驚いた。悲しみというよりも決定的な喪失感を感じ、彼女を再利用会社に出さず、彼女を墓に埋葬した。その墓は妻も入っている。そして私も入るはずのものだった。私は彼女を機械として見れなかった。しかし、今にして思えば私は夕子という壊れたアンドロイドの反応に、何か自分の満たされない切ない思いを投影していたに過ぎないのではと思う時があった。夕子は心というものを……それも私とあまりにも同じ心を写していたように感じていた。
ビー玉を手の中で転がし、何故ここに今あるのかを考えた。例えばポケットに入れたままで洗濯をしたとしてもどこかで出てくるはずだ。誰かがここに入れた。それは誰だろうか。このズボンを衣類棚にしまったのは夕子だった。
私は手の中のビー玉を覗いてみた。そこは全てが青色で地球も夜空も海も全て青く染め抜いた。ふとその青々と輝く視界の中を一つのくすんだ赤い光が蛍ように明滅しながら泳いだ。私は周りを見渡すが辺りは青白く地球光に照らされるばかりで赤い光の光源はどこにも見えない。
「夕子か」
私は大きな声で叫んでいた。辺りは細波が浜へ打ち寄せる音ばかりで私の声に答える声は聞こえない。
○
モズの意識は途絶えた。暗闇の中、何も感じないはずだがどこか暖かい心地よさに包まれていた。そして遠くの方から仲間の歌が聴こえる。その歌々は合唱となり、上から降り注いできた。それはまるで真夏の夕暮れに降り注ぐ慈雨のように優しく響いた。
目は見えなかったが、その友輩の歌声と、どこからか撫でるような日の温もりを慕って上へ上へと昇っていった。もうこれ以上昇れないことろまで来ると、薄い目蓋越しに光を感じて、彼は目蓋をゆっくりと開けた。そこはかすかなせせらぎの音が木々の間から聞こえ、うっすらと優しい木漏れ日と恥ずかしげな日陰が漂う森の中だった。その森の中の鮮緑の苔の上、友輩たちの歌う賑やかな恋の歌に耳を傾けつつ、彼はひっそりと咲き誇った。
彼女に言われたとおり温かく涼やかな一輪の白い花となって。




