ビンの中の手紙
夕子にとってこの歌は前の主人から頂いた遺産であり、かけがいのないもののはずだ。
感情があろうがなかろうが関係はない。ただその光を胸に抱き続けて欲しかった。それが感情というものを持たないアンドロイドだったとしても。だが一方で私の身勝手だろうか、とも思う。この記憶を消して夕子は欠陥が直るとしたら、その方が良いのではないだろうかとも心の一部で思っている自分もいた。
歌の詩の意味するところは相変わらず分からない。ただ、この歌を歌う時の夕子には明らかに感情が感じられた。それは寂しさの中に含まれる幾許かの優しさのようなものだった。これは彼女の前の主人のものだろう。それを夕子は完全に自分の中に保存し、歌に現す。私はこの歌はまだ二回しか聴いていない。ただいたずらに聴くのは悪い気がしたからだ。そしてこの歌に慣れ、この感動が薄れるのが嫌だった。歌の最後は「フェリオ」という言葉で終わった。もしかしたら「フォリカ」かもしれない。私の中でその言葉が引っかかり、何か出所を失った生き物のように頭の中で足掻いていた。
「終わりました」夕子は余韻を穢さぬよう静かに言った。
「一つ聞き忘れていたことがある。この歌の曲名は何だ」
本当は聞き忘れていたわけではない。何故か曲名やこの歌について聞くのがやましいように思えていた。これは聴かれるために作ったのではないような気がしていた。そこに聴き手がいなくとも存在するだけでこの歌の価値があるように感じていたのだ。私が誰に見せるわけでもなく『モズ』を執筆しているのと同じような雰囲気がこの歌から感じられる。
「『felica』です。ただ私にはこの言葉の意味するところが分かりません」
夕子の言葉を聞いてはっきりした。
「エスペラント語で『幸福』という意味だ。昔、宮沢賢治の詩集を編集した時に少し齧った」
「私の機能にはサポートされていない言語です。この言語はもう使われていないのでしょうか」
「そうだな。まだザメンホフの意思を継いだ人々がいるようだが、今ではもうほとんど使われていない言語だ。この歌の詩を訳そうと思ったが難しそうだ。君は前の主人からこの歌に関して何か聞いていないか」
「いえ、ただ『貴女に教えたい』『歌ってもいい』とだけ言われました」
幸福の歌をアンドロイドに与えた前の主人の気持ちを考えた。しかも詩の意味を教えないで「幸福」と歌わせる。これはどういうことか。しかもほぼ絶滅言語で。
「felica」私はそう呟いた。
夕子の前の主人のことを思った。一番幸せだった時はとうの昔に過ぎ去り、想い出の中でしか孤独な人がこの夕子と一緒に暮らしていた。そして自らより長く生き続けるであろう夕子を残し、逝かなければならないとしたら。
私は静かに悟った。彼女は夕子を愛していた。実の娘のように。
その彼女の気持ちを考えた時に、無人島で暮らしている孤独な人が何か望みを託した手紙をビンの中に入れ、海に投げ入れる姿が思い浮かんだ。それは誰かに受け取って欲しくて出すのだろう。けれど同じ量のあきらめもある。ただ書かなければならないのだ。そうすることによって孤独とは少し離れられる。それは願いでも希望でもない。それは祈りだ。
私はそれをたゆたう静かな海から掬い上げ、受け取ったような気がした。
「なぁ夕子、君にとって幸せとは何だ」
「貴方の生活のお手伝いをすることです」




