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夢見る機械

まだ身体の動く内は自分で家事をしようと思っていたが、その言葉を聞いてから家事全般の一切を夕子に任せた。夕子は相変わらずの無表情でそれを受け入れ、家事をやっている。ただ私がやりやすいように配置した食器やほうき、アイロンやミシンなどが夕子が使いやすいように配置された。少し不便も感じるが、まあ、良しとしよう。私が慣れればいいのだ。珈琲は出されるし、朝起きると紅茶まで出してくれる。料理はやや味が濃かったが、私が指定すると次の日には改善された。味付けを工夫するのではなく文字通り改善という言葉が似合うような味付けだった。もしかしたら私の見ていないところで調味料の分量をいちいち量って作ったのではないかとすら思われた。その真率さが機械のそれだ。だが無表情で生真面目で若い顔立ちの夕子を見ていると、勉学に励み、将来は己がこの世を支えねば、と志す純粋な書生のように見えて微笑ましくも感じられた。そして私との生活に慣れてきたためか私の小説に興味を覚えたらしく質問するという人間じみたところも出てきた。

「冬虫夏草はやはり花を咲かせるのですか」

「そうだ。きっと君が言うのだから花を咲かせるのだろう」

「いえ、私は言葉の雰囲気からおそらく咲かせるのだろうと想像しただけです」

「君の想像はいいよ。うん。とても綺麗な想像だと思う。きっと花を咲かせるのだろう」

「本当のことを仰ってください。間違った情報を覚えるのは嫌なのです」

「何故」

「もし間違った情報を人に提供してしまったらアンドロイドの沽券に関わります。機械の言う事は往々にして信じられてしまいますから」

「いいではないか。私の中では白い花を咲かせるのだ」

「ではご主人の中だけ限定で冬虫夏草は花を咲かせるということで。後で本当の冬虫夏草について調べておきます」

「嘘を覚えた機械というのも可愛げがあって面白いのにな」

「人に嘘を教える機械なんて可愛げも面白味もありません。役に立たない機械ではないですか」

「違うよ。夢を見る機械というのは可愛げも面白味がある」

夕子は私の言葉に滑らかに肩をすくめ首を左右に振った。

「それは前の主人に指導されたのか」

「ええ、こういう時に使えと指導されました。間違ってない自信があります」

前の主人にどういうふうに習ったのか知らないが、応答の鮮やかさに独自のユーモアを感じて私は笑った。私の顔を見て、夕子はもう一度肩をすくめた。確かに間違っていない。



  ○



今日は気分が悪く、どうにも眩暈がした。土中の中の空気が澱んだように感じ、喉に手をやる。何か自らのもので無い不可思議なものが喉にすら絡み付いている。引っこ抜こうとするがどうやら喉仏から這い出たもののようで痛みがあった。痛みにきりきり舞いをし、痛みを鎮めようと横たわる。モズはそれが身体を蝕むものだということに気付いた。喉仏をやられてはもはや歌を歌えぬ。モズはこの境遇を呪うだろうか。皆の歌声を妬み、羨むだろうか。彼の呪詛はいつまで続くだろう。


だがモズは冬虫夏草を愛さなければならない。


どうやったら愛せるのか。単に自らの運命の外にある幸福を呪えばいい。歌を呪い、空に羽ばたくものを呪う。だがモズは呪い続ける言葉を多くもっていない。歌も空も呪い続けるには、あまりにも善良な存在だった。モズは自らに無関心で無情な世界を無心に愛していた。自らの境遇に対する恨みすら暫しの合間に心の奥底に沈殿するほど愛していた。モズは自らの運命をどうしたら愛せるのだろうか。



  ○



冬だというのに朝から晴れ渡っていた。空は寒気を持った刺すような風に晒され、まるで青く磨かれた鏡のように輝き、空気草の枯れ野には目を凝らせば僅かながら生命の気配すら感じられそうな日だった。私はいつもと同じように夕子の淹れた紅茶で目を覚ます。月の食料品店にはどういうわけか珈琲は即席のものばかりだったが、紅茶は茶葉が売られていた。何か言いようのない不満を感じたが美味しいものを飲んで目覚めるのは悪くはない。そしてご飯に味噌汁、目玉焼きと水菜という簡素な食事をすませ、ノートパソコンに向かい『モズ』を執筆する。


家事全般を夕子に任せてから私の日中のやることといったら散歩か読書くらいで、たまに音楽を聴きながら海でも眺めているくらいだった。ただ何かの拍子に昼間にも執筆をすることがあった。脳裏に湧き上がる創造に歯止めが出来なくなるのだ。脳裏に沸き起こる戯事に近い言葉拾いと、いたずらに複雑な心理が私を攻め立て机上へと向かわせる。現役時代はこれを待ち焦がれて仕方なかった。これが来ればいい作品が書けるような気がしていた。しかし期限を決められて書かなくてはならない身の時は、これが来なくとも無理矢理書かなければならなかったが、現役を退いた身にはこの感覚というものは逃してはならないし、期限も特に定められていないにで、この感覚が無いときは逆に書かない方がよいようにも思えた。


今日はその感覚がやってきた。『モズ』の話に没頭した。どれだけ時間が経ったのか分からないくらいだ。しかし遂に疲労を感じ時計に目をやった。朝食を食べてからすぐ書き始めたはずだったが、もう時計の針は三時を刺していた。机にはノートパソコンと何冊かの本、メモ帳、鉛筆、消しゴム。いつもの珈琲がないことに気が付いた。それどころか昼食も食べていない。

「夕子」

私の声は家の隅々に響いた。けれど返事がなかった。まるで最初から夕子などというアンドロイドが存在しなかったように静まり返っていた。この家に一人で何年も過ごしてきたというのに一人になった途端、急に家の中が広く感じられた。どこにも夕子の気配を感じない。慌てて外に出ると車がなくなっていることに気付いた。もしかしたら町へ買い物に出かけたかもしれない、と私は自分自身を納得させ、夕子の帰りを待つことにした。


外は冬に似合わない夕日が彩雲を照らし美しく没落してゆく。その他は何事も変化なく、ただ時間ばかりが過ぎていった。

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